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僕が神さまを殺した日  作者: 利剣
第一章 呪々御供
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17話 僕のイデオローグ

 

「……たん………たんくん」


 優しい声が聞こえる。

 人を落ち着かせるのに慣れた、そんな出来た大人の声。


「牡丹くん」


 その声が、眠りの底に沈んでいた意識をそっと掬い上げる。

 まぶたを開けると、目の前にひとりの男がいた。


「…ドクター…」


 白衣を羽織ったその人は、四十代と聞いていたが、年齢よりもずっと若々しく見える。

 目元にうっすらと皺はあるものの、どこか研修医のようなあどけなさが残っていた。

 細身のフレーム眼鏡の奥に、やわらかく光る瞳――その視線はまっすぐに、僕を見ていた。



「お疲れ様。検査の結果が出たから、ちょっと共有したいんだけど……大丈夫そうかな?」


「……僕、寝てました?」


「うん。ぐっすりとね」


 彼は慣れたように優しく笑った。


 ◇◇


 まぶたの奥に残る夢の残滓を払いのけながら、診察室へと静かに移動する。

 薄いカーテンが揺れ、医療機器の無機質な音が、わずかに響いていた。


「身体測定、血液検査、視力検査――どれも異常なしだったよ」


 医師は端的に結果を伝えたあと、ファイルをめくり、少し声のトーンを変えた。


「ただね、脳スキャンと脳波に、ちょっと面白い結果が出ていてね」


 好奇心を抑えきれない子どものように、彼は目を細める。


「君の能力と目は、どうやら脳の機能に深く関連しているらしい。

 とはいえ、脳に関係しているということが分かっただけで……つまり、詳しいことは何も分からなかった、ってことなんだけど」


「……そうですか」


 僕は曖昧に頷いた。期待していたわけじゃない。でも、何もわからないという結果には、どこかがっかりしてしまう。


「もし君さえよければ、これからも調べさせてもらえないかな? 検体として、君は非常に興味深い存在だから」


「…お金をもらえるなら」


 少しためらいながらも、そう口にした。

 最近は出費ばかりがかさんでいる。

 バイトは休んだままだし、支援者の人がお金を出してくれてはいるが、できれば、あのお金には手を付けたくなかった。

 何もしていないのにお金だけをもらうなんて


 不躾ともいえる僕のお願いにドクターはあっけらかんと笑った。


「もちろんだとも」


 そのとき、彼の目がふと僕の顔を見つめた。

 どこか安心したように微笑んでいた。


「どうかしましたか?」


「顔色が少し良くなったな、と思って」


 彼はそう言って、わずかに首を傾ける。


「今日は、いい夢でも見られたのかな? それとも――カリンとドーナツでも食べたおかげ、かな?」


 一瞬、心臓が跳ねた。

 なんで……バレた?


「図星だったかな? 口に砂糖がついてるよ」


 慌てて袖口で唇の端をぬぐうと、確かに、少しだけ白い粉が残っていた。


「君が来てから、カリンもずいぶんと体調が良くなったよ。これからも、二人でいい影響を与え合ってほしいな」


 ドクターが冗談めかして、ウインクする。

 怒る気なんて、最初からなかったみたいだ。


「だからドーナツくらいは、大目に見てあげるよ」


「……はい」


 申し訳なく頷いたあと、彼の声がもう一度、穏やかに告げた。


「今日の検査はこれで終わり。夜も遅いから、気をつけて帰ってね」


「はい、ありがとうございました」


 椅子から立ち上がり、頭を下げる。

 静かにドアの方へ向かおうとしたそのとき、背中越しに声がかかった。


「ああ、そういえば――MRI中に、何度か電話がかかってきてたよ」


 振り返らず、もう一度だけ軽く頭を下げて、僕は診察室を後にした。


 ◇◇


 診察室から出て、スマホを確認する。

 確かに何件かの不在着信と、ひとつの留守番電話。


 発信元は――


「……立羽さん?」


 留守番電話を開いた瞬間、焦ったような、早口の立羽さんの声がスマホから溢れ出した。


『牡丹くん、こんな時間にごめんね!

 実は今、さっき話した不登校の子の家に来てるんだけど…その子が行方不明なの!』


「行方不明…?」


 焦った立羽さんの声。

 その奥から何やらいくつもの騒音がノイズとなって響いてくる。

 その中には人の話声のようなものまで聞こえてくる。



『ご両親に訊いたら、少し前まで部屋にいたのに、急に居なくなったって。

 捜索届を出したから。それで家の前に警察も来てて…。

 写真を送るから、もし見かけたら私に教えて!』


 スピーカーにしてメッセージアプリを開くと、確かに写真が届いていた。

 眼鏡をかけた落ち着いた顔立ちのショートカットの女の子。

 見覚えはない。

 だが、記録はそれだけでは終わらなかった。


「後、それから――」


「?」


「勘違いかも、関係もないかもしれないんだけど、学校にメティスちゃんが入っていくのを見たっている子がいて、一応知らせておくね」


 そこで、音声は途切れた。


『ねえ、見に行ってみない?

 あの幽霊がどうやって彼女たちを自殺させたのか、確かめてみましょうよ』


 メティスは、確かにそう言っていた。


 このタイミングで、不登校の生徒の失踪と、メティスの目撃情報。

 偶然のはずがない。


 落ち着け。まずはメティスに連絡を。

 そう思ってスマホを操作しかけて、気づいた。


 メティスは、携帯を持っていなかった。


「何をやってるんだ……あいつは……!」


 考えている暇はなかった。

 メティスだけじゃない。不登校の生徒まで、姿を消している。


 ――これは、緊急事態だ。


 僕の直感が正しければ、二人とも……学校にいる。


 留守電が残されたのは、一時間前。

 現在、時刻は23時。


 MRIはとっくに終わっていた。

 優しいドクターが、僕を少しだけ眠らせてくれたのだ。


 その優しさが、今は少しだけ重い。



 足音を抑えながら、消灯済みの病院の廊下を早歩きで進む。

 音を立てれば、夜勤の先生に見つかる。

 これ以上ドクターに迷惑をかけるわけにはいかない。


 静まり返った、果てのない廊下。

 その最奥の部屋だけが、消灯時間を知らないかのように、煌々と明かりを灯していた。


 やっとの思いで辿り着き、抑えきれずにスライドドアを開け放つ。


「カリン…!」


「シンナ? どうかしましたか、こんな時間に」


 ベッドに横たわりながら、カリンは分厚い翻訳小説を無造作にブックスタンドに立てかけ、一枚一枚、ゆっくりと捲っていた。

 優に五百ページは超えているだろうその本は、彼女の静かな夜の時間を埋めるには十分すぎるほどの重みを持っていた。


 そのさなかに、カリンがこちらに目を向ける。

 そして僕の顔を見て、一拍で異変を察したようだった。


「水面空音に何かありましたか?」


「…話が早くて助かるよ」


 カリンが静かに上体を起こす。僕は彼女のもとへと歩を進める。

 足元の積み重ねられた書物の塔を倒さぬよう慎重に間を縫って。


「ここには預かってほしいものあって来た」


 そう言って僕はバックからある物を取り出した。


「これは…百合ですか」


 白百合。

 穢れのない白。

 死を悼む色。


 僕の覚悟にはもう必要のないもの。


「そうですか、覚悟は決まったのですね」


 それだけでカリンはすべてを察したようだった。

 花瓶の置かれた棚へ迷いなく手を伸ばし、二段目の小さな鍵を開ける。

 その動きは、まるで予め決められていた儀式のように滑らかだった。


「では私からは餞別としてこちらを」


 カリンが差し出す、白い包み。

 大きさの割にそれはずっしりと重い。

 それが何なのかは確認せずとも分かった。



「自殺未遂者に持たせるものじゃないな、これは」


「ですが、あなただけが持つべきものです」


「そうだね、助かるよ」


 職務質問でも受けたら一発でお縄だ。

 見られては困る。

 だから、白い包みのまま、誰にも見られないように、無くさないように、制服のポケットに丁寧に押し込んだ。

 それでも、相当の大きさの包みは、ポケットの中でそこにあることを主張するように重く沈んでいた。


「シンナの能力に合わせて調整してあります。使い方は分かりますね?」


「ああ、大丈夫だ」


 訊くべきことはすべて訊き終わった。

 今井詩織がなぜ死んだのか、水面空音が自殺した理由。

 そして、彼女たちがなぜ死ななければいけなかったのかも。


 渡すものは渡したし、餞別も受け取った。

 この病室にもう用はない。

 カリンに背を向け、病室を後にする。


 けれど、最後に一つだけ、どうしても個人的に聞きたいことがあった。

 背を向けたまま、僕はカリンに問いかける。


「あの幽霊は、空音先輩が死んでもなお、生き続けているのかな?」


 静寂の中に、問いだけが残る。


「それとも……彼女の記憶の残滓が、そう見えるだけの現象に過ぎないのかな?」


 ――死は生の状態遷移に過ぎない。


 記憶を継続し、自我を保った幽霊という存在はそれを証明している。

 多分、ルキウス先輩はそのことを知っていた。


 この言葉は彼にとって、単なる理論ではなく、経験だったのかもしれない。


 もし前者なら僕は空音先輩を三度も――



「それはあなたの目にどう映るかですよ」


 僕の背中に、カリンは端的に告げた。

 声は静かで、けれどその芯には確信のような熱があった。


「あなたの贖罪は誰かが与えてくれるものじゃない」


 贖罪。

 その言葉は、背中ではなく、胸に届く。

 痛みではなく、重さとして沈んでくる。


 僕の道を示すコンパス。

 罪としての生きなければならない理由。


「あなたの場合、社会の漂白機能は機能しない。

 なにせ、存在しない罪なのですから」


 そう、あの日、僕たちは誓った。

 二人だけの夜空のもとで。

 シンナとカリン。

 名前しか知らない世界を裏切るたった二人だけの罪人たち。


「だから、迷わず、惑わされず、あなたの道を進みなさい」


 言われるまでもない。

 それでも、僕は背中を押してほしかった。

 ただの言葉で構わない。

 ただ、君に肯定されることが必要だった。


「行ってくるよ、僕のイデオローグ」


「行ってらっしゃい、私の共犯者――Synner」


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

次回更新は明日の5月26日の18:00になります。

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