21話 死者の朝、メティスは笑う
次の日、僕は珍しく、土曜日に登校していた。
理由は単純だった。
昨日の出来事に対して、学校がどんな反応を見せるのか。
それを確かめたかっただけだ。
土曜日の校舎は、ひどく静かだった。
登校している生徒はまばらで、教室の大半は空っぽ。
僕は数学の宿題を口実に職員室に入り、教師たちの会話に耳を澄ませた。
どうやら、深夜、旧校舎に誰かが忍び込んだらしい。
しかも、化学準備室がひどく荒らされていた。
窓ガラスは粉々に割れ、棚の実験器具は残らず床に落ち、危険物がそこら中に散乱していたという。
あまりにも悲惨な光景だったらしい。
そんなわけで職員室は、騒然としていた。
土曜日だというのに、教員は全員出勤していた。
教師たちは口々に憶測を交わし、あの落ち着き払った年配の理科教師まで、声を荒らげていたほどだ。
警察にも相談したらしく、犯人が誰なのかを突き止めようとしているようだった。
結果として、旧校舎は完全封鎖となった。
ちらりと渡り廊下を覗いたとき、警察官が数名、立ち入り禁止の黄色いテープの向こうに立っていた。
まるで儀式のように、誰も近づけない空間がそこに出来ていた。鼠一匹、通れそうもないほどに。
それから――
不登校の女の子が、学校の近くをパジャマ姿で彷徨っていたところを、匿名の通報により、巡回中の警察官に保護されたらしい。
彼女自身、なぜ家を出たのか、理由をはっきりと言えなかったそうだ。
混乱していて、涙ばかり流していたという。
深夜だったにも関わらず、彼女の両親はすぐに駆けつけ、今は落ち着きを取り戻しているらしい。
僕の名前はどこにも出ていない。
――そして、これからも出ることはないだろう。
誰もいない教室。
僕は、ひとり静かに宿題を片付けていた。
鉛筆の音だけがカリカリと鳴って、乾いた空気を震わせている。
それが、僕が聞いた昨夜の“全て”だった。
死体の話題を口にする者は、誰一人いなかった。
当然だ。そんなもの、口に出せるはずがない。
なぜなら――
「だーれだ」
背後から、不意に両目を覆われた。
数字と文字が並ぶノートの上、視界が真っ暗になる。
直後、耳元で囁くような声。
凛とした、透明感のあるソプラノだった。
――誰かなんて、すぐに分かる。
「……立羽さん」
その問いに返ってきたのは、どこか楽しげな声だった。
「ぶっぶー、ちがいまーす。
私、メティス。どう? 驚いた?」
予想通りの満面の笑顔。
それは、昨日――首を吊って、冷たい死体となっていたはずの少女、メティスだった。
「おはよう、シン。今日もいい朝ね」
僕は嘆息しながら、肩を落とす。
一応、お約束はこなしておくことにする。
「なんで死んでない、って聞いた方がいいか?」
「『なんで生きてる!?』…じゃなくて?」
「それは爆発した時のお約束だな」
冗談めかしたやり取りの裏で、僕の心は少しだけ凍っていた。
だが、彼女の首には縄の跡もなく、その笑顔には、昨日の“死”の面影がまるで残っていなかった。
まるで最初から死んでなどいなかったかのように。
そんな僕のいぶかしむ視線を受けて、メティスが語りだす。
「私にとって、死は状態の一つに過ぎないの。
水が氷に、氷が水に。行ったり来たり…。
それが状態遷移ってものでしょう?」
それはルキウス先輩が語っていた理論。
だけど、決定的に違う点がある。
ルキウス先輩はこう言った。
生命が終わっても、なお僕たちは生き続けることが出来る。
幽霊は死後も続く仮想的存在であり、ロマンだと。
けれど、メティスは――
「だから、生きていることも、死んでいることも、どっちもH2O。
本質は、何も変わらないのよ——私は生命じゃないから」
命は本質ではない。
私は生物ではないと――メティスは自分で言ってのける。
人間は、生まれた瞬間から「生」を強いられる。
呼吸を止めることも、心臓の鼓動を拒むことも許されない。
ただ機械のように、しかしあくまでアナログに、絶え間なく、連続的に生き続けるしかない。
それが、命。
それが、人間。
だが、メティスは違う。
死と生を、まるでスイッチのように行き来できる。
断続的に、明滅する発行体。
連続的な水のように生き、固体のように停止する。
それは物質としての変化だ。
けれど、彼女のそれはもっと機械的で、もっと非人間的だ。
――まるで、ゼロと一。生と死をデジタルのように切り替える、電子生命体のような存在。
情報として、存在する者。
氷のように死に、水のように生きている――それが彼女、メティスだった。
……まあ、驚くことではない。
なにせ、これで二回目だ。
死んだはずの彼女が、何食わぬ顔で目の前に現れるのは。
◇◇
「それより、私、覚えてるんだからね!
蹴り飛ばされて、酸の盾にされたこと!」
「ああ……」
初めての戦闘だったから、どうやって何をしたか、あまり覚えていない。
とにかく、自分が死なないようにすることで精一杯だった。
言われてみれば、そんなこともした気がする。
だが——
「そんなことをわざわざ言いに来たのか?」
「そんなことじゃない!」
メティスは珍しく、怒っていた。
満面の笑顔から、怒り顔へ。
感情が目まぐるしく変化する。
まるで昨日の、無機質で沈んだ彼女が嘘だったかのように。
「死んでるのに蹴られるのってすっごく痛いんだからね!?
いや、死んでるから痛くはないんだけど…
とにかく心が痛いの!」
それこそ、死んでいるのに心とは。
死んでも死なない存在の死体を蹴っ飛ばして、何が悪いというのか。
それに、それを言うなら、僕だって言ってやらないといけないことがある。
「僕としては、お前が幽霊のところに行ったことに関して、怒り心頭なんだが」
勝手なことをしやがって、そんな意図を込めた批判をぶつける。
だが、メティスは、それこそ訳が分からないとでも言いたげに、首をかしげた。
「だって私が襲われたら
シンは戦わなくちゃいけないでしょ」
それは信頼、予測、計算――
僕という存在を見透かしたような、超常的な判断。
牡丹真為は、メティスを見捨てることができないという確信。
「私が死んじゃったりして、また世界が変わったりなんてしたら—―大変だものね?」
「……分かっているなら…余計なことをするな」
「はーい……でも今回はシンが悪いんだからね?」
すねたように口を尖らせて、メティスは僕をじっと見た。
「シンが殺しちゃった先輩の恋人さんだったか知らないけど、
毎晩、毎晩、百合の花を持って話しかけに行って……
哀れで、見てられなかったもの」
毎晩、意味のないことを繰り返していた。
メティスには、そう見えたらしい。
実際、そうだろう。
あれは空音先輩ではなく、彼女が遺した執着だった。
僕は、つい昨日までは幽霊を、空音先輩だと思い込んでいた。
幽霊が人を殺していると半ば悟っておきながら、それに目を瞑って。
「背中を押してやったとでも言いたいのか?」
「そんなんじゃないわ、でも、理由の一つ。
シンは私の、唯一の存在だから」
彼女は言った。
「あなたは私の騎士様。可哀そうな姿は、見ていられないのよ」
僕が、あれこれと悩んで、ウジウジしていたのは事実だ。
あのまま一週間が経って、三人目の犠牲者が出ていたら――もう、手に負えない事態になっていた。
おまじないは、完全に根を張っていただろう。
偽物の信仰が完成され、生贄の連鎖は止まることなく、拡大していったかもしれない。
そうなれば、彼女――神楽斎の手を煩わせることになっていたはずだ。
僕が、あの幽霊にケリをつけることができたのは、曲がりなりにも、メティスのおかげだ。
それは認めざるを得ない。
「あ、でも、おまじないが気に食わなかったのは本当よ。
せっかく、シンと同じ学校に入ったのに、シンはいないし、
みんなおまじないばっかりで……つまんなくって」
「それが学校に来てから、一言も話さなかった理由か?」
「ええ、そう。偽物の生贄、殉教。
そんなものでまかり通るおまじないの恩恵、気持ち悪すぎて――ひと言も話す気がなくなっちゃった」
その時のことを思い出しているのだろう。
メティスの表情から、ふっと感情が抜け落ちた。
目も口元も、まるで仮面のように無表情となった。
淡々とした言葉が床に冷たく沈んでいく。
「でも、シンだったら、なにもかも壊してくれるって……ずぅっと楽しみにしてたのよ!」
メティスはすぐに表情を満面の笑顔に引き戻した。
先ほどと対照的なその声は、教室の天井に向かってふわりと舞い上がるようだった。
「まあ、ここまで優柔不断だとは思わなかったけど…」
「……悪かったな」
メティスがやや不満げな目を向けてくる。
それに対し、言葉は返さず、ただ視線を向けて応じた。
「不登校の女の子も連れ出したのは?」
「――あの子は保険よ。いざという時は生贄にしようと思ってたの」
メティスは、なんでもなさそうに言ってのけた。
「幽霊が私を殺せなかった場合、私だけじゃ、シンが動かなかった場合、二つのケースに備えてね。
でも、その前に、ちゃんと私のこと殺してくれたし、シンも来てくれたから……結果的に、必要なかったわね」
ぞっとした。
寒気が背を這い上がる。
その声は、ウキウキとした声音のままだ。
他人の命はメティスにとって、何の価値もないものなのだろう。
「……何のためにそんなことをしに行ったんだ」
「社会性を知るため」
メティスの言葉は端的だった。
「否定してばかりじゃダメだなって。
シンが来てから、みんなと話すうちにそう思ったの。
何もかも偽物だらけでも、それで……幸せを享受できているなら、それも“あり”なのかなって」
彼女の視線は、天井のどこかを見ていた。
そこには、理解の外側にある“人間”という存在への、微かな興味のようなものが浮かんでいた。
「どうしても知りたかったの。
誰かのために死ななきゃいけない、誰かのために何かをしたいって思う気持ちが、どんなものなのか。
……そういうのって、“社会性”でしょ? 私にはないものだから」
「感じ取れたのか? 気に食わないおまじないまでして、幽霊に殺されまでして」
「……駄目ね」
メティスは首を横に振った。
「そういう機能が私にはないから、感じることがそもそも不可能だったみたい。
社会性なんて不要だし。
……むしろ、私は捧げられる側だし」
「じゃあ、何で死んでたんだ
あれは社会性のある人間にしか効かない呪いだろ」
呪々御供――。
死にたいという願望を、おまじないとのネットワークを通じて、“死ななければならない”という責務へと変換する、自殺教唆の呪い。
発動に必要なのは、二つ。
一つ目は、死にたいという思いを持っていること
二つ目は、社会性。
即ち、利他的な心を持つこと。
最後に幽霊が囁いてきた言葉が、僕には効かなかったのは、そもそもの”死ななければいけない”という感情を既に自分で燃やし尽くしていたからだ。
だから、僕の中には、もはや感じる余地がなかった。
死にたいという思いはあっても、変換される死ななければいけないという感情は僕の中にはもうないものだったから。
例外中の例外だった。
それで言うなら、メティスだって同じ例外のはずだ。
なのに――。
「だから……ねえ、シン。
私、本当は“死にたかっただけ”みたい」
それは――。
「私が死んだら、シンがどんな顔をしてくれるんだろうって……楽しみだったみたい」
両手を合わせて、期待に潤んだ瞳が微かに揺れる。
死なない体で、死にたがる。
理解できない。
彼女の思考回路は、やはり、人間のものではない。
それも、僕の反応を、知りたいというだけで。
やはり昆虫だ。
呪いなんかよりも、メティスの方が理解不能で気持ちが悪い。
◇◇
昨日のように、メティスと僕は机を挟んで2人で向かい合っていた。
夕日ではない、太陽の光がうすくベールのように教室を照らしている。
「でも……よかったの。
あの人、大切な人だったんでしょ? 毎日会いに行くくらいには」
「ああ。もう、お別れは済ませたからな」
「……なにそれ?」
「?」
まるで、意味がわからないとでも言うように、メティスが眉をひそめる。
その反応が、妙に引っかかった。
僕も困惑する。
『ねえ、彼女もそう言っていたの?』
あんなことを言ってきたものだから、てっきり、あの夜のことも知っているのだと思っていたのだが。
そういえば、あれは僕の寝言を聞いたから、言ってきた言葉だった。
じゃあ、あの後、珍しく謝ってきていたのは——。
――そうか。
あれは、「自分の知らなかったこと」で、「僕を傷つけたこと」が、予想外で――困惑したんだ。
なんだ、意外に人間らしい面もあるじゃないか。
突然垣間見えたメティスの弱みに、自然と口元がにやつく。
「なんだ、お前でも知らないことってあるんだな。智慧の果実のくせに」
その口元のまま、馬鹿にする口調でからかうと、やはりむっとした顔になった。
「む!」
頬をふくらませて、視線を逸らす。
「シンの馬鹿! 知ーらない!
あのおまじないの、とっておきの秘密、教えてあげようと思ったけど――教えてあげないんだから!」
「とっておきの秘密?」
それは少し気になることだった。
メティスは今回の事件に関して、何一つ嘘はついていなかった。
そんなメティスが言うとっておきの秘密。
そんなものがあるなら是非とも聞いてみたい。
「悪カッタヨ、モウ言ワナイ」
「絶対嘘!」
僕が棒読みで謝ると、メティスはぷいっと顔を背けたまま、口をとがらせていた。
……まあ、しょうがない。
おまじないの秘密を知れないのは、確かに惜しい。
けれど、もう事件はすべて終わったのだ。
幽霊にも、空音先輩にも、もう会うことはない。
おまじないだって、呪いだって、効果が無くなれば緩やかに消滅していくだろう。
これでもう、死ななければいけない人間はいなくなる。
――ただ、一つ。
こいつがどうして僕に執着していたのか。
幽霊のもとへ向かった理由。
そして、自ら死ぬ選択をした理由。
歪んではいたが、メティスの行動は、最初から最後まで僕を第一に考えたものだった。
「どうして、僕にそこまでするんだ」
それを伝えると、メティスはきょとんとした顔をして、言った。
「あれ? 言ったはずだけど?」
「覚えてない」
いつのことを言っているのか、何を言ったのか、指定しないメティスの言葉。
若干イラつきながら、言葉を返す。
「しょうがないなあ
人生一度のプロポーズだったんだけど」
一つ、ため息をついて。
不意に立ち上がり、僕の隣に歩み寄ってくる。
「約束通り」
僕の傍に、メティスがいる。
そこにいたのはまるで人形のような少女だった。
ウェーブがかった金糸のような細い髪。
大理石のような輝く白に包み込まれた肌。
わずかに緑みを帯びた翡翠のような瞳。
それを削り出したかのような彫刻めいた完成された相貌は現実感を感じさせないほど完璧だ。
そんな神々しさすら漂う美貌を、混じり気のない満面の笑みなんかで歪めて。
「智慧の果実たるこの私が――」
ゆっくりと右手を僕に伸ばす。
「――あなただけの神様になってあげる」
それは、いつかの僕が「智慧の果実」に願った言葉。
そして、僕と「メティス」が初めて出会った時の言葉。
死んだと思っていた彼女がいることに、茫然としていて、聞き取れなかった、あの言葉。
――なんだ、そんなことを言ってやがったのか
僕の唇が震える。
肩がこわばる。
どうしようもなく、胸の奥が、ずきりと疼く。
だから――僕もメティスに返すことにした。
あの時、あまりの怒りで、言葉にできなかった言葉。
あの時、言えなかった、誓い。
「メティス」
「なあに?」
差し出されたその手を、僕はしっかりと――取る。
「必ずお前を殺してやる」
ルキウス先輩のいない世界を作った、元凶に。
智慧の果実という世界を変えたシステムに。
善悪を知らないただ一人の神様に。
どうしようもない怒りと恨みをこめて。
そう言って、力の限り――握りつぶす。
僕の手の中で、メティスの手が、ミシミシと音を立てて、ひしゃげていく。
それにメティスは悲鳴や痛みを訴えるわけでもなく――
翡翠色の瞳が、悦びに染まっていた。
紅潮した頬。
口角が、どこまでも持ち上がる。
「ふふふふふふふ………あははははは………!!!」
最上の喜びを示すかのように。
笑い声は、楽しげで、妖しくて、無邪気だった。
握られた手のひらごと、僕の腕を引き寄せる。
そして、両手でそっと、優しく、包み込むように握り返してくる。
恍惚に震える身体ごと、僕に寄り添い――
そして、
――ちゅっ。
僕の手のひらに、そっと口づけを落とす。
それは、どこまでも魅惑的な、堕落の契約。
「ええ、楽しみにしてる!
大好きよ、シン!
いつか必ず――私を殺してみせてね!」
それは何処までも美しい僕だけの“罪”
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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