距離感バグってる奴
気乗りしない気持ちのまま、いつも以上に前屈みになりながら教室に入った。
先ほどよりも静かになった事に気づく前に、私はヘッドホンをつけ、音楽の世界に入っていく。
まだたっぷりある残りの昼の時間、細々とお弁当を箸でつまむ。
いつも以上に味がしない気がした。
空になったお弁当箱をバッグにしまって、時計を見上げる。
相変わらず、髪が邪魔してよく見えない。
チャイムを聞き逃すわけにはいかないから、ヘッドホンを外して現実に戻る。
残りはスマホを見て時間を潰す。
「あ、ポメラニアンだ! 可愛い」
ああ、そうだ、すっかり忘れていた。
まだ四月下旬。出席番号順で並んでいるのだから、私の後ろは彼女になる。
今までの休憩時間は取り巻きがいたから問題なかったけれど、昼の時間は皆友達との交流を優先するのか、はたまた珍しく鑑賞できる昼休みの姿を目に焼き付けたいと思ったのか、包囲網が薄くなっている。
「花恋ちゃん家のワンちゃん?」
「そうですけど」
「可愛い〜! 他にも写真ある?」
「まあ、あります」
「見たいな〜」
「え、嫌だ」
「お願い」
彼女は自分の強みをよく理解している。
彼女が天使だと? 天使なら皆に聞こえる声でお願いなんて決して口にしないはず。つまり彼女は悪魔だ。
どうしてお前なんぞが天乃さんと喋っているんだという冷たく鋭い視線を受けながらも、どうにか耐えて月餅の写真を見せていく。
天乃さんのお願いを断る方が後々響きそうだし。
「なになにてんちーん。何見せてもらってるの〜?」
「悠優ちゃん。花恋ちゃんにポメラニアン見せてもらっているの」
「え〜くうちんポメラニアン飼ってるの〜? いいな〜見せて〜」
安蘭樹悠優。
彼女もまた、高嶺の花と呼ばれている。
その夕焼けのように輝く茜色の髪とは対照的に、吸い込まれそうな紫紺の瞳。常に萌え袖なことから一見あざとそうに思えるが、実際は柔和な雰囲気と口調で周囲の人を無条件に癒す、マイペースな我らが小さなアイドル。らしい。
彼女もまた、天乃さん同様よく囲まれている。
私は彼女が嫌いだ。理由はただ一つ、唯一私が持っていないものを奴は持っているのだ。
よく見えない視界にもしっかりとその存在をアピールしている。
憎き脂肪の塊を。
「ああ、悠優ちゃん、花恋ちゃんが落ちちゃうよ」
図々しくも私の椅子に座ろうと乗っかってきたので、私も間違っても膝に座られないよう横にズレたせいで尻が三分のニはみ出した。
「ごめんねくうち〜ん。戻って戻って。ゆーゆくうちんに座るから」
「えっ」
「ほらほら〜遠慮しないで〜」
やや強引に私の膝に座り、私の片腕で体を支えさせ、セーフティーガードまでばっちりにした。
そもそもくうちんとは一体何なのか。そんなこと聞くタイミングは失われた。
なぜこの状況を避けるべく尻まではみ出したというのに、奴は座っているのだという疑問で頭が埋め尽くされたからだ。
「くうちんすごい良い匂〜い。香水〜?」
「いや、多分柔軟剤」
人間、一定量を超えると一周回って諦めるのだとこの時痛感した。
「えーどこの〜?」
「知らない」
「まあそうだよね〜。普通洗濯物なんてしないもんね〜」
その言葉が癪に障ったので、私は一旦スマホを二人の目から離し、柔軟剤を検索して見せた。
「これ」
「え〜これめっちゃ良いやつじゃーん。もしかしてくうちんお金持ち〜?」
「別に」
「嘘だ〜。それじゃ〜あ〜くうちんお小遣いいくら貰ってるの〜?」
「一応三万。レシート渡したらその分くれるけど」
「ちゃんとお金持ちだ〜。くうちんそんなにお金あるのに髪切らないの〜? その前髪短くしただけで今より可愛くなれるよ〜」
安蘭樹さんが前髪に触れようとしたから、思わずその手を強く払った。
流石にやり過ぎたかと顔色を伺ったが、特に驚いている様子はなくヘラヘラしていた。
むしろ腹が立った。
「てんちんの言ってた通りだ〜」
「え?」
「顔見られるの嫌なんだね〜」
天乃さんの方を見ると、ごめんねと手を合わせて謝られた。
見られたわけじゃないから怒りはしないけど、余計なことをこんな変な奴に言わないでほしい。
「でも隠されると顔気になる〜。ゆーゆにだけでいいから見せて〜」
「やだ」
「え〜」
そんな顔されても絶対に見せない。
この顔を晒したが最後、私は平穏な生活とさよならバイバイになってしまう。
「みーせーてー」
「嫌だ」
「悠優ちゃん、嫌がってるみたいだしやめようね」
「むー」
安蘭樹さんは私の肩に頭を乗せて横から見る作戦を実行したようだが、厚い伊達メガネのおかげで阻止できたようだ。
「どうしたら見せてくれるの〜?」
「仲良くなったら」
「じゃあ仲良しになろ〜」
「無理」
「ゆーゆはくうちんと仲良くなりたいのに〜」
横からすごい視線を感じるが、無視してひたすら前を見てると、唐突に目の前に画面が現れた。
「これ、ゆーゆの連絡先〜。くうちんのも教えて〜」
「絶対教えない」
「いいよー。くうちんが教えなければ〜てんちんに教えてもらうだけだもーん」
「変なアカウントだからブロックする。あ、そうか、天乃さんの連絡先もブロックすればいいんだ」
なぜそれをさっさと思いつかなかったのだと、昨日の自分を責めたくなった。
もしさっさと天乃さんをブロックしていれば、お姉に天乃さんの存在がバレることもなく、私はいつものように平穏なぼっち生活を送れていた。
こんな迷惑極まりない状況になんてならなかった。
「お願いだからそんなことしないで花恋ちゃん。私ショックで休んじゃうかも」
「ゆーゆも〜くうちんの連絡先もらえなくてショックで倒れちゃうかも〜」
盗み聞きしていたモブ達から、連絡先教えての時以上の敵意を感じた。
もし本当にこれで二人が休みでもしたら、私へのバッシングは酷いものになるだろう。
「分かったよ」
「やった〜。これからいっぱいお話ししようね〜」
「しない」
チャイムが鳴ったところでようやく私から離れてくれた。
何だかすごく開放感があった。
「バイバイくうちん、てんちん、また後でね〜」
ホームルーム終わったら即帰ろうと決心した。
下書きのストックたくさん置いたら不便になったので、二話投稿します。