14話 生まれる前、死んだ後
犬の散歩をしていたしずくは見たことのあるシルエットを発見した。
川辺のベンチに座ってベースを弾いているが、あまり音は響いていない。
なにをしているのだろうか。
まあ見ての通り演奏なのだろうけど。
ここで演奏して何の意味があるのだろうか。
「ウサギさん」
りりは呼ばれていることに気づかずに無視をする形になってしまった。
ウサギりりって呼んでくれないと自分だって分からない。ウサギは他にもたくさんいるから。
しずくは不満そうに頬を膨らませる。
正面に立って仁王立ち、影が落ちて不思議に思ったりりがようやく顔を上げた。
「ああ、お客さん」
「しずくっていいます」
「私はりり」
「あの、演奏すごい感動しました。それまでの茶番はいらないと思いますけど」
しずくは目を輝かせて言った。
りりは苦笑いをする。
「体張ったんだけどね」
「暗くてよく見えませんでした。前の方なら見えたんでしょうけど、私一番後ろでしたから。あ、体育館に入ってきたのは一番近くで見れましたよ」
「見えなかったのなら、よかったよ」
「音楽は聞こえるだけで十分ですからね」
しずくはりりの隣に座った。
そこで、りりはしずくが犬を連れていることに気づく。
犬の散歩中に、ギターを背負ている意味はあるのかと疑問に思うと同時に、この犬、どこかで見たことがある。
それを思い出すのには時間がかからなかった。
りりは苦い顔になった。
「この犬、どこで拾った?」
「え、家の前で轢かれてて、それを助けたんです」
「……役者だな」
「?」
りりの反応を不思議がるしずく。
「おい。お前の目的はなんだ」
「……今まで僕に喋りかけたことなんてなかったくせに」
「ええ! 喋っていいの?」
しずくの反応から考えるに、犬はしずくの前で喋れることを隠していない。そして、しずく以外の他人には喋れることを隠しているのだろう。
「……喋る犬がいたら、人間は黙るべきだろ」
「知らないよそんなの」
りりと犬の雰囲気は悪かった。
しずくはそわそわする。何か話題はないかと考えたときに、最初に思いつくのはやはり音楽だ。背中のケースを地面に置いて、チャックを開ける。
「りりさん見てください。私のギター珍しいんですよ」
「待った」
蓋を開けようとした瞬間、犬がしずくを止める。
「どうしたの?」
「それを彼女に見せることは許さない」
「どうして?」
「僕は対処しないといけなくなる。これは君には話せない」
「……分かった」
妙に聞き分けが良い。
りりとは正反対だ。
りりはチャックを閉めようとするしずくの手を掴み、無理やり蓋を開けた。
「なるほど」
りりの頬が引き攣る。
ケースの中にあったのは数発の弾痕が残されたビンテージのエレキギターだった。
白と黒のストラトキャスター。
「これをどこで?」
しずくからの返答がない。
りりが振り返るとしずくから生気が抜け、全く動かなくなっていた。しずくだけではない。周囲の風景すべてが止まっている。落葉すら、空中でピタリと動かない。
「……時でも止めたのかな?」
「似たようなものさ」
「時を止めたら全く動けないって動画で見たけど、私と君は動けるね」
「似たようなものだからね」
「時を止める系のアダルトビデオで犬が動いてるみたいなネタあるよね」
「……」
犬とりりだけが動けた。
この状況が犬の仕業だという判断は簡単だった。喋ることができるというのはその能力の一端であり、神がかった御業まで扱うことができる。犬の姿も仮初めのものだろう。
「君には謝罪と同情を上げよう。僕には感謝をくれ」
「なんの話?」
「このギターを生み出すために君を殺したのは僕で、君を生まれ変わらせたのも僕という話だ」
りりの顔が歪んだ。
「君の一連のすべては、悲劇のギターを生み出すためのシナリオ。それを完遂することが、僕が神になるための条件であり、神としての最初の仕事が君を転生させることだった。難しいことじゃない。僕にとっても、君にとってもね。世界の中心であるしずくに深い影響を与えさえしなければ、君は何をしてもよかった」
「それならしずくともっと離して転生させろ」
「どうしてまた音楽なんだ。なんでも良かったじゃないか。つくづく運がないね」
それはしずくにも言えることじゃないか。
どうして音楽なんだ。
「とにかく、君からの影響を最小限に抑えるために、表舞台からは姿を消してもらう」
「……心の準備が必要だね。具体的には?」
「君を、君が死んでから、生まれるまでの過去に飛ばす。しずくが大人になるまで、そのころには君も大人になっているだろうから、それまでじっとしておいてくれ。大人しくって意味だ」
「……意味が分からない」
この場で消えたら、しずくが驚くじゃないか。
それとも魂の抜けたようなりりがこの場に残り続けるのだろうか。
少なくとも犬の説明では全てを理解することは難しい。
なるようになるか。
「じゃあね。またね」
犬はそれだけ言って、りりを過去に飛ばした。
時が動き出す。
しかし、しずくの隣にはりりがいた。
◇◇◇
ニュースにバブルガムフェローのギタリスト、リーヤこと佐藤倫也が死んだというのが流れてきて、りりは笑った。本当に過去に来たみたいだ。今は倫也が死んだ翌日の昼らしい。りりは思ったより冷静で、何をしたらいいのかと考えたときに、まずは世界のシナリオをめちゃくちゃにしてやろうと考えた。
そしてこの時点で、りりは自分のやるべきことを何となくだが理解していた。
心許ない所持金では活動の範囲を広げることはできない。幸い、ここがどこかというのは分かりやすい。スクランブル交差点だ。渋谷駅周辺でカツアゲをして金策するのも一つの手だが、芸術的ではない。まずは渋谷から、上野へなけなしの金を使って移動する。
上野動物園近くの広場で風船を配っているパンダを発見した。明らかに着ぐるみなのに、自らをパンダと称して子供たちを騙している悪党だ。悪いことは何もしていない。りりは休憩中にパンダの中の人をボコって、成り代わった。
それからりりはしばらく、パンダとして生きていくことになる。
◇◇◇
地味な性格なのに派手なことが大好きだったからリーヤの葬式は盛大に行われた。
多くの音楽関係者が集まって、昔からの友人や、家族、もちろんバブルガムフェローのメンバーも参列していた。その時点でリーヤの本名を公開した報道は行われていて、メンバー間の確執は大きかった。
粛々と式は進められて、この悲劇に対して誰も何も攻めの姿勢を見せることはできない。
盛大な見た目の式の内情は、こじんまりとしていた。
りりが見たら生ぬるいというだろう。
「生ぬるい」
サプライズ忍者のようにパンダの着ぐるみが葬式に登場した。くそつまらない葬式にはパンダくらい来た方が面白くなる。死んで悲しいのは分かるが、それなりの元気を出してほしいものだ。
パンダは真ん中を堂々と歩き、用意されたお焼香をタバコのように見立てたような一芸をしようとしたがどうも上手くいかず、あきらめてそばに置いてあったギターを持った。
「どうもパンダヒーローです」
じゃんじゃか、じゃんじゃか。
あまり響かないエレキギターを引っ掻く。
パンダの登場に唖然としている一同だが、警備員は捕獲に動き出した。
猶予はなく自らのやるべきことを果たすパンダ。
目をまん丸にしている女の子を見つけて、話しかける。
「元気か?」
「うん」
「ならよし」
パンダはポンポンと頭を撫でた。
倫也が死んだときの妹は13歳。今のりりの一個下。バランスが取れている。
パンダは捕獲を試みる警備員をばったばったとなぎ倒し、弾痕が刻まれたギターを持って葬式会場から逃げ出した。
墓の前で聞いた話と同じだ。
◇◇◇
みさきとたかしの結婚披露宴で余興を披露することになった古くからの友人たちは、その前日に集まって計画を立てていた。マジックが得意な沢渡、ミスチルのモノマネができる吉田、売れてないピン芸人のモッコリ斎藤、この三人の中から決めようということになっていたところに、みさきの友人だった古橋がパンダを連れてきた。
「パンダ?」
「このパンダ、ギターいけるらしいよ」
「明らかに着ぐるみだけど……」
パンダは用意していた落書き帳に黒くて太いマジックで書き込む。
『雰囲気あるアコギいけます』
「つば九郎スタイルなんか……」
モッコリ斎藤のツッコミが冴えわたる。学生時代と同様にお喋りな彼が場を回す。
「どこで見つけてきたんだこのパンダ?」
「デパートの屋上でドラムを叩いてたの」
「ドラム? ギターじゃないのか」
『ドラムはバイトです。ギターは極めてます。あと、ベースもいけるけど、葬式向けです。結婚式にはやっぱりギターだと思います』
「達筆だな」
「冠婚葬祭ようのパンダなのかな?」
ぱぱぱと書いただけだが褒められて嬉しくなる。表情に現れることはないが、内心ではホクホクしていた。
「ピアノは弾けないの?」
『手がこれなんで無理です』
「速筆だな」
文字を書く速度も褒められる。もはや何でも褒めてくれる。
この世のありとあらゆる何かに才能があって、ベースだけ苦手なのだろう。しかし、ベースも極めた感覚があった。あの感覚は何だったのだろうか。
「ただ、音楽か……」
「それ、配慮しちゃう?」
「……するだろ」
友人の喪中の結婚式だ。その友人と関係が深い音楽でのお祝いが相応しくないのではないかというのが、モッコリ斎藤の意見だ。
「真っ白なウエディングドレスだったし」
「真っ黒なテールコートだったぜ」
古橋は新婦であるみさきが白い服装だったことを指摘した。
喪服といったら黒だが、ウエディングドレスといったら白だろう。
真逆だ。
そして、ちょうどパンダは白黒だった。
『音楽を侮らないで。私に任せてください。ご友人の死は存じています。彼の死を受け入れて、新郎新婦が一歩進むためには、やはり音楽の力が必要です』
パンダは良いことを書きすぎで、もはや自分が誇らしくなった。
「……字が小さくて読めない」
「なんて書いてあるの?」
「……」
めんどくさくなったパンダは人の記憶で最初に忘れるのは声ということを思い出し、なんとかなると口を開いた。実際りりはおじいの声をもう思い出せない。そう思ったが、そもそもおじいの声は聞いたことがなかった。
もちろん、パンダの口は動かないので腹話術みたいになっている。
とにかくパンダはたまたま生まれた時間を有効に使おうと、自分の人生が始まる前にいろいろなことを始めた。
生まれた時間が、生まれる前の時間というのは面白い。
アリスにはズルだと言われるのだろうなと、パンダは笑ったが、やはり表情は動かなかった。
◇◇◇
ユーティリティープレイヤーであるモッコリ斎藤の司会で結婚披露宴はつつがなく進んでいた。笑顔の新郎新婦と、その親族。会場にはステージが用意されて、大きなモニターにはこれまでの人生の良かった場面をまとめたエピソードVTRが流れている。
そして突然の暗転。
「僕たちにはもう一人、忘れることのできない友人がいました」
入口のパンダにスポットライトが当たる。
今入ってきたのではない。最初からそこにはパンダがいて、みんな飾りだと思っていた。
動きだしたパンダ。
その手にはアコースティックギターが抱えられていた。
「このパンダは音楽の神様です。友人の思いを歌にして今日、駆け付けてくれました」
わあとなんとなく盛り上がり、拍手が上がる。
パンダは堂々と歩き、ステージに上がる。
そこにはマイクが用意されていて、何か話さなければいけない。
「あー。どうもパンダヒーローです……偽名です」
天使のような声がこもって聞こえた。
「パンダというのは、まあ動物の一種で、近い将来さまざまな種類の動物に不思議な個性を持った奴らが現れると思います。喋る犬、サングラスをかけた蟹、無駄に会議を重ねる猫、まあ、わたくし、明らかに着ぐるみのパンダはその予兆だと思って頂ければ幸いです」
新郎新婦の顔を見る。困惑している表情だ。むりもない。
「今日の良き日にわたくしパンダめが何をするかというと一曲披露させていただきます。さきほど申しました不思議な個性を持った動物というのは、音楽の神様であり、わたくしパンダはその中でもギターの神様というわけでして、こうしてアコースティックギターを持って現れた次第であります」
じゃかじゃかとギターを掻く。
「一つ、伝えたいことがあります」
じゃん、じゃんじゃかとギターを撫でる。
パンダは前のめりになった。
「それは、幸せに生きる方法です。故、佐藤倫也が新郎に教わった生き方。新婦から学んだ道の見つけ方」
パンダが語っている途中から、曲のイントロが入っていた。
「聞いてください。リンデン」