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造花の魔王〜復讐令嬢はやがて魔王に至る〜  作者: 黒しろんぬ
一章 氷の城 -悪役令嬢とお喋りな竜-
15/26

14.氷の城

「おーい!! 誰かいるなら開けてくれーっ!!」


 凍った扉に声が跳ね返り、風の音が止む。

 抱えられた私の体温だけが、カグツチの腕の中で沈むように揺れた。

 

「上からは煙が出てたのに……」

 

 焦燥の色をした不安げな声が白い息に溶けた。

 ここは国境の外――住居などあるはずもない。しかし思考がまとまらない。


「ルシアを別荘に残したほうが――いや、一人には出来ない」

 

 吐いた息が白く消える。

 

「……壊すか」


 呟いた瞬間――ぎい、と重い軋みが返ってきた。


「――訪問販売はお断りしておりますが」


 見知らぬ声に、薄っすらと瞼を開く。

 薄暗い城内から現れたのは、黒髪の竜だった。

 金色の瞳には、とくに殺気は見当たらない。

 ただ、音の死んだ空気が異様に静かだ。

 気怠そうな声とは裏腹に、その姿勢には隙がない。


 そして――違和感。

 うまく言い表せないが、とにかくこの竜の存在そのものが、おかしかった。

 肩より短い髪。

 珍しいがそこじゃない。


 視線がふらりと上へ昇った。

 角――竜種の証。

 その表面に走る細いひび。


 息を呑んだ。


 白い稲妻のような細い線が、何本も、何本も。


 見た瞬間、時間が止まった。

 息を呑む音だけが静かに響いて、高熱に喘いでいた事さえ忘れてしまう。

 

 角のひび割れは、竜にとってあってはならないものだと――理屈より先に、身体が理解してしまった。

 

 ふと、身体の力が抜けていく。

 熱で頭が焼けるのに、背筋は氷のように冷たい。

 黒髪から覗く金の瞳が――私の存在を確かめるように、無表情で揺れる。

 その視線の意味を掴めないまま、雪の色がにじみ、世界がゆっくり暗転していく。

 次の瞬間、世界が裏返るように暗転した。


 息をすることさえ忘れていく中で、胸元に伝わるカグツチの鼓動だけが、最後まで残った。


 ◆ ◆ ◆


 頬を刺す寒さが消えていた。

 それでようやく、あたたかい場所にいると気づいた。

 カグツチに抱かれて雪原を進んでいた記憶はある。

 今は、別荘の毛布よりも熱を逃がさない布団に包まれていた。

 身体の芯までじんわり温かい。

 薄くまぶたを開けると、まず見えたのは知らない天井。

 

 そして次の瞬間、銀の匙が唇に触れる。冷たい。

 

 ――なぜ。


 視線を下げると、社交界で何人も言葉で刺し殺していそうな貴族令嬢が、そこに立っていた。

 その令嬢は、容赦なく銀の匙を私の口へ突っ込んだ。


「――っぶ!!」

 

 驚いて、流し込まれた緑色の液体を盛大に吹き出してしまう。

 顔にしぶきを浴びた令嬢は、濡れたまま無表情でしばし固まった。

 

「……まあ。せっかく煎じましたのに。薬草はこの辺りでは大変貴重ですのよ?」

「た、大変ご無礼を……っ。どこのどなたか存じませんが、どうかお許しくださいませ……」

 

 私の謝罪に、令嬢は眉をぴくりと動かし、器をサイドテーブルに置くと、ドレスの裾で顔を拭った。


「……そう。存じ上げないのですね、私を。しょせん八百年級のペーペー貴族ですもの。――ごきげんよう、ルシア・ヴァレットさん」

 

 そのとき、重い扉が開いた。

 視線の先――カグツチと黒髪の竜。

 

「ルシア……っ!」

 

 名を呼ぶなり、カグツチは駆け寄り、床に膝をついてベッドに横たわる私の手を掴んだ。

 強い掌が、わずかに震えている。

 その勢いに押されながら、私はゆっくり身を起こした。


「良かった……城についてから、ずっと目を覚まさなかったから……」

 

「そんなに長く気を失っていたのですか……?」

 

 カグツチの不安そうな表情から察するに、三日は眠っていたのではないだろうか。

 三日も眠った気は全然しないのだけど。


「いいえ、30分くらいですわ」

 

 令嬢は、緑のしぶきをドレスの裾でさらに拭きながら言った。


「全く……まるでルシアさんが三日も意識を失ってたみたいな顔をして。30分の顔をなさい、30分の」


 カグツチは聞いているのかいないのか、不安げに私の額に手を当てた。

 30分の顔とは、いったい。

 

「……顔を洗ってまいりますわ。センス、客人のお相手を。お話は好きでしょう?」


 いつの間にか、部屋の壁に寄せられていた大きなソファの上に行儀よく座るセンスに向かって言った。

 

「はい、それはもう。喜んで」


 金髪をゆるく揺らし一礼すると、彼女は音もなく扉の向こうへ消えた。

 残った空気には、かすかに土の匂いが混じっていた。


「ふふ……お嬢様、憧れのヴァレットの名に怯んで名乗るのをお忘れで」


 黒髪の竜が軽やかに笑い、こちらへ顔を向ける。

 金色の瞳は、深く静かで――私を探るように細められていた。


「申し遅れました。元スコット家のドラグマキナ、センスと申します」


 小さく肩をすくめた仕草に、八百年という重さがかすかに滲む。

 

「……元?」

 

 反射的に繰り返した。

 ドラグマキナとは、仕える家の名そのもの。

 その前に元をつけるなど聞いたことがない。

 胸の奥に、細い棘のような違和が刺さる。

 

「えぇ。ドラグマキナとは貴族が竜種に与えた蔑称。そんなもの名乗りたくありませんので。今はただの一匹の竜種として、この氷の城でのんびり療養させて頂いております」

「ドラグマキナって蔑称だったんだ……」

「たかが名。されど名。名は竜にとって命よりも重いものですからね。蔑称が外れただけで、首輪が外れたような気持ちになるのです」

 

 その言葉に導かれるように、私は視線を彼の角へと上げた。

 天井から降る冷たい光を受け、灰白の角がわずかに光る。

 

 意識がはっきりとした今ならきちんと見える。

 角の表面一面に、無数の細いひび。

 細い影が縦横に走り、まるで内部から砕けようとしているようだった。

 

 初めてこの城で目に入った、あの異様な角は気のせいなどではなかった。

 見てはいけないものに触れてしまったような、再び寒気が背を這い上がった。


「ところで、なぜお二人はこの城へ? ここは国境外の辺境。訪れる者など滅多にいない死んだ土地ですが」

 

 センスと名乗った竜は、鋭い目をこちらへ向けた。

 金色の中に浮かぶ細く収束した瞳孔――竜種特有のそれは、心の奥まで射抜くようで、一挙手一投足を逃さない。

 

 この竜には嘘は通じない。

 人に従う意思をまるで感じない。

 彼は彼の目で私を観察している。


「僕たちに害を加える意思がないのであれば、療養していただいて構いません。その確証を頂けますか?」

 

 社交の場で鍛えられた私でさえ、彼を欺くことはできない気がした。


「……王都から、逃げてきました」

「追われていると?」

「……ええ」


 僅かな沈黙。

 

「理由をお聞きしても?」

 

 センスの問いに、私はそっと目を閉じた。

 

 ――灰色の空。広場。踏みにじられた名。焼け焦げた臭い。

 

 鈍い痛みが灯りかけ、慌てて思考をそらす。


「復讐のために」

「――一人と、一機で?」

 

 返された声には、かすかな笑みが混じった。センスが小さく鼻を鳴らす。

 理解されようとは思っていない。

 だからこそ、隣で手を握ってくれるカグツチの手を、私はそっと強く握り返した。

 

「復讐の相手は?」

「――ゼファレス・ファ・ヴォルシュタイン」

 

 名を告げた途端、センスは喉の奥でくつくつと笑った。

 

「それは……また随分と無謀な。次の王の名でしょう? その発言だけで国家反逆罪。追手は? この城が巻き込まれる可能性は?」

「問題ない。オレは強いから」


 センスは笑みを止め、じっとカグツチを見る。角から足先まで、ゆっくりと舐めるように視線を這わせた。


「……なるほど。竜種には、一目で相手の格を測れる者もいます。僕はまだ八百年しか生きていない未熟者ですが……坊やが強いことくらいは、すぐにわかる」

「敬意があるなら、坊やはやめてほしいんだけど」

 

 カグツチは真顔で告げた。その声音には冗談がひとかけらもなかった。

 

「……ふふ。失礼しました。竜種同士で、こうして対等に話すのは初めてに近いもので、つい」

 

 センスは口元に笑みを浮かべ、わずかに首を傾ける。

 

「あなた方に危害の意思はないと判断します。どうぞごゆっくり、ここでご養生ください」

 

 その声の余韻だけが、氷の城へ静かに吸い込まれていった。

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