出会ってしまったが運の尽き
目元を覆い隠すほど伸び切った黒い前髪に厚いメガネ。膝下まであるスカート丈と続くように履いた黒のスクールソックス。校則通り一切崩さず着用した制服。
そして常に視線は下。
誰が見ても冴えないのが、高校デビューした私だ。
友達はいない。
二人組では余った子と組み、いなければ内申点稼ぎの子達と一緒に組む。
昼食の時間はヘッドホンをつけて黙々と弁当を食べ、終わったらひたすらにスマホをいじる。
そして放課後、掃除がなければ誰よりも早く帰宅し、あれば今みたいにみんなが嫌がるゴミ捨てをさりげなく押し付けられる。
何とも平和な日常だ。
「ふぅ、終わった。さてと、早く帰って化粧品買いにいかないと。あとお姉に頼まれた限定スイーツに夕飯の材料。家に帰って支度してって考えると、走らなきゃダメかな。早く荷物取って帰ろう」
少し早足で曲がり角を曲がった瞬間、声がかかった。
「好きです! 付き合ってください!」
「は? 無理」
反射的に答えてしまったが、その後の言葉はなかった。
それもそのはず、彼女がその言葉を向けた相手は私ではなく、この後来るであろう相手に掛けるはずの独り言だったからだ。
それにしても良いタイミングすぎるとは思うけれど。
彼女は見開いた目で私を凝視するので、私も金縛りにあったかのように身体が動かなくなっていた。
ようやく事態が飲み込めたのか、彼女は一度上げた頭を先ほど以上に深々と下げた。
「ごめんなさい! あの、違うんです!」
彼女は焦りの表情を浮かべた。今にも私に掴み掛かりそうな勢いで、必死に弁明しようとしているから、一歩引き、これ以上近づかれないように手の平を彼女に向けた。
「あー大丈夫です。私も反射的に答えてしまっただけなので。気にしないでください」
「そうじゃなくて! いや、そうなんだけど。その、これは告白じゃなくて……!」
彼女は私のセーフティーハンドがあるにも関わらず、ずいっと私に近寄ってきたので、咄嗟に顔を手で隠した。
「えっと、告白ではなくて、その、とにかく、今のこと誰にも言わないで。お願いします」
彼女は必死な表情で私にお願いをしてきた。
彼女のその表情を見て、私はむしろよくそこまで感情を抑えられているなと感心した。
彼女の焦る理由は分かるから。
彼女は天乃優華。
高嶺の花の天使と、まあ大層な二つ名を持っている。
陽光に照らされると、薄ピンクに見える色素の薄い髪に茶色の目。小動物のような守ってあげたい愛らしい容姿に加えて頭脳明晰、運動神経抜群、それでいて誰に対しても優しいという評価。
彼女を夢見る男子は多い。多すぎる。だからこそ、告白をしたなんてバレた日には、付き纏いが日頃の倍どころではなくなってしまう。
「お願い! 私にできることは何でもするから!」
「え、いや、私ぼっちですし、別に話す人もいませんし大丈夫ですよ」
「本当⁉︎ ありがとう! お礼になるかは分からないけれど、ぜひジュースでも奢らせて!」
え、嫌だ。誰にも注目されないどころか忌避される為に今のぼっちでダサい私でいるのに、彼女と一緒にいるところを見られるなんて耐えられない。
ましてやジュースなんて買わせた日には、私がカツアゲしているとかでっち上げられるに決まっている!
「いや、大丈夫です。急いでいるので失礼します!」
教室前まで一気に駆け抜ける。
一息つけたところで教室に入ろうとドアに手を掛けると、嫌な話題が耳に入ってきた。
「まじで、誰かと思えば芋女だぜ! 芋女が告ってたんだよ! しかも相手、受け入れてやがんの。まじで相手の顔見てやりたかったわ〜。あんな芋女と付き合うとか、どんな奴なんだろうな!」
おい、いつ誰が受け入れた。捏造するな一軍クズ男子。
「てか、芥やばかったんじゃね? 手紙入ってたんだろ?」
「うわ〜もし芥が先にいれば、芋女は芥に告ってたって事か? どんな罰ゲームだよ! 罰どころか地獄だな!」
「おいやめろよ! まじで吐き気するわ。顔見たら一発殴ってやりてぇよ!」
いつになったら教室に入れるのかと外の雲を眺めていたら、急に視界が塞がった。彼女の顔で。
その顔はどこか自信に溢れているようで、でも、怒っているようにも見えた。
彼女は私に親指を立てると教室に入っていった。
「あれ? 優華ちゃんじゃん。こんな時間まで残っているなんて珍しいじゃん」
「ちょっと用事があってね。ねえ、滓君。今言ってた芋女って、もしかして空瀬さんのこと?」
「さあね。何? もしかして友達?」
「おい芥、失礼だぞ! 天乃さんがあんな奴と友達なわけないだろ!」
笑い声が聞こえる。人を馬鹿にする笑い声が。
そこに響く天乃さんの声がいつもより冷たく聞こえた。
「やめてよ」
「何が?」
「空瀬さんのこと、そんな風に馬鹿にしないで。空瀬さんが芥君に何かした?」
「いや、何というか、存在がムカつくっていうか。気味が悪いっていうか」
「だからって、あんな事言う必要も笑う必要もないでしょ。どうしてそうやって人を悪く言えるの。私、滓君みたいな人大っ嫌い!」
「……は? え?」
「あ、あの、天乃さん、俺達は別に。ただ芥に流されたっていうか。別に俺達は空瀬の事なんとも思ってない。な!」
「お、おう! そうそう! 芥に合わせただけで」
「はっ⁉︎ ふざけるなよお前ら! あ、待ってよ優華ちゃん!」
「空瀬さんが許すまで私はずっと怒ってるから」
「いや、話聞いてよ! 冗談だって!」
教室のドアがガラッと音を立てて勢いよく開くと同時に、彼女は二つの鞄で塞がった手とは逆の手で私の手を引いて走った。
「ごめんなさい空瀬さん、急に走らせて。疲れてない?」
「あ、はい、大丈夫です」
「掴みかかられそうで思わず」
離された手を見て、ゴミ捨ての後手を洗っていなかった事に気がついた。
言うか言わまいか、少し悩んだ。
「あの」
「はい」
「私、ゴミ捨ての後からずっと手洗ってないです。ハンカチ鞄に入れっぱだったので」
「あ! そうだよね、私が巻き込んじゃったせいで。ごめんなさい!」
「そうじゃなくて、嫌じゃないんですか? 汚い手で触られて」
「触ったのは私だから、嫌がるわけないよ」
その容姿で性格も良くて、加えて秀才。欠点らしい欠点はない。
隙が無さすぎて気持ち悪いくらい。
「そうですか。天乃さんが問題なければ大丈夫です。鞄ありがとうございます」
彼女から鞄を受け取ろうとすると、さっと後ろに隠された。
「その前にお詫びをさせて!」
「いや、別にいいです」
「お願い! 私の為だと思って!」
「いや、でも、今日早く帰らないといけないので」
「じゃあ後日! これ! 私の連絡先!」
彼女は私の目の前にスマホの画面を出したが、正直困る。
「その、スマホがないと……」
「え? あっ! ごめんなさい!」
深々と頭を下げられ、鞄を返してもらった。
このまま無視して帰ろうとしたのだけれど、キラキラと輝く彼女の顔を見ると、なんだか罪悪感が湧いてきた……なんてことはないので、問答無用で帰ろうと走り出すと、彼女は一瞬驚いた声を出してすぐ、私を追いかけた。
「ま、待って! 待って! 花恋ちゃん! お願い待って! 花恋ちゃん!」
校内は部活で生徒がたくさん残っている。そんな中彼女に大きな声で下の名前を呼ばれ、さらには待ってなどと言われてしまうと、変な噂が立たないとも言えない。
私はぼっちで穏やかな学校生活を送りたいが為に高校デビューをした。
私は学校生活と連絡先を天秤にかけ、足を止めた。
「仕方ないですね」
「えへへ、ありがとう」
そんな顔されても私には何一つ効果はない。
中学一年から一切変わらなかった連絡先に、彼女の強引な脅しによって、天乃優華の文字が追加された。
「やった、花恋ちゃんの連絡先ゲット」
「は?」
「あ、ううん、何でもないの。ねえ花恋ちゃん、せっかく連絡先交換したし、これを機に仲良くなれたら嬉しいな。タメ口名前呼び歓迎だよ」
「無理です。これっきりで終わりです。関わりません。それでは急いでいるので失礼します」
「また明日ね」
バイバイと手を振る彼女に対して私は不安しか残っていなかった。
きっと、私は選択を誤った。
明日からの生活を考えるだけで頭が痛くなる。