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僕が神さまを殺した日  作者: 利剣
第一章 呪々御供
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16話 『僕』の罪

 

「ねえ、真為。君の罪はなんだい?」


 ふいに、少年が尋ねた。


「それは……生きる理由、という意味で、ですか?」


 問いの真意を測りかねながら、『僕』は腕を組み、しばらくのあいだ沈黙した。

 頭の中で言葉を探すように、何度も何度も考える仕草を繰り返すが、

 それでも答えは見つからなかったらしい。

「うーん」と唸っては首をひねる様子は、まるで小さな迷路に閉じ込められた動物のようだ。


「ま、今は考えつかなくてもいいよ。おいおいと考えていけばいいさ。君には少なくともあと一年は時間があるんだから」


 金髪の少年は、『僕』の様子を面白がるように目を細め、窓の外を一瞥してから続けた。


「ぼくは大変だよ。進路調査に、模試に、受験……」


 彼は指を折りながら、ひとつひとつ、機械的に言葉を並べた。


「せっかく()()大学に入ったとしても、

 ()()企業に入るには、今は一年生のうちからインターンを始めろって言うんだ。

 他にはない経験が大事らしい。

 まるで、珍しい人間の見本市でも作る気かと思うよ」


 口調は軽やかに、けれど言葉はどこまでも皮肉に満ちている。


「だからさ、今の人間は、愚かさが足りていないよ」


 コーヒーカップをまるで酒のように一気にあおると、少年は息を吐くように呟いた。


「誰もが賢くあることを求められてる。

 人生はあなただけのものです、

 あなたのなりたい自分は何ですか?って」


「なんていうか、そう聞くと宗教勧誘みたいですね」


『僕』が皮肉まじりに返すと、彼はすぐさま言葉を重ねた。


「むしろ、より悪質だよ」


 コーヒーを飲み干したばかりだというのに、彼の言葉は乾いていた。


「若さと実利の面でさ。

 誰も経験したことのない理想を押しつけながら、誰もが視野の狭さに気づかない。

 そのくせ、社会的な望ましさは金額で換算されてるから、認知と評価はしやすい」


 人差し指と親指で丸を作る――お金のポーズ。


「世界は分かりやすい指標で溢れている。

 なのに、僕たちを本当に叙述できる言葉は、決定的に足りていない」


 少年は肩をすくめ、困ったような、諦めたような笑みを浮かべた。


「だから同時に、プログラムされた理想の人生が蔓延っている。

 本来、人間は、考えるのが苦手な生き物なんだよ。

 目の前の報酬を、過大評価しやすい」


「だから、考えるのが苦手な人間は社会的に望ましい姿に殺到する…」


『僕』の言葉に、少年は軽く頷いた。


「そう。それでお手本みたいな顔をした偽った理想の姿が蔓延する。

 勘違いして飾り立てて、恥じることもなく、それを見せびらかして。

 そういう人間が、むしろ幸福に見える時代だよ」


 達観した口調。けれど、それはどこか苦笑混じりで。


 たぶん、大人から見れば、世間を知らない若者が生意気に斜に構えているだけのように見える。


 でも彼自身、それをわかったうえで話しているのだ。

 だからこそ、『僕』と彼しかいないこの小さな部屋で、誰にも聞かれないように、愚痴のように、本音を吐いているのだろう。


「ふふ……かもしれませんね」


『僕』は、どこか曖昧な声音で笑った。

 それが理解の笑みか、誤魔化しの微笑か、自分でも判然としなかった。




「だからさ、幽霊ってのは興味深いとは思わないかい?」


 唐突に、少年の表情が一転した。

 晴れ渡るような無邪気な笑顔。空気が軽くなる。


「…結局そこに繋がるんですか?」


 呆れたように『僕』が問い返す。

 それに、彼はごく当たり前のことのように答えた。


「当然だよ。ぼく達はオカルト研究部なんだから」


 そのとき――


「それを言うなら一応、まだ4時間目なんだけど。

 授業をサボって、何を話してるのかな、君たちは?」



 その声と同時に、水の膜がふと揺れた。

 まるで水面を指先でなぞるように、波紋が広がっていく。

 そして黒の長髪の少女が姿を現した。


「空音先輩…」


 名前が自然と僕の口からこぼれた。

 手を伸ばそうとして――自分の体がぴくりとも動かないことに気づいた。

 懐かしさか、それとも別の感情か、声が微かに震えていた。



「やあ、空音。君もサボり?」


「んなわけないでしょ。先生に呼び戻して来いって言われたの」


「行くと思う? 僕が運動苦手なの、知ってるでしょ」


「だからって普通サボる? あんたがサボったら、お目付け役の私まで怒られるんだから、勘弁してよね」


 そう言って、今度は空音先輩が『僕』の方を向く。


「真為くんも、君もね。良い後輩だと思ってたのに。残念だよ、私は」


「それが、僕も……授業の帰り際に三階を通ったときに、先輩に『今、暇かい』って連れていかれて」


「………」


 無言で金髪の少年をじっと見つめる空音先輩。

 言葉を発さないその眼差しは、圧そのものだった。

 怖い。


「違う! これは誤解だ! いや、違くないんだが……とにかく違う!」


「ふーん……まあ、いいや。私もお湯ちょうだい。緑茶ね」


 拳骨を食らうと思って身を縮めた金髪の少年の頭上を、すたすたと空音先輩が通り過ぎる。

 音を立てて椅子に座る姿を、金髪の少年はキョトンとした顔で見上げた。


「おや、連れて行かなくていいのかい?」


「優等生やんのも楽じゃないのよ。授業にはもう十五分は参加したし、説得に時間がかかったって言えば見逃してもらえるでしょ」


「その発言、愛乃さんが聞いたら卒倒しそうですね」


 そう言いながらジャージのファスナーを緩める空音先輩に『僕』の静かなひと言。


「真為くん、愛乃ちゃんには黙っておいてよ。あの子の前では良い先輩でいたいんだから」


「僕の前では?」


「悪い後輩の前では、悪い先輩でいるのが礼儀よ。――あ、先生に怒られたら、あんたのせいにするからね」


 空音先輩が金髪の少年を指さす。

 その仕草を受けて、彼はやれやれと首をすくめた。


「相変わらずしょうがない、お姫様だ。真為、緑茶を淹れてやってくれ」


「いや、あんたがやりなさいよ」


「痛いッ!」


 空音先輩が、金髪の少年の両のこめかみを握られた拳でグリグリと容赦なく抉る。

 少しの慈悲も残さずに。

 見ているだけでぞっとするような光景だ。


「痛いっ! 本当に痛いッ! 手加減ってものを知らないのか、君は!」


「抵抗してみなよ。男の子でしょ?」


「出来るわけないだろ…! 君の方が力が強いんだから!」


 言い合いながらも、ふたりの頬にはどこか笑みが浮かんでいた。

 本気で嫌がってるようには見えない。

 仲睦まじい夫婦漫才。


 それを見て『僕』が小さく笑い声をもらした。


◇◇


 ビーカーの中でお湯が沸騰寸前に踊る。

『僕』はそれをトングで掴み、うさぎ柄のマグカップに注いだ。中には緑茶のティーバッグ。


「それで、何の話してたのよ」


 淹れられた緑茶を息で冷ましながら、空音先輩がどこからともなく取り出したポテチの袋を広げる。

 三人でそれをつまみながら、会話が再開される。


「罪は生きる理由で、幽霊はなぜ生まれるんだろうって話だよ」


 金髪の少年が、こめかみをさすりながら言った。


「ふーん? 恨みつらみじゃないの?」


「その発言、お父上が聞いたら涙を流すよ」


「はいはい、落ちこぼれで悪かったわね」


 空音先輩はそう言って、金髪の少年とそっくりな仕草で緑茶を飲もうとして――


「あっつ……!」


 普通に火傷した。

 その様子に、部屋の中にくすくすと小さな笑い声が二つこぼれる。


「ふふ…まあ、でもそれも一つだろうね。けどさ、感情ってのは不確かな機能だからさ。

 全員が全員そういうわけじゃないと思うんだよ。」


「と、言いますと?」


『僕』が聞き返した。


「仏教の言葉で言えば、『執着』ってやつさ。

 こうあるべき、こうでなくてはならない――そういう固定された考えや欲望に囚われることを言うんだけどね。

 でもさ、自分の考えてることと、実際に望んでることって、案外ずれてたりするんだ。

 激情に飲まれて、自分の本心がわからなくなるってこともある」


「つまり思い込みってことですか。自分で心を縛ってると」


『僕』の言葉に空音先輩が首をすくめた。


「よくついて行けるね、真為君。こいつの意味わかんない理屈に」


 彼女はポテチをひとつ口に放り込みながら、呆れたように金髪の少年を見やる。その言い方は皮肉交じりだが、どこか楽しげでもあった。


「子供の頃は理知的で可愛い子だと思ってたのに、成長したらもう痛々しいくらいの高2病。もう高3なのにね。」


 あーあ、とでも言いたげにわざとらしくため息をつく。空音先輩の視線は金髪の少年の横顔に向けられている。


「空音、うるさい」


 少年はむくれたように口を尖らせてそっぽを向く。頬を膨らませるようなその仕草は、まるで年の離れた姉にからかわれる弟のようだった。



「思考は言語によって規定される。聞いたことはあるかな?」


「言語的相対論…」


「そう」


 少年はいじけた表情を作り直し、声のトーンを少し落とした。


「産まれたとき、ぼく達には六つの基本的感情が備わっている。

 脳の発達も不十分だから、それをぼく達は衝動として、行動で表す。

 好きなおもちゃがあれば、それに執着するし、おねしょをしたら泣く。

 そうした行動を見て、大人たちが『空音ちゃまはガラガラが好きなんでちゅね~』なんて言葉による意味づけをするんだ」


「なんで私なのよ」と、空音先輩が睨むが、少年は気づかないふりをして続ける。


「子供の頃はそれを疑問には思わない。そうして知らず知らず、ぼく達の感情は言語の形を基に成形されるんだ」


 無視された空音先輩は、むっとして横を向いた。

 その姿を『僕』が少しだけ追いかけた。


「けれど思春期で自我が明確になるとともに、いろんな複雑な感情に出会う。

 ぼく達はその叙述にどうしても困ってしまうんだ。

 教えてくれる大人との距離感はぎくしゃくしてるし、感情の発達に言葉のレパートリーは追いつかない。

 その一つ一つが言葉の形に添った感情と言えるのか、

 もしかしたら間違って定義をしてしまうなんてこともあるんじゃないかな」


 映画によくある愛を知らない、好きをはき違えてしまうシリアルキラー

 彼らは言葉による規定に恵まれなかった被害者としての描かれ方をされることがある。



「だから、僕達の内面を本当に叙述できる言葉は決定的に足りていない…と?」


『僕』の疑問に少年は苦笑しながら答えた。


「あるいは言葉の形がそもそも間違っているかだね。」


『僕』が首をかしげる。理解しきれなかったのだろう。眉間に皺を寄せ、どうにも腑に落ちないといった顔つきで、小さく「うーん」と唸った。


「ぼく達の生活様式は扱いやすい言葉にまとまっている。だからどうしても元々の感情を社会の言葉の型に当てはめざるを得ないんだ。」


 金髪の少年はそれに気づくと、やや柔らかな声で補足した。


「でも、医療や神経科学がもっと発達して、脳を詳細に解析できるようになったら——

 たとえば『嫉妬』なんていう状況に依存した曖昧な感情は、もっと無機質な言葉に置き換えられるかもしれない。

 “前頭前野の活動パターンBに伴う認知的警戒状態”とかね」


 空音先輩が、つまんなさそうに大きくあくびをした。まるで「また理屈か」とでも言いたげに椅子の背にもたれ、ふてくされた猫のように目を細めている。


「まあ、僕たちの脳は基本的な構造は同じだから、この考え方は精神かあるいは魂の存在を過大評価しすぎているのかもしれないけど」


 そこでふっと笑いながら、視線を窓の外へ向ける。


「でもロマンチックな話だと思わないかい?」


 グラウンドの端が、少しだけ校舎から見えていた。

 そこでは、誰かがサッカーをしていた。

 多分、彼らがサボった授業。


 ガラス越しに光が揺れ、彼の頬にかすかな影を落とす。



「幽霊。それが記憶を残し、意識を保っている存在なら、それは生きているのと変わりはない。

 そうした思い込みが幽霊を生む原因になるのだとしても、決して悲劇的な存在とは言えないんじゃないかな」


 その横顔には、ほんのわずかに子供らしい無垢さが混じっていた。


「ただ実体がなくなっただけ、

 物質世界に囚われていなくなっただけ、

 結果として、見える人には見える、見えない人には見えない」


「光が三原色だったり四原色だったりするように?」


 釣られるように『僕』の声音も自然と明るいものになる。


「そうだね、光だって、結局は波長に過ぎないのに、僕たちはそれを色として認識している。

 だからさ、もしも幽霊なんてものが存在していたら――」


 そう言って、少年は両腕を大きく広げた。

 夢を語る冒険家のように、瞳を輝かせながら。


「死は生の状態遷移に過ぎない」


 その言葉が、『僕』の——そして僕の——心に、妙に澄んだ音を立てて落ちてきた。

 水面に小石を落としたように、静かに、けれど確かな波紋を広げて。



 そうかもしれませんね、先輩――空音先輩。


 目覚めた世界に、アナタはいなかった。

 それでも、どこかに『残っている』はずだと信じて、僕はアナタの幽霊を探し回った。

 まるで夢の残り香を辿るように、ずっと、ずっと。

 せっかく視えるようになったのに、こんなのってないって嘆きながら。


 そして、アナタではなく、空音先輩の幽霊を見つけた。

 そこで、アナタの言葉が正しいって知ったんです。


 あの夜、出会った空音先輩はどこまでも生前と一緒で…。

 まるで生きているみたいに笑って、生きているみたいに言葉を話していた。


 空音先輩が、人を殺している。

 そんなの、一目見たときから、もう分かっていた。

 でも――でも信じられなくて、信じたくなくて、だから、毎日会いに行った。


 いや、それも言い訳だ。

 ただ会いたかったんです、アナタたちに。



「水が水蒸気に変わった……いや、固体から気体なんだからドライアイスかな。

 昇華とは言いえて妙かもしれないね」


「それってダジャレ?」


「かもね」


 空音先輩の茶化しに、少年も肩をすくめて軽口で応えた。


「っと、そろそろ時間だね。行こうか。

 ぼくはともかく、真為を縛り付けるのは、余りよろしくない。

 今から行けば、ちょうど25分くらいは授業に出られるだろう」


 そう言って少年が立ち上がる。

 椅子が軋んだ音を立てた。


『僕』はその背中を見送るように目を細め、ふと名残惜しそうに呟いた。


「……居てくれたらいいですね、幽霊」


 少年と空音先輩はその言葉に振り返り、優しく笑う。

 そして少年がどこか誇らしげに、けれど子供のような無邪気さも含んだ表情で『僕』に手を伸ばす。


「楽しみにしてなよ。今度の週末は、森林合宿だ。

 今度こそ、幽霊を見つけてみせるのさ」


 ガラス越しの光が少年の頬をかすめ、水の膜越しに幻想めいた輪郭を形づくっていた。

 その姿は、不思議と美しく、遠く、そして懐かしかった。


 ——ああ。


 輝かしくて、懐かしくて、どこまでも美しい。

 僕の脳内だけがアナタたちが生きている世界。

 アナタたちが、いる。


 少年と空音先輩が去っていく。

 その背中に手を伸ばそうとして——けれど体は動かない。

 それでも、這いつくばるように、視線だけを追いかける。


『僕』が最後に僕の方を向いた。

 カメラのスイッチが変わったみたいに。


「あの……」


「ん?」


「罪と言ったら、あれなんですけど――」


『僕』の瞳が揺れた。

 言いかけて、言葉を飲み込みかけて、また浮かび上がるように。


 少年は黙ってその続きを待った。

 そのまなざしは、遮ることなく、ただ受け入れるもののものだった。


 そして、『僕』は意を決したように、しっかりと前を向いて言った。


「僕はあなたみたいになりたいです――ルキウス先輩」


 それが、『僕』の罪。


 かつては僕の罪だった。


 そして、僕だけが幽霊みたいに世界に取り残された。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

次回更新は明日の5月25日の18:00になります。

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