お弁当
今日を含めてあと三日、天乃さんと出かけなければなくなったせいでさらに一日加えて四日、私の心は頑張らなければならない。
「月餅〜。私を慰めて〜」
私のベッドで丸くなっている月餅の体に顔を埋め、今日を乗り切るパワーをいつも以上に吸い取る。
「花恋〜いつまで月吸ってるの。時間なくなるよ〜」
「元はと言えばお姉のせいなんだからね」
「じゃ、私は昼までもう一眠り」
私にぐちぐち言われることを察したのか、そそくさと自分の部屋に戻っていった。
「はぁ、行きたくない」
「花恋、行ってらっしゃい」
月餅とお母さんの見送りを受けて、私は学校へ向かった。
道中の溜息はおそらく過去最多。歩いているのに走っているかのような息づかいに聞こえるほど、毎秒溜息を吐いている気がする。
電車に乗っていると、このままどこか遠くへ行ってしまおうかとさえ考えてしまう。
しかし不思議な事に、身体は着実に学校へと向かってしまっている。
頭の中の事を実行するには、今の私には勇気が足りない。
そんな臆病な私は大人しく学校に行くことしかできない。
人集りを上手く避けて通っていると、肩に置かれた小さな指に足を止められた。
人前だから仕方なくヘッドホンをずらすと、彼女は明るい言葉を私に与える。
「おはよう、花恋ちゃん」
おそらくこの場にいる誰もが欲しいファンサを、ただの通行人である私が与えられた。
それに私は声を出して答えることはせず、ただ一つの会釈でその場を凌いだ。
再びヘッドホンを付け、あなたと関わるつもりはありませんと、小さくアピールした。
席に着いてすぐに私は顔を伏せた。
自惚れかもしれないけれど、昨日のことについて誰かに話しかけられるかもしれない。それがどうしようもなく嫌で、私は暗く静かな殻に籠った。
今日の一限目は何だったか、それだけを考えるようにした。
こんな調子で、昼休みまでは何事もなく一人で過ごしていた。
授業が終わると同時に私はヘッドホンを付け、お弁当を出した。
いただきますと一人で挨拶をした後、蓋を開け、箸で卵焼きを掴む。
私の口に運ばれるその卵焼きは、なぜかいつの間にか消えていた。
前のめりになって私の卵焼きを奪った犯人に文句を言うが為に、ヘッドホンを外す。
「おいしい〜」
感嘆と喜びの混じった声が私の耳に届いた。
放出予定であった文句はその言葉によって行き場をなくしていた。
彼女に言う事がなくなれば、彼女の存在はデメリットでしかなくなる。
こんなところにいられないと席を立とうとすると、すかさず会話を勝手に始めた。
「くうちんお弁当ちょっとちょうだ〜い」
周りに聞こえるその声で、私をここに縛りつける魔法の言葉を意図も容易く唱えた。
一般人が言えば何ともない、ただの友達同士のスキンシップの言葉だろうが、彼女は違う。
彼女の言葉一つ一つが、周りを引きつけるのに十分な効果を発揮する。
「安蘭樹さん、俺の弁当分けましょうか?」
「悠優ちゃんお菓子食べる?」
安蘭樹。悠優。そんな言葉を発する壁が、一瞬にして私の退路を全て塞いだ。
「いらな〜い。くうちんに貰うも〜ん」
その言葉の後、物理的な壁はなくなった。しかし、恨みや妬みという感情の壁や視覚の壁がより一層強固なものとなり、下手な動きが出来なくなった。
いつの間にか変わっていた席の向き、横に増やされた邪魔な椅子。
私はもう諦める他なかった。
「悠優ちゃん、お弁当忘れたの?」
「そ〜。寝坊しちゃってー。コンビニにも寄らなかったの〜。だから食べる物なくて困ってたんだ〜」
「そしたら私のもあげるのに」
「ありがとう〜」
今さらっともって言った? もって。
何私があげる事確定した風に言ってるの?
「ふざけるな。私からじゃなくてさっきの人から貰えばいいのに」
ぼそっと漏らした不満をしっかりと聞いたのか、それに対する解を勝手に答えた。
「だって〜、何が入ってるか分からないじゃ〜ん」
口調こそいつも通りだけれど、どこか乾いた声に聞こえた。
彼女もモテる一族、それ相応の場数は踏んでいる。まあ、当然か。
「じゃあ私のも食べれないでしょ」
「くうちんのは大丈夫」
「何でそう言えるの」
「だって〜くうちんはゆーゆのこと好きじゃないもーん」
普通、それは別ベクトルで警戒しなければならない事であるのだが、彼女のその言葉からは私に対する十分なほどの信頼を感じた。
正直ちょろすぎて彼女は碌な人間に引っかからないと感じずにはいられなかった。
「そういうわけで〜くうちんのお弁当は食べられるのー。だから〜、あーん」
「私のお弁当の蓋と割り箸貸してあげるから、食べるのは自分でやろうね。」
「え〜。くうちんに食べさせてもらった方が美味しいよ〜」
「花恋ちゃんはきっと全部自分の口に運ぶよ」
何当然な事を悪いみたいに言われなくちゃいけない。
「それもそうだね〜。じゃーあー、ありがたく使わせていただきまーす。ありがとーてんちん」
天乃さんから受け取った割り箸で何の躊躇いもなく私の卵焼きを掴んだ。
「ん〜! 本当に美味し〜。くうちんのお母さん料理上手だね〜」
うまく形容し難い感情がその言葉に刺激されて出てきた。
私はただ一言事実だけを唱え、その感情を抑える。
「お弁当は私の担当」
私はそう言って、彼女の箸から同じように卵焼きを取り返した。
怜以外髪型の表記を忘れていた為、こちらに記載させていただきます。
優華→怜ほど長くはないロングヘアー。基本結んでいる。
悠優→ミディアムボブで肩にギリギリ掛からないくらい。毛先に少し癖があり、ボリュームが出ている。基本結ばない。