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バブルガムフェロー  作者: フリオ
一章 リンデンリリー
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1話 死んで天使に生まれたの


 望月 鳥乃は自分が背負った真っ赤なランドセルに赤さで負けている夕日を馬鹿にした。


 小学生なりの現実逃避である。


 いちおうは自分が迷子であるという自覚はありつつ、今まで迷子になったことはなかったので、実際どこからが迷子なのだろうと、変なことを考えながら歩いていたら、今は確実に迷子だと確信できたので、よかったと笑った。


 よくないと思えたのも、それから10分くらい経った後である。


 どこからが迷子だったのか思い返せば、そもそも知らない場所に来た時点で迷子だったのだろう。ポジティブに考えれば、知らない場所を知ることができたのだ。これは、迷子というか旅、もしくは冒険ということにして、そう考えるとトリノはなんだかワクワクしてきた。


 ついには、空は夕焼け、ついでに肉でも焼けたのか、良い匂いがしてくる。

 街は夕飯の支度をしていた。

 トリノのお腹がぐーと鳴る。



「……」



 ほっぺが吊り上がる。

 ひくひくと苦い顔になった。


 しかし、無問題。トリノはポジティブなままだ。なぜなら知識があったから。世の中には「こども110番のいえ」というのがある。困った子供たちのための緊急避難所的な、素敵なお店だ。それがこの街にもあるはずだ。


 トリノはピーポ君のシールを目印に、街を散策し、こども110番のいえを見つけることができた。その素敵なお店に貼ってあったのは、アンパンマンのシールだったし、妙に子供が入りづらい風貌のタバコ屋さんだったが、トリノは臆することなく店に入った。



「……ごめんくださーい」



 外面はトリノも見たことがある紙巻タバコが並んでいたのだが、店内に入るとキューバから輸入されてきた葉巻タバコが、宝石のように保管されていた。ガラストップのヒュミドールが棚に並べられて、ダイヤモンドよりも丁重に扱われた葉巻たちが、綺麗に揃っている様子は、洞窟のように薄暗い店内も相まって、中世ヨーロッパ貴族の秘密部屋のような雰囲気だった。



 旅の終着点には相応しい。

 そんなことを思いながら、トリノは何がでてくるかとワクワクしていた。

 店内を奥に進むと、机の上に、黒いランドセルが置いてあった。

 普段、学校でも見るようなモノが置いてあってがっかりする。

 現実に引き戻されたような感覚になったのだ。


 カサカサと紙が擦れる音が鳴っている。

 作業机に向かって背中を丸めている白髪のおじいが、トリノを一瞥して、また手元に目線を戻す。


 無視されたのだろうか。

 トリノは困って、口を開く。



「あの……」



 ガコンと大きな音が鳴って、作業机が揺れた。


 トリノはビックリして、固まってしまった。白髪のおじいは黙々と作業をしているから、しばらく、シーンとした空気が流れる。


 そして、その声は唐突だった。



「いらっしゃいませ」



 天使のような声だった。



「え」



 トリノは耳を疑った。


 おじいは口を開いただろうか。それ以上に、その声はまるで老練された男性の喉から発せられたとは思えない、かわいらしい高音で、洞窟のような店内に、囚われてしまった天使のように、囁くような、そんな声だった。


 誰かが机の下に隠れているのだろうか。


 そんなトリノの予想は正解。

 きっと天使が隠れているのだ。


 不正解。

 隠れているのはどちらかというと悪魔の方。



「ん、お客さん初めてかな」



 トリノが言葉を紡げないでいると、悪魔は天使の声で尋ねる。



「年齢だけ確認してもいいかな?」


「……11歳です」


「その年で美味しく吸えるかな?」


「あ、違います。タバコを買いに来たいんじゃなくて、迷子で……」


「あ、迷子」



 声は合点がいった様子だ。



「あれ、こういう場合どうすればいいの。おじいちゃん? ……あ、タクシーか。うん。じゃあ、あの、なんか、こども110番タクシー? っていうのがあるらしくて、あ、でも迷子で使っていいのかな……。まあいっか。使えるものは使おう。ということで、タクシーがくるからそれに乗って帰ってね」



 トリノはこくんと頷いた。

 そして、気づいたことが一つ。



「……ねえ、りりちゃんだよね?」



 こういうのって気づいても言わない方がいいのだけど。

 りりは机の下から手だけを出して、サムズアップをした。




◇◇◇



 

 前世の記憶を覚えている、というのは不思議なことだが、赤ちゃんの頃の記憶を覚えているということこそ、真に不思議なことだった。不思議なこと以上に、赤ちゃんの頃の記憶なんて、恥ずかしいことが多い。とくにりりは、心は男の子なのに、身体は女の子だし、もしかすると、これからチンポコが生えてくるのではないかと期待していたが、生えてきたのは乳歯だけだった。


 人生でいくつも存在している選択において、最初の選択を覚えている人間は赤ちゃんの頃の記憶を覚えているりりしかいない。りりの人生に訪れた最初の選択は、右のおっぱいか、左のおっぱいかということだった。もちろん、それは難問だった。


 おしりかおっぱいかの選択で悩んでいる男子など、愚かであると気づいた。


 立派な大人になった全ての人が、右のおっぱいか、左のおっぱいか選んできたのだ。立派な大人になるとはそういうことだ。りりおに子供はいなかったので、りりには親の気持ちが分からない。しかし、立派に育つ赤ちゃんと、立派に育てるお母さんの偉大さに、唯一、赤ちゃんの視点から気づくことができた。


 りりは右のおっぱいを選択する。



「よちよち。りりちゃんは左のおっぱいが好きなのねー」



 この選択を立派な大人が誰一人覚えていないのは、りりから見たら右のおっぱいでも、お母さんからしたら左のおっぱいだという、底知れないやるせなさがあったからだろう。


 りりはたっぷりおっぱいを飲んだ。


 生えてきた乳歯で、お母さんの乳首を噛まないように気を付けながら。


 最初はそんな乳だけでお腹いっぱいにならないだろうと思っていたりりだが、飲み終わると満足そうに小さくげっぷをした。



「りりちゃんは良い子ですねー」



 げっぷして褒められる。

 そんな経験を覚えているのは、唯一、りりだけだ。




◇◇◇




 りりは他人の人生を追体験することが趣味になった。その人生をりりおの人生と比べることができたら、それは架空のものでもよかった。例えばロールプレイングゲームをりりはプレイしていた。ドラクエのことだ。ビアンカでもフローラでもなく、りりはデボラを選択した。きっと、それは黒髪の派手なギャルというのがりりおの性癖だったから。


 りりの心は生まれ変わってもりりおだった。つまり男の子の心だった。しかし身体は、小さな女の子で、その小さな身体に溢れんばかりの夢を持っていた。その夢はもちろん、何か一つを極めること。そして、その何かというのを今のりりは探していた。



「で、ゲームは違うかな」


「あ、そうなんだ」



 りりはこの年齢になってようやく、友達ができた。このまえおじいの店に迷い込んだトリノである。この年齢になってというのも、りりは11歳だが、彼女には紀元前的な時期があるので、なんとなくおかしな感じはある。


 りりは初めてできた友達に夢を語った。


 もちろん、なぜそのような夢を抱くようになったのかというのは秘密も秘密、お母さんのお腹の中の話をするようなものであるから、絶対に秘密である。


 話すとしたら、トリノも同じくらいの秘密を教えてくれたときだ。



「ゲームを極めるのって例えばなんなの?」


「プロゲーマーてきなだよ」


「ふん?」



 トリノは優等生な女の子な分、こういうエンタメ系に疎い。クラスでは委員長だった。ゲームのプロって言われても想像ができない。トリノが得意なゲームは、指スマとかだった。


 実際、りりの部屋でパーティーゲームをして遊んでいても、戦績はよくない。


 頭の良いトリノだから、桃鉄とかは勝てそうだが、地元でも迷子になるくらいには方向音痴なので負ける。ピンクの矢印通りに進まない姿はロックンロールとも言えたが。



「じゃあ、おじいさんのアフレコをしてたのは声優てきな?」


「お、わかるねー。でも、声優も違うかな」



 トリノには理解力があった。



「違うなって感じるのはなんで?」


「なんか順だと違うんだよね」


「ふん?」



 りりにはトリノの癖が見抜けた。理解力のあるトリノでも、分からないときは、ふんと喉を鳴らす。なんだか、動物みたいで可愛い。


 まあ、人間も動物かと、りりは思いなおす。

 人間と動物の違いなんてもうりりには分からない。

 最近、喋る動物と出会ったのだ。


「逆にいかなきゃ、これだって思えないんだろうね」


「よくわかんない。理屈じゃなさそうだ」


「そだね。そもそも、二回あること前提だし」


「なにが?」


「機会が」


「何の?」


「秘密」



 逆へ行くことは、りりにとって気持ちが良かった。それは理屈ではない。


 人生の追体験の一環として小説を読んだときに、作中で表現された主人公の結論とは逆へ行く。りりは主人公の結論が過激な純文学が好きだった。彼らが出した結論の逆は行くのが簡単だった。例えば、挨拶の必要性の無さを結論とする小説を読んだときには、りりはお母さんに元気な声で挨拶した。元気な声で挨拶するのは、気持ちが良かった。


 逆行。


 それがりりの哲学だった。



「じゃあ、そこにベースが置いてあるけど、ベースの逆だからギターに行きたいの?」


「いや、ギターの逆を行った結果ベースだよ」


「ああ、そう」



 トリノはかわいらしいりりの部屋のインテリアとは逆を行っているようなかっこいいベースを見た。音楽のことなんて、良く分からないが、四本の弦のギターっぽい楽器がベースであることくらいは知っている。



「ギターの逆はベースだけど、ベースの逆はギターかな?」


「なにそれ?」


「おっぱいの逆はおしりだけど、おしりの逆はまんこだよね」



 りりに品性はなかった。


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