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僕が神さまを殺した日  作者: 利剣
第一章 呪々御供
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1話 君の罪はなんだい?

 

 多分、僕は夢を見ている。


 僕の目の前には死体が転がっている。

 死体といっても綺麗なものだ。


 重力に抱きかかえられるように横たわった体には何の力も込められていない。

 安らかに眠っているようにさえ思えるその姿は、白いシャツのせいか、まるで百合のようだった。


 ——彼が好きだった色だ。


 けれど、それは確かに死んでいる。

 その顔の中心、眉間にはぽっかりと穴が空いていた。まるで、出口のないトンネルのように。


 そこを貫いた何かが、頭蓋の奥深くを通り抜けたことを示すように、血とも脳漿ともつかない生臭い液体が、地面に水たまりを描いていく。


 そんな水たまりの中に彼は安らかに沈んでいる。

 顔は既に血の気を失い、代わりに色を移すように白のシャツに、冷たくなった命の痕跡を刻み付けていく。


 それでも、自分が死んでいることをまだ知らないのだろう。

 ハイライトを失った青色の眼球がぎょろりと飛び出し、ぼんやりと形のない空を見つめていた。



 僕がこれを夢だと気づいたのはこの景色が何度となく見たものであったからだ。

 夜が来るたびに波が押し寄せるように、いつもこの光景を見る。決して忘れるなと僕が僕に言い聞かせるように。


 抗えない映像が、まるで古びた映画のフィルムのように繰り返される。

 それでも、椅子に縛りつけられた観客として、僕はただ眺めるしかない。

 おかげで眠らずとも瞼の裏に焼き付き、夢の中であってもこうして夢を自覚することが出来る。



 ──明晰夢。


 夢だと自覚して見る夢を、人はそう呼ぶ。

 滑稽な話だ。


 魂が脳に宿るのだとしたら。


 この夢という砂の箱庭が脳の中で織られているのだとしたら。


 ……魂は、結局、どこにも自由になどなれないということになる。




「先輩は…なぜ消えてしまったんですか…」




 死体に話しかけても無駄だろうに、それでも僕は口に出さずにはいられなかった。

 きっとそれは、夢が彼に話しかけることのできる唯一の場所だからだ。


 けれど、死体は何も語ることはない。ただ飛び出した眼球が僕を見つめ続けているだけ。

 きっと彼の魂は眉間の風穴から抜け落ちてしまったのだろう。



「………」



 それを証明するかのように開いていた瞳孔が収縮し、形のない空をとらえる。

 そして青ざめた唇が持ち上がり言葉を紡ぎ出す。



「知っているかい、創世記に名高い知恵の果実。ヨーロッパではリンゴとされているけれど、それは翻訳の綾であるらしい。」



 それはかつてのリフレイン。

 僕の脳内で生きる彼が繰り返す記憶の彼方。

 確かに彼が話したはずの言葉を死んだはずの声帯がしゃがれた声でエミュレートする。

 まるで記憶の糸で操られたマリオネットのように。



「ラテン語におけるMalus、悪という意味らしいけれど英語ではリンゴの意味になるんだ。

 翻訳した際の小粋なダジャレかあるいは誤訳か、いずれにしても面白いと思わないかい?」



 そこでさっきまで流暢にしゃべり続けていた死体の口が止まり、夢の中が静寂に満たされる。


 けれど死体の瞳は今も僕に焦点を合わせ続けている。


 僕の言葉を待っているのだ。

 分かっているさ、夢を見ているからといって僕が夢の主というわけじゃない。


 所詮、僕もまた夢に囚われているだけの人間なのだから。

 死んだ彼と何も変わることはない。



「…そうなんですね」



「他にもいろんな説があるんだ。

 その後、アダムたちが秘部をイチジクの葉で隠したことからイチジクであるとするとか。

 地域によってもね、スラブではトマト、ユダヤでは小麦だったかな?」



「それは…知りませんでした。先輩は博識ですね」



 観客のいない応答劇。

 虚しさばかりが募る。



「君はまだまだだね、真為」



 それでも、死んだ表情筋で先輩が屈託なく笑う。

 笑ったと分かるのはきっと僕の記憶の中の彼が笑っていたからだ。



「聖書には具体的な表現はされていないから、後の時代の聖職者や宗教学者、画家、いろんな人の解釈が綯交ぜになって現在の認識は形作られている。

 そしてその時代、地域によって受け入れられやすい形の物語が取り入れられるんだ。」



 そうして、彼の枯れた右腕が力なくふらふらと持ち上がった。



「でも、一つだけ、どんな時代でも変わらなかったことがある」



 どうやら夢の中でも重力はあるらしい。

 持ち上がった右腕はある地点で不自然に止まり、自然落下した。


 そして、今はもう動いていない心臓を叩いた。



「罪ですか」



「そう、真為もわかってきたじゃないか」



 意識せずとも口が動く。

 彼が何を言うのか、僕が何を言ったのか一言一句、脳内に作られた夢という領域は記憶しているのだろう。




「罪はぼく達に共通するただ唯一のものだ。

 あらゆる神話、宗教、哲学。形や解釈は違ったとしても同じだ。誰もがそれを抱えていると語りかけてくる。

 目には見えない魂がもしも罪の形をとっているのだとしたら。

 生まれながらにしてぼく達がそれを背負っているというのなら、なぜそんなものが必要だったのだと思う?」




「それは――」




 彼のその言葉に、僕は何かを言いかけた。

 だってそれは、あるはずのないこの夢の続きだったから。

 けれど、僕が言葉を形にするより先に、喉が「ひゅっ」と空気を漏らす音を立てた。



 ……見つめていたから。

 横たわった死体が。

 眼底から神経の糸を引いた碧い瞳が――静かに、まっすぐに、僕を見つめていた。



「ねえ、真為」



 青ざめた唇が、顔を伝う血液に生気を映して、確かにほほ笑んだ。



「君の罪はなんだい?」

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