チョロい
ジャンケンに負けてしまった結果、私は安蘭樹さんの家まで勉強を教えに行かなければならなくなった。
「くうちんごめんね〜、ちょっと寄らないと行けないところがあって〜、遠回りするね〜」
拒否権なく連れてこられた場所は、子どもの活気溢れた声が響く建物だった。
「こんにちは〜」
「悠優ちゃん、お帰りなさい。そちらはお友達?」
「はい」
「いいえ」
「友達でいいでしょくうちん〜」
「嘘はいけない」
「ゆーゆにとっては嘘じゃないよ〜」
可愛らしいエプロンを付けたお姉さんは、私達を見て微笑むと、今連れてきますねと言って、場を離れた。
しばらくしないうちに、小さな女の子が、勢いよく走ってきた。
「ねーね!」
「はるちゃんただいま〜。良い子にしてた〜?」
「した! ねーねも良い子した⁉︎」
「したよ〜」
安蘭樹さんは先生と少し話した後、幼稚園を後にした。
「ねーね、誰?」
「同級生」
「どーきゅせー?」
「お友達だよ〜」
「違う」
「お願いくうちん、説明大変だから合わせて〜」
「くうちゃん!」
「そう、くうちゃんだよ〜」
「やすらぎはるあ! ごさい!」
「空瀬花恋。十五歳」
「かえん?」
「そう。花恋」
「くうちゃんは?」
困惑した目を向けられて、名前の訂正は無理だと悟った。
「あだ名。くうちゃんでもいいよ。ちびっ子相手にムキになる程子どもじゃない」
「くうちゃん!」
キラキラした目をこちらに向けると、小さな両手で私の片手を引いた。
「はるちゃん、後ろ向きで歩くと危ないよ〜」
「だっこ!」
「抱っこならねーねのとこおいで〜」
「やー! くうちゃんがいー!」
「そんな事言わないで〜。ねーね悲しいから、ね」
「やー!」
片手をぶんぶんと安蘭樹さんに向けて振り、安蘭樹さんが伸ばす手を拒んでいる。
「はぁ。安蘭樹さん、これ持って」
私は安蘭樹さんに鞄を持たせ、妹ちゃんを抱き上げる。
「重っ」
「だ、大丈夫くうちん?」
「これくらいなら別に」
にしてもよく動く。活きのいいマグロを抱えている気分。
時折伸ばした手が顔に当たりそうでひやひやした。
前髪が乱れたらしっかり抱き抱え続ける自信がない。
「ただいま〜」
「ただま!」
「お邪魔します」
降ろすや否や、とてとてと廊下を駆けてどこかに行った。
「はるちゃん! 手洗わないと! ごめんねくうちん、洗面所そこだから。はるちゃーん!」
安蘭樹さんが妹ちゃんを追いかけたので、勝手にリビングに荷物を下ろさせてもらった後、手を洗いにいった。 新しく下ろされたならともかく、家の人も使っていそうなタオルに触る気などしないので、私は自分のハンカチで拭く。
「ほらはるちゃん、おてて洗って〜」
膨れっ面の妹ちゃんを連れて、安蘭樹さんは手を洗うよう促している。
「安蘭樹さん」
「どうしたの〜?」
「紙コップ」
「えーあるかな〜。確認してくるからちょっと待ってて〜。代わりにはるちゃんがちゃんと手洗うか見ててほしいな」
安蘭樹さんは私に扱いづらそうな妹ちゃんを残して、紙コップ探しに向かった。
「手洗いなよ。汚いよ」
「やー」
「どうして」
「やなのはやなの!」
思った通り、面倒くさい子。
でも、正直汚い手でうろちょろされたくもないから、ここはどうにか対応するしかない。
「じゃあ洗わなくていいから水遊びしよう」
「あそび! する!」
「じゃあ、先に手を泡で真っ白にした方が勝ち。よーい、どん」
私が我先にと手を濡らすと、負けじと妹ちゃんも手を濡らし、ハンドソープに手を伸ばした。
「はるのかち!」
泡だらけになった手を得意げに私に見せた。
「あー負けた。くやしー」
棒読みでも負けを宣言すると、妹ちゃんは嬉しそうな声を出す。
単純でとても扱いやすい。
「えっへん!」
「私に勝てるんだから、よっぽど手を丁寧に洗ってきたんだろうね。お手本見せてほしいな」
誇らしげな顔をして、しかたないねーとおそらく幼稚園で教えられているのであろう手の洗い方を得意げに披露した。
「じゃじゃーん!」
「流石。そのやり方は知らなかったよ〜。そんなに物知りなら、きっとうがいもちゃんとできるんだろうね」
意気揚々とコップに手を伸ばし、私に見せつけるかのようにうがいをした。
「紙コップ見つけたよ〜。と、偉いねはるちゃん〜。ちゃんと洗ったの」
「はるはプロだからね」
「流石はプロだね〜。かっこいいよ〜」
「えっへん!」
「プロだからもう遊んできていいよ〜」
「やったー!」
妹ちゃんは再び走って視界から消えた。
「はいくうちん。何に使うの〜?」
「うがいに決まってるでしょ。てか安蘭樹さんも手洗ってよ、汚い」
「さっき台所で洗ってきたから大丈夫だよ〜。あとはうがいだけ」
そう言われたから、私はさっさとうがいを終わらせてリビングに戻り、サングラスに掛け替える。
ついでに前髪もピンで止めて、視野を広くする。




