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僕が神さまを殺した日  作者: 利剣
第一章 呪々御供
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4話 この学校では自殺が流行っている

 


 それから結局、下校時間まで学校に居ることにした。


 検診の予定は6時。

 ここから病院までは徒歩で30分程度、途中で用事を済ませたとしても、下校時間ギリギリでも十分に間に合う。


 仮眠をとって少し楽になったとはいえ、完全に体調は好転しきってはいない。


 もう一眠りでもしようかとも考えたがそれはやめることにした。


 もう一度寝たところでまたあの夢を見ることになるだろうし、万が一起きれない場合もある。

 メティスの前でこれ以上、醜態を見せるわけにもいかない。


 果たして次の借りはゲームセンターのぬいぐるみで済む保証もないのだから。

 支援してくれる人のおかげで多少生活が楽になったとはいっても貧乏学生にこれ以上の出費は厳しいものがある。


 登校できていなかった分とはいえ、病み上がりに出す量とは思えない数学の宿題を片しながら、チラリとメティスの方を伺ってみれば、何やらメティスは窓の外をぼーっと眺めていた。



「………」



 何を思っているのか、その表情からは感情を読み取ることができなかった。


 さっきまでころころと移り変わっていた表情が嘘のように消え去っている。

 感情そのものが抜け落ちたかのような横顔で、メティスはただ、遠く緩やかに沈んでいく太陽を見つめていた。


 やけに生暖かい春風が髪を揺らしても、夕日がその金糸のような髪を茜に染め上げようと包み込んでも、それを拒むように光が跳ね返る。


 いや、むしろ光を吸い込んで、さらに艶やかに、まばゆく輝いていた。


 教室を満たす茜色の光のなか、メティスだけが染まらず、そこにただ一人、異質な存在として浮かび上がっている。


 そんな彼女の姿に、いつの間にか僕は目を奪われていた。


 美しい――天然自然とした横顔に、胸の奥にふと沸き起こる、かすかな感情。


 雪の妖精、あるいは人魚姫の辿る儚い泡、そんな静謐で神秘的な印象。


 黙っていればそんな形容ができるというのに。


 それとは別に、彼女は時おり小指に結んだ赤い糸をそっと握り、目を閉じていた。


 何かを願っているのか、それとも単におまじないという行為自体を楽しんでいるのか。


 傍から眺めるだけでは、分からない。


 ……まあ、どちらでもいいことだ。


 僕にとっては、ただあと二十分、静かに時間が過ぎてくれさえすればよかったのだから。



「ねえ、1週間前に亡くなった子やっぱり自殺だったんだって」



 そう思っていた矢先、メティスは思い出したかのようにそうぽつりと呟いた。


 自殺、ゆったりとした空気に似合わない生々しい話題、だがそれはこの一週間に何度となく聞いた話題でもあった。




「…それは今井詩織いまいしおりのことか?」



 一週間前、自殺。この二つの言葉が指すのは、たったひとりしかいない。

 今井詩織、ちょうど僕が登校する前日に自宅で首を吊って亡くなったこの学校の女子生徒だ。


 それを知ったのは僕が登校して間もなくの朝のホームルームで担任の口からだった。

 当時はメティスと僕との会話にクラスが騒然としていた中だった。


 その騒がしさを一瞬で凍りつかせたのが、この話題だった。冷や水を浴びせられたように、教室の空気は一気に沈んだのを覚えている。


 僕としては、クラスメイトからの追及をかわすことができて、結果的には助かったのかもしれない。けれど、もちろんそれを喜ぶ気には到底なれなかった。


 ただ、あのとき教室に満ちた空気――驚きや悲しみとは少し違う、妙に湿ったような、異様な静けさ。


 それを誰もが共有していた《《違和感》》。


 中には、彼女と一年のときに同じクラスだった生徒もいたはずだ。

 それなのに、みんなその空気に口を閉ざしていた。


 それ以降、表立ってこの話題が触れられることはなかった。

 誰もが彼女の自殺を「起きてしまったこと」と受け入れていたように見えた。

 表面上、何も問題がないように、筒がなく日常は進行し続けていた。


 それでもこういった話題は刺激が強すぎるのだろう。


 閉じたグループの中で、細々と囁かれる会話が、ふとした拍子に耳に入る。



「いじめ」「首吊り」――そんな陰鬱な言葉の断片が。



 だからメティスの言い方には、どうしても違和感が拭えなかった。


 ――今さら何を言ってるんだ。


 あれは、誰がどう聞いたって、自殺でしかないだろうに。



「そんなの分かり切ったことだったろ、遺書だって見つかってたんだから」



「そうね、でも大変だっただったのよ。警察が再検証とか言って何回も家に踏み込んできて、ご両親、娘さんが亡くなったばかりだっていうのにね」



 まるで実際にその場にいたかのように、彼女は続ける。




「でもしょうがないことなのかもしれないわね、なにせ先々週に続いて、このひと月でもう三人目なんだものね」


「………」



 この学校では、おまじないと並んで、自殺が流行っている。


 そう口にするのはあまりにも不謹慎で、冷淡ですらあるかもしれない。けれど、事実としてそれは確かにここに存在していた。



 始まりは一人の卒業生だったという。

 彼女は3月31日、高校生である最後の日の深夜。

 今は使われていない旧校舎の理科実験室で首を吊って亡くなった。


 旧校舎は老朽化が著しく、今年度から立ち入りが制限される予定だった。


 老朽化が進んでいたその校舎は、今年度から立ち入りが制限されることになっており、かつて部室として使われていた部屋も、春休み中にはすでに新しい部活棟へと移転が済んでいた。


 中は誰の気配もなく、伽藍洞だった。


 そうした中、最初に発見したのは深夜警備を行っていた警備員だったそうだ。

 発見してすぐに警察、救急隊を呼んだが、発見した時点では卒業生は既に事切れていてしまっていた。


 後の調査の結果、事件性は薄いと判断された。

 不審ではあれど、ただの自殺であると。

 念の為、次の日学校を一時閉鎖したものの、表立って発表されることはなく、内々で処理されることになった。


 春休み中だったこともあって、学校に出入りしていた生徒はごく少数でだった。


 彼女の死を知っていたのは、教師や遺族、彼女と親しかった生徒、そして通夜に参列した一部の卒業生に限られていた。


 そのため彼女の死は春休み中も活動していた一部の部活生の間で流布していた噂話として、ぼんやりとしか語られていなかったそうだ。



 だがそれが全校生徒の明るみになったのは先々週のことだった。


 2人目の自殺者が自宅で首を吊って亡くなり、全校集会が開かれたからだった。


 そしてその出来事から間もない五日前――今井詩織が自宅で命を絶った。



「こういうの、ウェルテル効果っていうの?」



「ウェルテルの悩みか。まあ、そうなのかもな」



 ウェルテル効果、人は死にたいという思いを心に抱いている時、他人の死に触れて感応することで自殺をしてしまうことがあるらしい。


 かつて精神的インフルエンザの病原体なんて言い方をされていたらしいその本は、実際に共感した多くの若者の命を絶ってしまった。


 でも、それにしたって、そういう話はあくまで知識の範囲だった。


 自分の通う学校で、しかもこんなにドラマみたいに、立て続けに死が起こるなんて、想像すらしていなかった。


 本当に――まるで自殺は流行り病のようだ。感染力の強い、目に見えないウイルスみたいに。


 それならば共感という機能は運び手(キャリアー)なのだろうか。


 流行に取り込まれたのか、乗っかってしまったのか。


 今井詩織。


 彼女も、そうだったのだろうか。



「でも迷惑な話よね」



 彼女は教室の窓からグラウンドを見下ろしながら、ぽつりと呟いた。


 グラウンドでは少数の野球部必死に声を上げているというのに、耳に入ってくるのは風の音と、遠くの工事の重機の音ばかりだった。



「そういうことはよせ、不謹慎だぞ」



 思わず声が強くなった。彼女の言葉に苛立ったというより、自分の中の不安をなだめるために、反射的に口に出したのかもしれない。



「分かってるわ、シンだけよ?こんなこと言えるのは」



 彼女は僕の方を向いて、くすりと笑った。


 冗談めかしてはいたが、その目は笑っていなかった。


 少しだけ唇を引き結んで、それから話題を切り替えるように続けた。



「今日だってね、こわーい警察さんが朝から学校の前に張り込んでて、訊かれたの。『彼女らの死に思い当たることはありませんか』って。知るわけないのにね。私、留学生なのに」



「そうか……災難だったな」



 それ以上、なんと返せばいいのかわからず、絞り出すように言った。

 彼女は僕の顔を一瞥し、すぐに目を逸らした。



「冷たいのね。まあ、シンらしいけど」



 皮肉とも冗談ともつかない声色だった。だが、僕はそれにも何も返せなかった。


 やはりというか、メティスは悠然と夕焼けを眺め続けている。


 しばらくして、思い出したかのようにぽつりと尋ねた。



「確か、今井詩織ちゃん。シンの《《元クラスメイト》》じゃなかったかしら?」



 その名前が出た瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。


 でも表には出さず、できるだけ淡々と返した。



「昔の話だ。それに、ただ同じ空間にいただけ……今となっては、彼女も僕のことなんか覚えていないだろ」



「それはそうね」



 メティスはそう言って、それきり黙った。



「……」



 そう、メティスの言うように連続自殺は確かに日常生活の中に暗い影を落としていた。

 どうやら警察は一連の自殺を事件とみなしているようだ。

 特に、今井詩織の件があってからは校内にまで刑事が入り込み、授業中に昼休みにと目を光らせている。

 まるで、ここが捜査対象の現場そのものになってしまったかのように。


 たとえ、一つひとつの自殺に事件性がなかったとしても、こうして続けば、責任という形で波紋が広がっていく。


 PTAからは「学校教育に問題がある」と糾弾され、ネットニュースで取り上げられたことを皮切りに、今ではマスコミが毎日のように門前に張り付いている。


 教師たちの中には、生徒への過剰な干渉に対して抗議している人もいると聞く。

 一部では休校を求める声も上がっているらしいが、それをすれば「隠している」と言われかねない。

 今は、潔白を示すためにも、やり過ごすしかないというのが実情なのだろう。


 僕がこの学校に通いはじめて、まだ一週間も経っていない。

 だけど、その短い時間の中で、ひとつだけ気にかかることがあった。



「なあ、メティス」



 声をかけると、彼女は窓から視線を外さずに答えた。



「なぁに?」



「学校の……いや、クラスの空気、前からあんな感じだったのか?」



 僕の問いかけに、メティスは一瞬だけ考える素振りを見せ、それから言った。



「それは私よりシンの方がよくわかってることでしょ」



「分からないから聞いてるんだ。石像でも空気くらいは読めただろ。で、どうなんだ。僕がいなかった二週間と比べて、最近の雰囲気は」



「私、ちゃんと生きてるんだけど」



 わざと拗ねたように言ってから、メティスは肩をすくめた。



「まあ良いわ。そうね……ここ一週間はちょっと変かも。少し剣呑?な感じかしら。誰しもが不安を抱えてる。会話も減ったし、おまじないをする子も増えた気がするわ」



 それは、僕もなんとなく感じていたことだった。

 実際、仕方のないことなのだろう。穏やかでいられるはずがない。誰かが死んだ。それも、何人も。

 あのときの、今井詩織が亡くなったと知らされた日の教室の空気……思い出せば、確かにどこかおかしかった。


 今ならわかる。

 あれは「諦め」だったのだ。


 誰もが、どこかで察していたのかもしれない。もしかしたら、もう一人続いてしまうのではないか――と。

 口には出さない。希望を捨てたわけでもない。けれど、目に見えない空気が、どこかでそれを肯定してしまっていた。


 起こってほしくない。心の底からそう願っていた。

 でも、起きてしまった。それに対するやり場のない不満、怒り、悲しみ。

 そして、それらが混じり合って生まれた、重苦しいあきらめ。


 僕が気になっていたのは、その諦念が、僕とメティス以外のクラス全体に、まるで共有されているように感じられたことだった。

 まるで、皆が無言のうちにそれを受け入れてしまっていたように。


 だがその疑問は学校で過ごしていくうちに自然と氷解していった。

 どうしてか、それは――。



「それって、詩織ちゃんが死んじゃったのは、いじめが原因だって噂されてるから?」



 メティスが、ぽつりと尋ねた。

 無垢というよりは、針の先のように鋭い問いだった。



「そうだな……それが致命的だった」



 僕は曖昧に頷きながら、言葉を探す。



「本当のところなんて誰にも分からない。ただ、それでも“そうかもしれない”という噂だけで、僕たちは否応なく当事者にさせられる。警察の捜査も、そのことを証明してるように思えるよ」



 警察に呼び止められるたび、教室の前に張り込んだマスコミがカメラをこちらに向けてくるたび、僕らはまるで心の奥にナイフを突きつけられているような感覚に陥る。



「お前たちに、問題があったんじゃないのか」



 そう問われている気がしてしまうのだ。

 たとえ、大多数の生徒には関係がなくたって、一人ひとりに今井詩織との接点がなかったとしても、それでも全員が壱玲高校の生徒という肩書を背負っている。


 その一点で、容赦なく当事者にされてしまう。



「でも不思議だわ」



 メティスは、少し首を傾げた。



「いじめが原因って、別に確定したわけじゃないでしょう? 遺書にそう書いてあったって話も、現場を見たって子も、ほんの数人しかいなかったって……結局全部、噂でしょ」



 その通りだ。

 それに、仮に何かあったとしても、いじめをしていたのはごく一部の人間のはずだ。ほとんどの生徒は、きっと関係ない。

 けれど、それでも「空気」は濁っていく。



「……やってないと分かっててもさ」



 僕は苦く笑って、続ける。



「自分の中にある罪悪感を抱え込むくらいなら、誰かと一緒に吐き出して、濁った空気でも吸ってる方が楽なんだよ。空気ってのは、そうやって自然と染まってくものだから」



 誰かが声に出せば、それが事実になる。

 誰かが噂すれば、それが正解になる。

 今井詩織の死因なんて、誰も分からない。ただ、勝手な憶測が独り歩きして、既成事実みたいに語られていく。


 いじめが原因――そんなふうに言い切る人もいる。

 だけど、死んだ理由を推し量るなんて、結局は他人の都合だ。

 ”ああ、だから死んだんだ”って、納得したいだけだ。


 本当は、誰にも分からない。

 誰も、彼女にはなれないのだから。



「ふーん」



 短く漏れたその声には、関心があるのかないのか、判断のつかない温度があった。


 気がつけばメティスは、窓の外に向けていた視線をゆっくりと僕へと戻していた。

 その動作はまるで、観察対象をじっくりと視界に収め直すかのようで僕は無意識に呼吸を浅くする。


 彼女の目は、まるで翡翠のような緑。だが、そこにあるのは宝石のような硬質な透明感ではなかった。

 澄んでいるのに、どこか濁っている。深く、見透かされるようでいて、こちらからは何も読み取れない。

 まるで、意図的に曇りを宿したガラスのようだった。


 観察されている。

 僕の一挙手一投足、言葉の抑揚さえも、彼女の脳内に記録されていくような錯覚。

 その眼差しがふと揺れて、彼女は口を開いた。



「ねえ、彼女たち……なんで、死ななくちゃいけなかったのかな?」



 無垢とも残酷ともつかない問いかけ。

 彼女の声は柔らかいのに、心の奥に冷たい滴が落ちる音がした。


 僕が虚を突かれ言葉に詰まった瞬間、メティスの唇がわずかに吊り上がった。

 まるで、期待通りの反応を得られたことに満足するように。


 その微笑みには、どこか形の定まらない薄い愉悦が滲んでいた。

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