ヒロインかなにか?
私は月餅の体を撫でまわして遊んでいる。
いつもなら遊んでほしいおもちゃを取ってくるけれど、私にぴたりとくっついて離れないところを見ると、氷冬さんのことを信用していないのだろう。
当然の行動だろう。私がこうして他人と一緒にいるなんて、月餅からすれば初めてのことなのだから。
「親友」
「絶対ない」
変なことを言い出す前に、先手を打って拒否しておいた。
「じゃあ……恋人」
「あんた恋人が何なのか知ってるの?」
あまりにも斜め上な回答だった為、一生言うことのないはずの質問を口にした。
我ながら馬鹿らしいと思う。
「恋愛感情を持って接する相手」
「まさかとは思うけどそれも調べた?」
「駄目?」
まるでロボットのようだと思った。感情を持つロボット。
「恋愛感情って何か分かる?」
また視線をスマホに戻したので、思わず呆れて溜息が出た。
「そんなのも分からないの?」
「分かるけど、よく分からない」
「何それ?」
「好きって気持ちってことは分かるけど、どういう好きかは分からない」
「そんなの私も分からない」
「じゃあ、世の中の人はどうやって恋愛してるの?」
「そんなの当事者に聞きなよ。ま、すればその内分かるんじゃないの? 氷冬さんに恋愛するという人間らしさがあるかは知らないけど」
「しないと人間じゃないの?」
「別に。でもした方が人間味あるんじゃない?」
「花恋はしたことある?」
「ないよ。する気もない。月餅がいればそれで良い」
氷冬さんは月餅の上に乗せている私の手を見た後、顔をこちらに向けた。
「私も触っていい?」
「噛まれても文句言わないでよ」
「言わない」
氷冬さんは手を伸ばすと、私の頭を撫でた。
「ねえ、何してるの」
「触ってる」
「なんで私を触ってるの」
「許可取ったよ?」
「してないわ! 月餅撫でるのかと思ってしたんだわ!」
「月餅ちゃん花恋に撫でられて嬉しそうだったから、花恋も撫でてもらったら嬉しいかなって」
「月餅は私が大好きだから嬉しいのであって、私は氷冬さんに撫でられても嬉しくない」
「そうなの?」
「そうなの」
ようやく手が離れてやれやれと思っていると、間髪入れずに突拍子もないことを言ってきた。
「じゃあ、私も撫でて」
「何でそうなるの?」
「花恋に撫でられて嬉しかったら、私は花恋の事大好きだから」
「絶対嫌だ」
「お願い」
「私が撫でるのは月餅だけ」
「じゃあ、私も月餅ちゃん撫でたい」
「なんで?」
「花恋が撫でてくれる子だから」
よく分からない理由だけれど、それで大人しくしてくれるなら何も言うまい。
「月、こんなでも噛んだら面倒だから噛んじゃダメだからね」
くぅ〜んと心を痛める声を出した後、大人しく氷冬さんの膝に乗せられる。
「ふわふわ。温かい」
「手入れはちゃんとしているからね」
氷冬さんはしばらく撫でた後、月餅を私の膝に戻した。
「少しだけ可愛いが分かった気がする。ありがとう」
「どういたしまして」
一度終わった会話を再開させようと思うほど、私は別に今の時間を苦痛に思っていないし、氷冬さんもそこまで気にする人じゃない。
時計の針が進む音だけが、耳に入ってくる。
「どしたの月。戻るの?」
この状況に一番耐えられなかったのは月餅らしく、私の膝から降りるや否や自分のベッドで丸くなった。
「花恋は眠くない?」
「眠くない」
「じゃあこの後何する?」
「何もしない」
「じゃあ花恋の事教えて」
「散々教えた」
「花恋の好きなものとか何も知らない」
「じゃあもう面倒だからテレビ見よ」
冷蔵庫からケーキを取り出し、適当に氷冬さんの前に置く。
私は飲み物だけを用意し、テレビのリモコンを取る。
サブスクを開き、適当にランキング一位の映画を再生した。
「花恋見れるの?」
「どういう意味?」
「視界悪くない?」
「まあ、悪いけど。別にこれ初見じゃないし」
「そうなんだ。私は初めて」
「じゃあ静かにしな」
氷冬さんは他二人と比べて特に何を考えているのか読めない。
今観ている映画は恋愛物だけれど、一体彼女はこれを観て何を考えているのだろうか。
恋すら知らない彼女は恋愛に憧れたりするのだろうか。
私は実写の恋愛物に関しては一緒に観たくないとお姉に言わせるほど、何も感じないどころかボロクソ言ってしまう。
そもそもファンタジーを現実に持ち込むのがおかしいんだよ。
二人は幸せになりましたエンドを見届け、テレビを消す。
外を見るといい感じに陽が落ちている。あとは彼女を帰らすだけだ。
「もう遅いし早く帰りなよ」
私が立ち上がると、氷冬さんは私の手を握ってきた。
「ねえ花恋、人を好きになるって本当に幸せなのかな?」
彼女のアンサーは疑問のようだ。
「さあね」
「私もいつか恋するのかな」
「恋愛感情を持っていればするんじゃないの」
「それじゃあ、花恋もいつか誰かを好きになるのかな……」
私は誰かを好きになっている私を想像できない。
だから、絶対そんなことはありえないだろう。
「ならない」
「そっか、良かった」
なんだその引っかかる物言いは。
「良かった?」
「なんかね、花恋が知らない誰かに笑いかけているのを見るのは嫌だなって思ったの。花恋を取られるのは嫌だなって」
なんだその恋愛作品に出てきそうなセリフは。
「元々誰のものでもない。いいから帰るよ。駅まで送ってあげるから」
「まだ帰りたくないな」
まだ四時ではあるが、ここから氷冬さんの家までの時間を考えると、この時間で解散するのが一番いい。
陽が落ちて暗い道を歩かせるには、危機感と容姿が危うすぎる。
「帰れ」
「花恋のこと全然知れなかった」
「知らなくていい。帰れ」
「まだ花恋と一緒にいたい」
「私はいたくない。帰れ」
「じゃあ、また遊びに来てもいい?」
「好きにしろ。帰れ」
氷冬さんはようやくその重い腰を上げた。
右手にリード、左手に氷冬さんと私の両手は塞がっている。
「花恋、今日はありがとう。また来るね」
「来なくていい」
どうせ何言ったって彼女は来る。家を知られてしまった以上、防ぎようはもうない。
最後になんて言ったって、もう彼女は止められない。




