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僕が神さまを殺した日  作者: 利剣
第一章 呪々御供
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19話 迦楼羅炎

 

 そこには、首を吊ったメティスがいた。


 美しい金髪は乱れ、顔を隠すように垂れ下がっている。

 その首には細い糸。

 まるで操り人形のそれのように、皮膚に深く、食い込んでいた。


 四肢はがっくりと力を失い、ただぶら下がっている。


 ただでさえ、人形のようだったメティスは、糸が切れたマリオネットのように、よりいっそう――芸術品。

 そんなふうに、見えた。


「くすくすくす…」


 メティスの死体のまわりを、白いバレリーナが踊る。

 首に赤い糸を巻きつけたまま、ぶらん、ぶらんと揺れて。

 まるで雑技団の軽業師のように、重力を逆らって舞い踊る様は、もはや生者の所作ではなかった。


 死装束を身にまといながらも、長い黒髪を振り乱し、どこまでも艶やかに。


 それは幽霊のようでありながら、あまりにも生々しかった。


 一昨日、ここを訪れたときには、こんな様子ではなかった。


 僕が見た水面空音は消耗しきっていた。

 死者はもっと静かだった。もっと静かに、ただ沈んでいたはずだった。


「確かに幽霊とは思えないな。生前よりずっと元気そうだ。」


 メティスの言葉には、一分の嘘もなかった。


 水面空音。

 彼女がまるで生きているようにそこにいる。

 記憶の中の彼女よりもずっと、歓喜に満ち溢れて。


 何が、そんなに楽しいのだろう。


 新しい生贄が生まれたことが?

 それとも顔を見るなり襲い掛かるくらい嫌いな奴を始末できたことが?



 歓喜に踊っていた彼女が、ふと、僕の存在に気づいた。


「――あら? あらあらあら?

 まあ、まあ、またいらっしゃってくださったのですね。

 昨夜はお越しにならなかったので、少し心配していたのですよ?」


 くるりと一回転しながら、彼女は笑う。

 血のように紅い糸を巻いたまま、首を傾げて、花のように笑ってみせる。


「でも、こうしてまたお運びくださって。

 本当に、信心深い方。七度参りとは申しませんが……

 ここまで通ってくださるなんて、結ばれたいお相手がいらっしゃるのかしら?

 それとも、どうしても入りたい大学が?」



 ぶらん、ぶらん——首をぶらさげたまま、藻掻くように、動き続ける。

 死後硬直のような、バレエ。


「それとも、それとも……あなたからは、私たちと同じ匂いがします。

 あなたも、本当は“死んでしまいたい”のでしょう?」


 言いながら、幽霊はふと視線を逸らす。

 その目が向かったのは、吊るされたまま微動だにしないメティスの死体だった。

 まるで、それが答えの象徴であるかのように。


 死にたい。

 そう願ったら僕もあんな風に殺されるのだろう。

 それも悪くはない。


 だけど、今日は百合を持ってきていないから。


「…そうだな、死にたいのはやまやまだ。

 もし、目覚めたあの瞬間、あなたが既に死んでいたと知っていたら僕は迷うこともなく頭を撃ちぬいていたよ」


 カリンが止めたとしても、僕は引き金を躊躇しなかっただろう。

 あのとき、ひとつだけ確かなのは、僕があまりに無力だったということだ。


 だからこうしてみっともなく生き続けている。

 僕にもう少しの勇気があれば、こうしてあなたの醜態を見ることはなかった。


「でもさ、同類だっていうんなら…。

 それは見込み違いだよ、空音先輩。

 生きる理由も、正直見つかっていない

 死なないといけない理由だけはまだ見つかっていないんだよ」


 そうだ、死なないといけない理由だけはもう僕の中にはない。


 だけど、今井詩織。

 彼女はそう信じて、命を絶った。

「死ななければならない」と信じ込まされ、誰にも救えぬまま、散った。



「なぜ、彼女たちの思いを加工して、生贄に仕立てたんだ」



「それの何が問題なのでしょうか?」


 僕の問いに、幽霊は悪びれることもなく返す。

 がっくりと垂れた首を、ゆっくりと傾けてみせる。

 それは、問うような仕草——いや、問うふりにすぎない。


 まるでホラー映画の演出顔負けの、芝居がかった動き。


「彼女たちは心の奥底で死を望んでいました。

 それは恐怖に打ち勝てない。

 弱いからでもない。

 本当は生きたいからでもない。

 私はその望みをかなえただけです。」


 死にたい望みをかなえた。

 そこに問題はない。

 願いに善悪の概念はない。


 けれど——


 願いを助長し、あるいは制限するのが倫理だ。


 水面空音がやったことは、他の生徒たちの願いをおまじないで叶えたことと、理屈としては同じ。


 だが、僕が知っている空音先輩なら、そんなことは言わなかった。


 善悪の概念をもろとも、人間の機微までも失ってしまったかのような、その答え。


 自殺という結末に正当性の仮面をかぶせる彼女の声は、あまりに静かだった。

 まるで、それが当然の帰結であるかのように。


「確かにそうかもしれない。

 誰が背中を押さずとも彼女たちは死んでいたのかもしれない。

 けど――死なないといけないなんて、そんな遺書。

 あまりに蛇足だろ」


 最期の選択に、死に意味を付け加えようとする行為。

 それは、あまりに身勝手だ。


「生にも死にも、意味をつけてはいけない。

 死は、ただの生命の状態遷移だ。

 僕たちはただここに存在しているだけなんだから。

 死だって、ただ“いなくなってしまった”だけなんだ。

 そこに理由や因果があったとしても、意味ではない。」


 なのに――


「彼女たちの自殺は、人生における最後の選択だった。

 その思いを歪めて、あまつさえ、死後、彼女たちの苦しみも知らない人間から言葉を再解釈される。

 だから死んだんだって、納得するためだけに彼女たちの思いや決断は、歪められる。

 そんなの…あんまりじゃないか」


 震えた声音。

 だけど、幽霊は――


「ふふふ…あははは」


 まるで、小さな子どもが秘密を聞いたときのように。

 くすくすと、楽しそうに。


 僕の言葉は気にも解さず幽霊は一層楽し気に笑い続ける。


 もう、話しても無駄か…。


「遺言に聞いておきます。

 空音先輩。なんであなた、死ななければならなかったんですか?」


 おまじないの主体としてネットワークになるため。

 空気になるため。


 カリンはそう言っていた。

 でも、僕にはそうじゃない気がしてならなかった。


 僕は、彼女の口から聞きたかったのだ。

 本当の動機を。


 幽霊はそれまでの縦横無尽のバレエをピタリと止めて、静かに、まっすぐにこちらを見つめた。


「私は、会いたかっただけ……!

 いなくなってしまった、あの人に会いたいの……!

 だから、死んだの!

 赤い糸が、きっとあの人の元に繋いでくれるから!

 だから私は、死ななきゃいけなかった!

 あはは、ふふふふ、あははははは!!」


「なら、その人の名前は覚えてますか?」


 問うた。願った。

 あなたが水面空音であることを。

 あなたが空音先輩であることを。

 だけど――


「名前?

 そんなの知らなくたって関係ない。

 だって私はあの人を愛しているから!!」



「そうですか」


 答えはでた。あの日出せなかった答えは。

 こんなにもあっけなく、簡単に。


 今まで迷いに迷い続けていたのが馬鹿みたいだ。

 あれこれ迷う必要なんて初めからなかったのだ。


「安心したよ」


 僕の声が低く、はっきりと――


「あんたやっぱ『執着』だ」


 月だけが照らす化学準備室の中に響く。


 ポケットの中で、白い包みが存在を主張する。

 それをそっと取り出す。

 包みは小さく、それでいて異様に重かった。


 白布の包みを、そっと空中へ。

 ハラリ、落ちる。


 僕の手に残ったのは――一丁のリボルバー。


 パイソン。

 そう名付けられた、古びたリボルバー。


 鉄の匂いと硝煙の記憶を宿した、遺物のような拳銃。

 日本においては、ただ所持しているだけで罪となる代物。



 銃身の下には、余計な附属品――小さなナイフが取り付けられていた。

 カッターナイフと見紛うほど小さく、しかし鋭利な刃先。


 それは銃剣にも満たない、まるで玩具めいた殺意。

 けれど確かに、人を殺せるだけの現実だった。


「あんたが求めてるあの人――ルキウス先輩は」


 ナイフを首に当てた。

 頸動脈。そこにわずかな圧を込める。


「僕が殺した」


 一思いに、引き裂いた。



 ――瞬間、赤が爆ぜた。


 鮮血が、宙に弧を描いて吹き上がる。


 頸動脈を抑えることもせず、真っ赤な血がまるで壊れた噴水のように。

 夜の闇に、音もなく鮮血が拡がっていく。


「……!?」


 幽霊が瞠目している。

 不愉快だった笑い声を忘れて。

 その顔が、あまりにも滑稽で、僕は笑った。


 あんたがやったことと、なにひとつ違わない。

 むしろ、丁寧に模倣してやっただけのことだ。


 見せつけるような自死は、あんたの十八番だったろう。

 まさか、自分がすでに死んでいることを、忘れていたのだろうか?



 僕の体から血液が大量に失われていく。


 意識が、深い水底へと沈んでいく。

 視界が暗く濁り、呼吸の音が遠のく。


 世界がどこまでも冷たくなっていくように感じる。


 体が、死体になっていく。


 死が近づいてくる。


 ――否、僕が、死へと歩み寄っていく。


 それでも構わず、僕は口を開いた。


生老病死(せいろうびょうし)愛別離苦(あいべつりく)怨憎会苦(おんぞうえく)——あまねく苦は、煩悩より生ず」


 静かに、

 厳かに、

 まるで神に捧げる祝詞のように。


妄執(あなた)を殺す祝詞を告げる」


 鮮血の残るリボルバーを包み込み、両手を組合す祈るような仕草。


 掌の奥から、血が泡立ち、煮えたぎる音もなく熱を孕む。


 いや――それはもう、血ではなかった。


「カルマ」


 その言葉を合図に、足元から真紅の液体が沸き立ち始める。

 泡立ち、蒸気となり、そして――炎へと。


迦楼羅炎(かるらえん)


 ――瞬間、全ての血液が火へと転じた。


 真紅の炎は静かに、僕の全身を包み込む。


 炎は模る。

 僕という支柱に、渦巻きながら。


 咲き誇るように。

 絡み合うように。


 それは牡丹。


 牡丹真為が産まれたときから、そうあれかしと模られた魂の形。



 そして、これはカルマ。


 不動明王の、慈悲と智慧の炎。

 煩悩を焼き尽くす、神聖なる火。


 そう名付けられた牡丹真為の罪。


 罪人の業。




 気づけば、流血は止まっていた。

 全ての血は、炎へと転じていた。


 僕を包む赤。

 熱くもなく、温かくもない。

 そこにあるのに、何も感じさせない。


 ただ静かに。

 ただ確かに。


 冷たくなった体の周囲で、音もなく揺らめく。


 夜の闇に、炎が未明を灯す。


 化学準備室のガラスに、実験器具に、炎の光が映る。


 そこに僕の顔がぼんやりと映り込む。


 ――嗤っていた。


 黒髪を揺らし、赤い瞳で、爛々と輝かせて。

 牙を剥くように、嗤っていた。


「――あんたを殺す。

 自殺のように、楽に逝けるとは思わないことだ」


 これから殺される幽霊をどこまでも哀れんで。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

次回更新は明日の5月28日18:00になります。

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