臓花
世界の終わりに始まりがあるとしたら、その日だった。
――これは、のちに終幕と呼ばれる日に、竜が見た光景だ。
◆ ◆ ◆
処刑場に塗り替えられた広場には、血の匂いが風に流れていた。
群衆のざわめき。哀れみの声。嘲笑の言葉。
寒空の下、ただひとつの死が、晒されている。
広場の石畳には、人の形をした何かが、原型もなく転がっていた。
それは――オレの大切な人間だった。
灰色の空が、ただそこにある。
彼の輪郭が、ゆっくりと滲んでいく。
家族の死とは、悲しむものだと教えてくれたのは、他でもないアルトだった。
けれどオレの内側は、波ひとつ立たない静かな海のようだった。
竜種には、怒りという器官がない。
この世界では、それは当たり前のことだ。
燃え上がる感情を持たないよう、最初から欠けている。
だから、この感覚も――当然なのだと、オレは思っていた。
群衆の後方で、オレはアルトの前に立つルシアを見ていた。
彼女は泣かなかった。
叫ばなかった。
崩れなかった。
ただ、真っ直ぐに、その死を見つめていた。
人間は、こういう時に怒りに身を焼かれ、取り乱すものだと聞いている。
怒りを知らないオレは、それを知識として理解しているだけだった。
――けれど。
ルシアの瞳の奥に宿るものは、オレの知っているどの感情とも違っていた。
花のように静かで、
それでいて、音もなく燃え続ける熱。
焚べられても、燃え尽きない。
まるで――造花のように。
その瞬間、オレの角が震えた。
尾の鱗が逆立ち、世界の音が遠のく。
理由は分からない。
ただ、この身体に収まらない何かが、そこにあった。
身体が、動かなかった。
目を離せなかった。
彼の死も、民衆の声も、遠ざかっていく。
視界に残るのは、あの色だけだった。
欠けているはずのものが、そこにあるような錯覚。
名前を付けるには、まだ早い感覚。
――それでも、はっきりしていた。
オレは、この炎から目を逸らせない。
気づけば、群衆が裂けた。――ルシアがいた。
口が勝手に開いた。
「――ルシア。君は、オレの臓器だ」
それがのちに、世界の因果を燃やし尽くす引き金になることを、
この時のオレは、まだ知らなかった。
あの日、拾い上げた銀貨はたった一枚――指先に収まるほどの始まりが、取り返しのつかない終わりへと続いていた。




