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僕が神さまを殺した日  作者: 利剣
第一章 呪々御供
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7話 呪いの囁き、旧校舎の影

 

 メティスと別れて、僕は教室から昇降口へとまっすぐ早足で向かった。


 過ぎ去っていく廊下にも、階段にも、チラリと覗く教室にもどこにも人影は全くない。


 下校時間で在ることを考慮しても、自習なり、居残りなり、誰かが残っていてもおかしくはない。

 誰かとすれ違ったって良いはずなのに、校舎はまるで閑古鳥が鳴いたかのように静かだ。


 これも連続自殺の影響の一つだ。

 ここ最近、校内全体の取り組みとして早めに帰ることを徹底されている。

 そしてそれに全校生徒が是として応じている。

 警察やマスコミが関わっている中で、誰もができるだけ早くこの場を離れたがっているのだ。


 そのため、下校時刻より前から見回りの先生が巡回している。あまり長居はしない方がいいだろう。


 昇降口に着いて早々に上履きを戻し、外靴に履き替えようとしたその時、


『これ呪いなんだって』


 ふと、耳朶に響いた凛とした鈴のような声。


「そんなわけないだろ…」


 幽霊が人を殺してる。そんなの馬鹿げた話だ。

 幽霊なんてものは物理的な身体を持たない、そんなものが人を殺せるわけがない。

 そもそもいるわけがない。人間は死んだらさっきまで生物だった死体以外は何も残らない。

 考えなくたって分かることだ。


 それでも、否定しきれない。

 僕は知ってしまっている。

 幽霊は人を殺せてしまえるのだと。


 どうやって、そんなのは関係ない。

 幽霊はいる、そして人を殺せる――そんな事実を僕は知ってしまっている。


 けれど、出来ることとやることには大きな隔たりがある。

 理由だ。彼女にはそれをする理由がないはずなのだから。


「無視だ無視」


 その声は誰もいない昇降口にこだまとなって強く反響した。

 誰もいないと思っていたから、意識していたよりも独り言が大きくなってしまったようだ。


「何が無視なの?」


 だから突然、背後からかけられたその声に僕は驚いてフクロウのように首を回し振り返った。

 だがその驚きも束の間だった。

 そこにいたのは僕にとっては見知った人間だったから。


「あい…立羽(たては)…さん、あんまりびっくりさせないで」

「驚かせるつもりはなかったんだけど、牡丹くんの後姿を見かけちゃったから、ついつい、ごめんね」


 そこには赤毛の少女がにこやかにこちらに笑いかけていた。背丈は平均的で、学校指定の体操服を上下に着用し、上から紺のジャージを羽織っている。

 特徴的な赤毛はいつもながらの蝶をかたどった髪飾りでポニーテールに束ねている。

 手にはスポーツ用のウォータージャグを重そうに抱えている。

 その前にランニングでもしてきたのか、汗ばんだ様子で荒れた呼吸と共にふくよかな胸が上下している。


 立羽愛乃(たてはあいの)、女子テニス部所属でクラスの委員長。

 僕にとっては1年生の頃からのクラスメイトでバイトの同僚でもある、学校で最も仲のいい女子だ。


「その恰好…」

「ほら、もうすぐゴールデンウィークだから、大会あるでしょ?私、レギュラーだから特別に許してもらってるの」


 そうか、思い返せばもう4月も下旬、週末を明けて何日か学校に来たら次はゴールデンウィークだ。

 登校して1週間もないのにもうゴールデンウィークだなんて、ちょっとズルをした気分だ。


「牡丹くんはどうしたの、こんな時間まで学校に残ってるなんて珍しいね」


「今日はたまたまだよ、これから病院で検査あるんだ」


「検査…大丈夫? 事故の後遺症とかがあったり…」


「違うよ、日常生活に不便はありませんでしたか、とかそんな感じ。心配性の先生でさ、一応定期的に通うことになっているんだ」


 検査と聞いて、立羽さんは少し慌てた様子を見せたが、僕の言葉を聞いて落ち着いたようだった。


「ちょっと心配だったんだ。ホームルームが終わって倒れ込むみたいに気絶しちゃったでしょ。メティスさんが見てるって言うからお任せしたんだけど」


「睡眠不足だっただけだよ、お陰様でよく寝れた」


 寝言を聞かれはしたが、メティスは人除け自体はしてくれていたらしい。


 しかし、傍目から見れば突然気を失って倒れた人に見え、心配をかけたかもしれない。

 それがつい先日まで事故に遭って昏睡していた人間なら、脳に後遺症が残っていても不思議ではないのだから。

 実際は単なる寝不足だったけど。


 あの事故からもう二か月。3月いっぱいは昏睡状態だったから、体感ではまだ1ヶ月も経っていない気がする。

 日常に戻ったことで、時間の流れにずれを感じるようになった。

 自分のことに対して無関心すぎるのかもしれないな。


 そういえば僕とは違って立羽さんは始業式からずっと登校していたんだよな。


「そうだ聞きたいことがあるんだけどーー」


 ――



「おまじない?」

「そう、最近流行っている小指に赤い糸をちょうちょ結びで巻き付けるやつ」

「もちろん知ってるけど、なんか意外」

「意外?」

「そういうのあんまり興味ないのかと思ってたから……もしかしてメティスちゃんだったりする?」

「…?」

「まあ、いいけど」


 何故かどことなく拗ねたようなような声音で立羽さんは顔を背けた。

 唇を尖らせ、僕に少し流し目を送り、それから小さくため息をついたかと思うとぽつぽつと話し出してくれた。


「いつから流行ったのかは、私も詳しくないんだけど……春休み中に、女子バレー部の間で広まったって聞いたよ。ちょうどその時期に小さな大会があって、新チームでの初めての試合だったんだって。それで、団結の証として部員全員で赤い糸を巻いたんだってさ」


 同じ制服、同じシンボル。

 ひとつの集団に共通する印は、確かに結束を強める効果がある。

 実際、バレーはつなぐスポーツだ。そんな意味が込めていたのかもしれない。


「その大会で、バレー部がかなりいいところまで勝ち進んだんだよ。たしか……三位だったかな。前評判ではそんなに強くないって言われてたんだけど、強豪校にフルセットで勝ったりして、始業式で表彰されてた……凄いよね…」


 最後の言葉はどこか遠く聞こえた。

 けれど、僕はその機微には気が付くことはなかった。


「そうだね、それは凄い。それはすごい。でも……おまじないの効果っていうより、努力の成果だよね」


「うん、私もそう思う。おまじないが流行り出したのは、そのあとだよ。バレー部の人たち、その結果が本当に嬉しかったみたいで、試合後もしばらく糸をつけたままだったんだって。そしたら、それを真似した人たちが、模試で良い点を取ったとか、告白が成功したとか……。そういう“良いこと”がどんどん口コミで広まって、おまじないとして定着した感じかな」


 僕のように部活に所属していない人間には、最初は縁遠く感じられる話だ。

 でも、恋や勉強といった身近な成功例が加わることで、ぐっと現実味を帯びるようになったのだろう。


「それって三月中の話?」

「うーん、大会は三月から四月にかけてだったと思う。おまじないが流行り始めたのは……新学期が始まってからかな。四月の初めから中頃にかけてだと思う」


 ――卒業生が自殺する前。

 ――そして一人目が亡くなる前か。


 時期としては、何とも言えない。

 バレー部の出来事がおまじないによるものなのか、それともただの偶然なのか。


 僕は、ふと立羽さんの手元を見る。小指には、何も巻かれていなかった。


「そういう立羽さんはしないの、大会近いんでしょ」

「私は叶えて欲しいお願いは特にないから…それに自分のためにお願いをするのって、なんだか気が引けちゃって、ちゃんと、自分の手で掴むよ」

「デリカシーなかったね、でも偉いね、流石委員長」

「茶化さないでよ、恥ずかしい……それに私がやったら洒落じゃなくなっちゃうかもだし」

「?」

「ううん、何でもない、気にしないで」


 顔を逸らしながら、立羽さんはなにかを小さな声で呟いた。

 聞き取れなかった僕が「なんて?」と訊こうとした時には、もう彼女は気まずそうに笑ってごまかしていた。


「そ、それで牡丹君が来てからは知っての通りかな。おまじないはみんなでやるものになった。ここまで広まったのは、やっぱりみんな不安だからだと思うよ」

「立羽さんもそうなの?」

「当たり前でしょ。牡丹くんだって分かるでしょ、この学校の空気が、どれだけ変わっちゃったか……私、一応、委員長だからね。責任感じちゃうよ」


 たった一週間しかいなかった僕ですら、ひしひしと感じるほどに。

 この学校には、「不安」という名の伝染病が、蔓延していた。


 みんな、何かひとつでも希望がほしいのだ。

 恋でも、勉強でも、部活でも。

 それは、確かに正常な心の働きだ。

 だからこそ、おまじないにすがる。それがたとえ、プラシーボだとしても。


 けれど――誰かを「排除したい」と願う人間がいたとしたら?

 そういう気持ちが、もしも叶ってしまったのだとしたら?


 何かを得るために願うこと。

 何かを排するために願うこと。

 そのベクトルが逆なだけで、心の安寧を求める行為に変わりはない。

 たとえ、それが間違った形になったとしても、僕には、どこまで責めていいのか分からなかった。


 嫌な空間。

 苦手な人間。

 誰かを遠ざけたいと、強く願ったことは僕にもある。


 でも、もしもその願いが、「死」を引き寄せてしまったのだとしたら……?


 本当に、どんな願いでも叶ってしまうとしたら。

 誰かが「自殺してほしい」と願い、それが現実になったのだとしたら。

 それはきっと呪いだ。


 でも、一方で、誰かには、光が差した。


 十人のうち九人が救われて、一人だけが犠牲になったとしたら?


 それでも僕たちは、「成功」と呼んでしまうんじゃないだろうか。


 この社会には、「誰かの犠牲」を当たり前のように組み込んだ隙間がある。

 そして僕たちは知らないふりをして、その隙間に寄りかかって生きている。


 だからたぶん、僕たちは皆、少しずつ、罪人だ。


『ほんと、気持ちの悪い呪いだわ』


 それこそ、メティスがこれを呪いと言った理由なのだろうか。

 だとしたら、なぜ、あれほど忌々し気に「気持ち悪い」と唾棄したのだろう。


 ……考えるな。

 メティスの思考は、時にあまりに超然的すぎる。

 考えようとしても、深みにはまるだけだ。

 あるいは、本当になんにも考えていないという可能性すら、排除できないのだから。


「ありがとう、立羽さん」

「もういいの?」

「うん、十分すぎる参考になったよ」


 僕は微笑んだ。わざとらしいくらい、明るく。


 確かに、どうしても引っかかることはある。


 けど一番知りたかったのは、「おまじないに本当に効果があったのか」って、それだけだ。


 バレー部の快進撃も、恋の成就も。

 それらが本当に、おまじないの力だったのか。


 僕は、そうじゃないと思いたかった。

 いや――そうであってほしくなかった。


 その「成功」は、彼女たち自身の努力と才能の結果であってほしい。

 おまじないや呪いなんかじゃなくて、ちゃんとした理由があってほしいと願っていた。


 ……でも、それも結局は、僕の願望かもしれない。

 おまじないなんてプラシーボ。心の作用。そういう理屈を盾にして、自分を納得させようとしているだけかもしれない。


 でも、それでもいい。

 ……本当に、そう思えるなら。


「犠牲」なんて、なかったってことなんだから。


 彼女たちは自分の意志で死を選んだんだって。

 どうにもならなくなって、最後の最後に、死だけが、唯一の救いに見えただけなんだ。


 ……ひどい話だ。

 僕はどうしようもないクズだ。

 でも、それでもいい。


 だって――彼女が人を殺した、なんて思いたくないんだ。



 途中だった靴を履き終え、顔を上げる。

 そうこう話しているうちに日はとっくに沈みかけていた。

 より赤みを増した今日最後の輝きが、昇降口に斜めから差し込み、淡い影を落としている。


「重いでしょ、そのウォータージャグ。持つよ」

「ありがとう。じゃあ、ちょっとだけお願いしようかな」


 彼女から手渡されたウォータージャグは、見た目よりもずっしりしていて、

 受け取った瞬間、ほんのわずかにバランスを崩した。


「……おっと」

「……大丈夫?」


 心配そうな視線が、なんとなく気恥ずかしい。

 そこまで筋力が衰えてるつもりはないのだけれど。


 気まずさをごまかすように笑い合って、二人並んで昇降口を出た。

 夕陽の名残を背に受けながら、ゆっくりと歩き出す。


「それで、どこまで持っていけばいい?」


「んーと、部活棟のちょっと手前くらいかな……」


「いいの? 少し遠いけど」


「うん。そこから私が持っていくよ。……部長たちに見られたら、絶対いじられるし……」


「?」


 首をかしげる僕に、彼女は照れくさそうに笑ってみせた。

 その笑みには、ほんの少しだけ、部活の人間関係の空気がにじんでいた。

 他愛のない会話。

 だけど、この時間だけは、確かに穏やかで――少しだけ懐かしかった。


 2人だけの時間はあまり長くはなかった。

 すぐに部室棟の傍までたどり着いてしまった。

 けれど、立羽さんは何も言わずに少しだけ足を速めた。

 その背中に、僕も何も言わずついていった。


 部室棟の角を直角に曲がると、視界がぱっと開けた。

 裏手の教員用駐車場。夕暮れの光を鈍く反射させながら、まばらに車が停まっている。


 その一角で、立羽さんがふと立ち止まった。

 そして、ゆっくりと僕の方を振り返る。

 かすかな緊張がその表情に浮かび、少し震えるような声が、静けさを破った。


「あの……話したいことが、あって」


 声が小さくて、でも確かに届いた。

 何か大切なことを伝えようとしてくれている。


 それが表情から分かったから、いつもより耳を澄ませて彼女の声に集中した。


「今度の大会ね、シングルスを任せてもらえたの…」


 そう言ったとき、ふと風が吹いた。

 立羽さんの赤毛がふわりと揺れる。

 その一瞬、僕の視線が横へ逸れた。


 ――視界の端に、静かに、ただそこに在る建物。


 それは、旧校舎だった。

 新校舎に比べればひとまわり小さく、壁の表面はあちこちひび割れ、まるで長年の時間がそのまま風化として刻まれているかのようだった。


 隣に並ぶ白く瀟洒な新校舎とは対照的だ。

 その佇まいは、まるでここだけ時が止まっているような違和感を放っている。


 新校舎にぐるりと囲まれるように建っているため、人目に触れにくい。

 夕陽の陰にすっぽりと包まれ、その存在感は一層ぼやけて見える。


 真正面の入口には、黄色い「立入禁止」のテープが張られ、その存在を拒絶するような無言の警告を発していた。

 唯一繋がっている二階の渡り廊下にも同じように黄色いテープが張られ、まるで異物を隔離するかのように、境界が設けられている。


 同じ敷地内にありながら、旧校舎だけが異質だった。

 まるで、現実から切り離された、もうひとつの世界のように――。


 旧校舎には、もう長い間、誰も足を踏み入れていない。

 だから、全ての窓がカーテンで閉め切られている。

 外から中を見られないように、あるいはその逆なのかもしれない。


 誰が言い出したのか分からない噂話が、そんな想像に輪郭を与えていく。


 再度、風が吹き、黄色いテープがかすかに揺れた。

 それだけのことなのに、思わず背筋がぞわりとした。


 そのときだった。僕の目に留まったのは、旧校舎の二階の窓だった。

 窓はすべて締め切られているはずなのに、カーテンが、まるで陽炎のようにふわりと揺らめいた。

 風が入り込むはずもないのに、まるで誰かが中から手で払ったような、そんな不自然な動きだった。


 カーテンの隙間から、なにかが見えた気がした。

 …いや、正確には、「誰か」だった。

 白く細いものが動いたような気がして目を凝らすと、そこに――女性の横顔が、確かに浮かび上がったように見えた。


 淡い光に照らされたその輪郭は、はっきりとは見えなかったけれど、確かにこちらを向いていた。

 そして――一瞬、目が合った気がした。


 見間違いかもしれない。

 けれど、あの横顔の静かな目を、確かに僕は知っているような気がして――


「それでね、今度の大会を…み、見に来てほしくて……もし勝てたら、私と……その、買い物とか……一緒に行けたらって」


 立羽さんの声が遠ざかる。

 まるで別の世界に、意識だけが引きずられていくようだった。


 だから、気がついたときには、口をついていた。


「彼女たち、どうして自殺なんてしたのかな」


 まるで、それだけが口を開くべき真実であるかのように。


次回更新は5月15日18時になります。

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