15話 りりパンダ
駅前に明らかに着ぐるみのパンダが現れた。
白の部分は汚れていて、年季を感じさせた。
身体はところどころほつれて劣化してきている。
パンダの可愛さは消え、哀愁だけが丸い背中に残った。
デパートの名前が印刷された風船と一緒に、お歳暮ギフトの割引券が導入されたティッシュを配る。狙いは家族連れだ。風船を子供に渡し、ティッシュを親に渡す。
屋上遊園地は集客能力を失い、デパートのお荷物だ。
マスコッツが出稼ぎに行かなければ閉園は免れない。
太陽の熱がアスファルトをじりじりと焼き、熱したフライパンのようになったところに、急な雨が降ってきた。
パンダは屋根のついたバスターミナルのアーケードに逃げ込み、雨宿りをしていた。
縁石に同僚の蟹さんと腰を下ろす。
パチパチと音楽のように降る雨を聞きながら、止むのを待った。
「蟹さん。そんなに落ち込まないでください」
「。。。」
「蟹さんの手でピアノが演奏できるだけでもすごいんです」
「。。。」
「……蟹さん」
蟹さんは泡を吹きながら落ち込んでいた。
目の前をバスが通り過ぎる。
パンダは雨に混じってポツリと呟きを漏らす。
「蟹さんは何かを極めたことありますか?」
「。。。」
「これだと思うものはありますか?」
「。。。」
「前世はありますか?」
「。。。」
「海老ですか?」
「。。。」
「私、迷っているんです」
「。。。」
「……蟹さん?」
同じマスコッツでも、りりパンダはふなっしースタイル、蟹はくまモンスタイルだから、蟹さんが喋らないのはいつものこと。
でも明らかに反応がないし、普段の彼なら、いや彼女かもしれないが、とにかくいつもの蟹さんなら、その大きなハサミでパンダの背中を叩いて励ますくらいはしてくれるはずだ。彼、もしくは彼女は少なくとも、チョキしか出せないのにじゃんけんが好きな陽気な蟹だった。
「どうしたんですか」
「。。。」
パンダが大きな頭をグルっと横に向けると、そこにはバルタン星人といつまでもアイコになって喜ぶ蟹さんはいなくて、まるでドラえもんに一生勝てないことを静かに嘆いているような、というかなんだか沸騰しているような。
「茹で上がってます?」
「コポコポコポ……」
「蟹さん!」
蟹さんは救急車で運ばれた。
熱中症だろうか。
パンダが同乗しようとすると、入り口で身体が引っかかって乗れなかった。
「……」
一人になってしまった。
一匹か。一体か。着ぐるみ生命体の数え方は不明だが、孤独なのは確かだ。
いつしか、リンデンリリーのみんなに早く会いたいと思い始めた。
そして雨は過ぎ去ってしまった。
パンダは屋上遊園地へ帰る。
とぼとぼと歩く姿には一切の覇気がない。
駅前からデパートの途中で小さな楽器店があった。
ガラスの自動ドアから女性が出てきて、店先の傘立てを回収する。
明らかに着ぐるみのパンダに気づき、驚いた表情をした。
りりおのお葬式から数年。高校生だろうか、それとも大学生だろうか。エプロンが良く似合うのは確かだ。
パンダはそこで少しだけ立ち止まって、また歩き始めた。
パンダはりりだ。
りりパンダだ。
りりおじゃない。
◇◇◇
普段は誰も見ないステージだが、今日はお客さんが一人。
茶色の髪が良く似合う少女。
りりパンダはステージに登場した。いつもは蟹さんも一緒だが、今日はいない。
ステージの上から、茶色の髪の少女がいることに気づくとりりパンダは気を引き締めると同時に、少女の正体に気づいた。
少女はアズサだった。
一度だけしか話していないが、覚えていた。
みんなで銭湯に出かけた日の夜のパンダが、りりパンダの行き着く先であり、りりとりりパンダが混ざって、ウサギりりになるのなら、文化祭の日に出会ったアズサは、ウサギりりにとっては二度目の出会いだということだ。
一度目は今。
ベンチに座らずに仁王立ちで、ステージ上のりりパンダを見上げてくる。
生意気にも飴を咥えて、りりパンダのステージを批評するような目で見ていた。
六歳くらいだろうか。
アズサとりりは同じくらいの年齢だった。
りりおが死んですぐに、りりが生まれたのが確かなら、過去に飛ばされりりパンダになってから、もうそれだけの時間が経過したということだ。
たぶん、半分が過ぎた。
もう半分を過ごせば、りりパンダは、庭でウサギりりになり、あの日の河川敷でりりとして未来に進むことができる。
時間が過ぎているように見えて、りりパンダの時計は止まったまま。
りりパンダは、ステージの真ん中に用意されたドラムセットに座った。
当然、りりパンダのドラムは極まっている。
「ワン、ツ」
合図と同時にアンパンマンマーチの音源がスピーカーから流れた。
アンパンパンダの顔。
りりパンダは、自分の身体に宿ったリズムをドラムに激しく叩きつける。
アンパンパンパンパンダの顔。
これじゃない。
そう思いながら。
演奏が終わると、アズサは拍手をした。
拍手を終えると、すぐに口を開く。
「他人の曲じゃん」
「え?」
寂びれた屋上遊園地の、錆びれたステージ。
音楽が止み、静寂の中で、アズサの声は響いた。
彼女の言う通り、それは他人の曲だった。
だからどうしたというのか。
的外れな指摘に、りりパンダは仮面の裏で苦笑いをした。
「音楽好きじゃないでしょ?」
デパートの屋上には蟹が逃がした赤い風船が顔を除かせ、何かを脅かすかのように少し震えて破裂した。
◇◇◇
見上げると湿気た空があった。
タバコの煙のせいで雲は灰色に濁っていた。
隙間から除く青に手を伸ばす。
木のベンチは腐っていて、壁を隔てた隣には小さな夢の国があった。
パンダの頭がベンチに置かれている。
りりはパンダの大きな身体から顔を出して、タバコを咥えていた。
りりが動くたびに、腐った木のベンチが軋む。
底が抜けて落ちそうで、りりは青に伸ばした手を引っ込めた。
「レジの金額が合わない。今月はこれで三回目だ」
同僚のしげはるが悪態をつきながら喫煙所に入ってくる。
入ると言っても夢の屋上遊園地とデパートの間には薄いベニヤ板が一枚。そんな壁で現実なんて隠せるわけなくて、子供たちはみんな外来種のネズミに夢中だ。
「誰かがレジの金を横領しているに違いない」
「合わない分はどうしてるの?」
「俺の財布から小銭を出して調整している」
それって関節的に財布から金を盗られているのと同じだ。
クソみたいな人生だねって笑い飛ばしたかったけど、パンダに人生をとやかく言われたくないだろう。
しげはるも社会の歯車の潤滑油として満足している。
慣れた手つきでタバコを口に咥えて火を着けた。
こんな彼にも前世があって、こんな彼でも来世は無双できる。徒競走や勉強では何の苦労もなく一番。だから、老後なんかよりも若々しく瑞水しい大切な時間を自分がやりたいことに使うことができて、そのことに圧倒的な自由を感じることができるはずだ。
りりがそうだった。
そして不自由であることに気づく。
「自分の前世ってなんだと思う?」
そんな質問が口から零れた。
「ずいぶんと楽しい話題だな」
「たまにはね」
「うん、そうだな……」
しげはるは少し考えて答えを出した。
少し考えたってことは、しげはるに前世はない。
りりの場合は、少し考えなくとも、前世はりりおだ。
「俺の前世はカマキリのオスだ」
りりの頭にはハテナの味が広がった。
しかし、それはすぐに消化される。
人の前世が人じゃないことだってある。りりの前世はりりおで、しげはるの場合は妄想だけどカマキリ。そしてオス。
「どうしてオスのカマキリ?」
「カマキリのオスはエロいことしている最中にメスに食べられて死ぬ。前世がそんな死に方なら、俺が26歳でまだ童貞なのも納得できるだろ?」
「……くだらないね」
「前世なんて、くだらないだろ」
「カマキリのときにはできなかったことをやろうとは思わない?」
「なんで俺がカマキリなんかに縛られなきゃならないんだ」
「……そうだよね」
しげはるを肯定することで、大切な何かを否定した。
「お前の前世はなんだったんだ?」
「クマノミかな」
りりは灰皿にタバコを擦り付けた。
腐った木のベンチから立ち上がる。
「どうした?」
「やらなきゃいけないことができた」
りりはベンチに置かれていたパンダの頭を装着して、りりパンダになった。