第38話 「砦の夜明け」
夜明けの空が赤黒く染まり、砦の周囲にはまだ煙が立ち上っていた。
前夜の激戦で多くの兵が倒れた。壁は崩れ、地面には火矢の残骸が突き刺さり、焦げた匂いが鼻を刺す。
アレンは剣を握りしめたまま、砦の外を見下ろしていた。
そこには規律正しく並んだ敵軍の陣営があった。数千に及ぶ兵の旗が揺れ、赤旗の下に整然と並んでいる。
「……やっぱり退くつもりはないか」
アレンは呟いた。
隣に立つフェリスが険しい顔をする。
「むしろ、夜を利用してさらに陣形を整えてきています。普通の軍なら一度退いて休息を取るはずなのに……」
「となると、やっぱり後ろで糸を引いてる奴がいるんだな」
アレンの脳裏に、あの赤旗を掲げた将の姿が浮かぶ。
あの目……ただの将軍のそれじゃなかった。勇者の存在を知っているかのような、冷酷な視線。
「アレン!」
後方からリナが駆けてきた。顔は煤で汚れ、矢筒はほとんど空になっている。
「兵糧庫が燃やされかけたけど、なんとか食料は守ったよ!でも……残りは一週間分くらいしかない」
「……つまり、籠城戦はもたない」
アレンは息を吐いた。
仲間を集め、王都にたどり着いたはずが、いきなり大規模な戦争に巻き込まれている。
だが逃げる選択肢はなかった。ここを抜かれれば王都が直撃される。つまり、国そのものの存亡がかかっている。
――俺が動かなければ、多くの人間が死ぬ。
剣を見下ろす。
この剣で救える命があるなら、どれだけ血に濡れても構わない。
「……夜明けまでに準備する。次の突撃を止める」
「どうやって?」リナが問う。
「俺のスキルを使う」
アレンの瞳が光を宿した。
【記録】――ただ書き残すだけの最弱スキル。
だが今のアレンにとって、それは誰も知らぬ切り札だった。
夜の間に、彼は仲間や兵士たちの戦いをひとつひとつ記録していた。
矢を放つ瞬間のリナの手の震え、魔法を紡ぐフェリスの呼吸のリズム、剣を振る兵士たちの足運び。
すべてを、頭に、心に、刻み込む。
「戦場そのものを記録する」
アレンは仲間に向けて言った。
「敵の動きも、味方の癖も。俺の目で見て、体で覚えて、記録して――次はそれを全部、利用する」
リナとフェリスは一瞬言葉を失ったが、やがて頷いた。
やがて夜が明ける。
敵軍の陣形が揺れ、赤旗が掲げられる。突撃の合図。
「来るぞ!」
兵士たちが武器を構える。
アレンは剣を抜いた。
「――俺に続け!」
敵兵が雪崩れ込む。
だがアレンの剣は迷いなく、その先頭を斬り伏せた。
昨日の戦いで学んだ敵兵の間合い、剣の振り方、隊列の崩れやすい瞬間――すべてを【記録】から引き出し、未来のように先読みして動いた。
「な……なんだ、こいつは……!」
敵兵が恐怖に叫ぶ。
アレンは刃を翻し、さらに踏み込む。
その姿に、兵士たちは勇気を取り戻し、次々と後に続いた。
「押し返せぇぇぇ!」
「勇者様が前にいるぞ!」
砦の中でくすぶっていた士気が、一気に爆発した。
炎と血煙の中、アレンの剣は光を放つように閃く。
その光は、絶望の中に差し込む希望そのものだった。
だが――遠くからそれを見ていた赤旗の将は、微かに笑みを浮かべた。
「やはり……勇者か。ならば、この戦こそが試練となろう」
その言葉と同時に、敵陣の奥で巨大な影が蠢いた。
鎖に繋がれた異形の獣が咆哮し、戦場に解き放たれようとしていた。




