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僕が神さまを殺した日  作者: 利剣
第一章 呪々御供
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6話 これ呪いなんだって

「これ呪いなんだって」


 その姿はまるで秘密を打ち明ける妖精のようで、今度は慈しむように優しく微笑んだ。


「…おまじないじゃなかったのか」

「おまじないも呪いもどっちも似たようなものでしょ、違うのは名前だけよ」


 呪い、同じ漢字でありながら、「まじない」と「のろい」。読み方ひとつで印象はがらりと変わる。

 語るメティスの声音が、その曖昧な境界をゆらりと示していた。


「さっきなんでも願いをかなえてくれるって言ったでしょ」


 小指に舞い降りた赤い蝶の羽をそっと摘み上げながら、メティスが続ける。


「もっぱらの噂よ、殺したい、死んでほしいってお願いするとね、その子、首をくくって自殺しちゃうんだって。この間死んじゃった二人の女の子も、最初に死んじゃった卒業生もみーんなこの呪いで殺されちゃったって話」


 冗談のような本気のような、メティスの言葉が脳裏に突き刺さる。


「旧校舎の化学準備室には死んじゃった卒業生の霊がまだ死にきれなくて、夜な夜な自分を殺した相手を探して今も彷徨ってるって……ふふ、怖いわよね」


 ふざけているのか。

 メティスはおどけたように子供を脅かす見慣れたおどろおどろしい幽霊のポーズをして、薄笑いを浮かべた。

 だがそこで――


「なーんてね」


 それまでの冗談めいた雰囲気が嘘のように、彼女は一転して微笑を引っ込め、真顔で言った。


「人間の想像力って逞しいわね。呪いが人を殺すとか、殺されちゃった卒業生が化けて出てくるとか――実際は逆なのにね」


 言葉とともに、空気の温度がすっと冷えた気がした。


 メティスは幽霊の真似をやめ、机にそっと両手を置く。

 視線を落とし、小指に巻かれた「おまじない」を翡翠色の瞳で静かに見つめる。


「ほんと、気持ちの悪い呪い(のろい)だわ」


 その一言に込められた感情は、これまでとは違っていた。


 メティスは苦虫を噛み潰したような顔をして――それは、僕が初めて目にしたものだった。

 どこかにじんだ嫌悪の響き。

 それは彼女の仮面の奥にある本音のように感じられて、思わず息を飲んだ。


 その瞬間、彼女の中にある確かな「人間らしさ」に、僕は触れた気がした。


 だが、それでもなお、僕の意識は彼女ではなく、彼女の放った、あの一言に向いていた。


「逆」


 その一言が思考を縫い付ける。


 呪いが人を殺す? 違う。

 殺された卒業生が幽霊になって出てくる?違う。


 殺されたのではなく――殺した。


 誰が?


 考えるだけで背筋が冷えた。

 考えたくなかった。


 けれど、それを確かめるために、僕はあくまで無関心を装って、メティスに問いを投げかけた。


「…幽霊ってのは旧校舎の化学準備室のやつでいいんだよな」


「うん、噂話を聞いた時はびっくりしたわ、私たち以外にも見える人間っているのね、シンも見に行ったんでしょ?」


「ああ、けど別にあんなの大したのじゃないだろう。弱り果てて、今にも消えそうだった。人を殺す前に自分があっちの方が成仏しちまうだろ」


 メティスは、きょとんと目を見開いて、小首をかしげた。


「そう?昨夜見に行ったけど、彼女結構、元気だったわよ」


 表情を崩さずに言うその声は、どこか他人事でさらりとしていた。


「見るなり襲われちゃった。狂暴性も増してるみたい。あやうく殺されかけちゃったわ」


 命を奪われかけたとは思えない、無感情な声音。


「ふわりふわり、宙に浮かんで首に縄。地縛霊なのにね。随分とバイタリティに富んでるんだなって感心しちゃった。生前より生き生きしてるんじゃない?」


 彼女は宙を指さしながら、続けた。


「今夜あたり、もう一人くらい殺せちゃうんじゃないかしら」


 その言葉が耳に入った瞬間、心臓がひとつ、強く跳ねた。

 冗談として聞き流すには、あまりにも声音が軽すぎて、内容が重すぎた。


 ……訊きたくなかった。


 心のどこかで、薄々感じていた。でも、認めたくなかった。


 あれが、まさか――彼女だったなんて。


 メティスの言葉は、胸の奥にかすかに残っていた希望を、容赦なく踏みにじった。

 まるで、封印していた記憶に、いきなりスポットライトを当てられたみたいだった。


「なにか余計なことでもしたんじゃないのか」


「してないわよ、そこまで罰当たりじゃないし」


「それじゃあ……顔が気に食わなかったんだな。にやけ面ばかり浮かべてるからだ」


 口だけが勝手に軽口を叩く。

 喉の奥が乾ききっているのに、それを悟られたくなくて。

 努めて平静を装う。


「………」


 メティスは微笑んだが、何も答えなかった。

 機械的に、硬質的に、無表情に。

 これまでの人らしい笑顔が嘘のように、人間のふりをした人形――そう見えた。


 その笑みが、今はやけに冷たくて、ただただ怖かった。


 沈黙の中――


 チャイムが鳴った。

 無機質に、下校時刻を告げる。


 その音で僕は反射的に立ち上がる。

 無言で荷物をカバンに押し込み、ドアに向かった。

 一秒だってここに居たくなかった。


「今日はお仕事はないんでしょう」


 背後から、声。


「ねえ、見に行ってみない?あの幽霊がどうやって彼女たちを自殺させちゃったのか、確かめてみましょうよ」



 僕は振り向かずに答える。

 メティスの顔が、振り返らなくても、手に取るように思い浮かんだから。


「悪いが、今日は構っていられない。病院で定期健診なんだ」


 言い訳でしかない。

 分かってる。


「それに僕の命はもうそこまで安くない。そう何度も命を懸けてなんかいられない。変なものに首を突っ込んで殺されかけるのはもう真っ平だ」


 自分でも、どこまで本気でそう言っているのかわからなかった。

 足は出口へ向かっているのに、心のどこかがまだ彼女に縛られていた。

 それを振り切るための言葉だった。


 まるで自分自身に言い聞かせるように。


「ならしょうがないわね、じゃあね――また明日」


 僕の想像とは違う寂しそうな声音だった。

 メティスは、それ以上は何も言わなかった。


 その沈黙が、僕の背中にのしかかる。

 振り向こうかと、一瞬思った。

 けれど振りかざした拳を下ろせないように、今さらになって振り向く気も起きなかった。


 僕の背中に彼女の視線が残る。

 振り返らずに教室を出ると、その声はどこにもなかった。

 まるで、あの空間に残響のように溶けていったかのように。


 メティスだけの教室に、彼女だけが残った。



投稿時間を間違えていました。申し訳ありません。

次回更新は5月14日の18時になります。

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