第四話 毒愛
ママは死んだ。
私が殺した。
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私が学校から帰ると、そこには普段いるはずのないママがいた。今日も今日とてアルコールを大量に摂取しており、体の調子は悪そうだった。
ママは服を着ておらず、上下に一着ずつ下着を着けた姿でリビングのソファに倒れ込むように座っており、右手に煙草、左手に缶チューハイを持っていた。煙草の灰がソファに落ち、ジュっとソファの一部が焼ける音がした。
「あんた、どこいってた」
アルコールで呂律の回っておらず、かろうじて聞こえた言葉がそれだった。
本当に問い質したいわけではなさそうだが、怒っているというわけでもなさそうだった。ただただ、口の動くままに喋った、そんな感じだった。
「学校、いってたんだよ」
私がそういうと、ママは眉を顰め、私の方を見た。焦点の合っていない目だった。私の方を見ているというだけで、何を見ているのか、誰を見ているのかが曖昧で、まるで夢の中にいるような顔をしていた。あるいは、本当に夢の中で、ママの言葉は寝言だったのかもしれない。
「あんたが学校なんていける訳ないでしょ。あんたは私なんだから」
そういって、ママは缶を私の顔に向けて投げつけた。缶の中にはまだお酒が残っており、ある程度の重さがあった。私の顔にぶつかった缶は、中身を床にまき散らした。缶のあたった部分がじんじんと痛む。
「痛いよ、ママ」
あの頃、幼い頃に、ママに殴られていた時とは違い、私はママに思いの丈を伝えた。
ママはなにも、言わなかった。あの頃のママは、私に”痛いこと”をしたあとは必ず謝ってくれた。「ごめんね、ごめんね」と何度も謝ったあと、「大好きだよ、メイ」とハグをしてくれた。それが私の全てで、それが幸せだった。それだけで良かったのに、ママはそれすらしてくれなくなった。
どこかで歯車が噛み合わなくなって、そのまま動いてしまっているような感覚。もう、あの頃には戻れないんだと確信した。
「違うよ、ママ。私はママじゃない」
私はなるべく冷静を装ってそう言った。感情を表に出さないように。
すると、ママは笑い出した。煙草の煙でむせ返り、アルコールでずたずたにされた胃から、中身が出てくるのではないかと思うほどに。それは笑いというよりもむしろ、苦しみだったのかもしれない。その言葉を、ママ自身も自分の子供に言ってはならないと分かっていたのかもしれない。でも、言ってしまったのだからママの負けだ。
「あんたなんて産まなければよかった」
私を傷つけるためだけに発せられた言葉だった。ただ、それほど心は痛まなかった。それがアルコールの酔いから来たものではなく、本心だということもわかっていた。
ママが、本当は私を愛していないだなんて、そんなの分かっていた。
だから、傷つかなかった。その言葉は痛くなんてなかった。ちっとも、悲しくなんてなかった。
「ねぇ、ママ。私、学校辞めるよ」
その言葉にママは何も返さなかった。
「学校辞めてさ、ママみたいに働くよ。お酒はまだ飲めないけどさ、未成年だからって優遇してくれるところもきっとあるよ。ほら、私って容姿は良いじゃん?だからきっと男の人たちは私のことを放って置かないよ。それでそれで、お給料が入ったらママの行きたいとこに連れて行ってあげる。ママはさ、今までお仕事頑張ってくれていたから行きたいとこにも行けなかったよね。女手一つで私をここまで育ててくれたんだから、欲しいものだって買えなかったでしょう?ママの欲しいもの、何でも買ってあげるよ。生活費だっておうちに入れるし、料理の腕ももう少し、ママが毎日食べたいって思えるほどに上げるよ。そして、私が二十歳になったら、ママとお酒を飲むのも良いかもね。ママの子供なんだから、きっと私もお酒強いはずだよね。お酒を飲んでさ、今までの話をしようよ。今まで、親子らしい会話なんてできなかったからさ。ママに話したいこといっぱいあるんだよ?でもママが悪いわけじゃないよ?ママはお仕事を頑張ってくれていたんだから仕方がないよ。あ、そうだ。私がまだこーんなに小さかった頃にさ、ママはおでかけに連れていってくれたよね。あの日も今日みたいな雨でさ、すごく気分の沈む日だったけど、ママとおでかけできたからそんなのへっちゃらだった。雨だったけど、日曜日でお客さんが沢山いたよね。ママ、あの時はごめんね。売り物をこわしちゃって。でもさ、あれはあの女の子が悪いんだよ?だって私からあのぬいぐるみをとろうとしたから。私の大好きなものを、私から取り上げようとしたから。だけど、成長した今なら、ママの怒る気持ちもわかるよ。だからごめんね。あ、そうそう。あのとき、ママが怒ってくれてとても嬉しかったんだよ。『あ、ママが私に怒ってくれる』と思ったんだ。」
ママの目は開いていなかった。これだけお酒を飲んだんだ。眠ってしまうのも無理は無い。それでも、私はままに想いをぶつけられずにいられなかった。
「だからさ、ママ。産まなければよかった、だなんて言わないでよ」
ママは依然として眠っていた。私の言葉はきっと届いていない。
私の声は震えていた。悲しかったのか、怒っていたのか、将又別の感情なのか。それはわからない。
もう、取り繕えなかった。感情を隠し続けるなんて無理だった。
「ねぇ、ママ」
――もう一度、私を愛してよ。
きっと、その願いは届かない。
だから私の愛が離れていかないうちに。
ママとの永遠の愛を。
私はふらふらと台所に向かい、引き出しを開ける。引き出しからは銀色の刃が光っていた。
私はその刃を、丁寧に丁寧に研いだ。毎朝、使っているものなので、扱いには慣れていた。
研ぎ終わった刃は光り輝き、あらゆるものを反射していた。そこに映る私の顔は、泣いていた。悲しいはずなんてないのに、泣いていた。
ソファに戻り、ママを後ろから抱きしめた。
私は「ごめんね、ごめんね」と、何度も何度も同じ言葉を繰り返し吐いた。
私はママをギューッとだきしめてくれました。
「大好きだったよ、ママ」
そう言って、私はママの首元に包丁を深く押し付けた。
結局、私の朝ご飯を食べてくれることはなかった。