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バブルガムフェロー  作者: フリオ
一章 リンデンリリー
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10話 パンダパンチノーダメージ

 

 りりとトリノの雰囲気をアリスは恋愛に例えたが、りりにそんなつもりはない。鈍感になるのも仕方がない。りりの一人称は複雑であり、自分自身が有している女性男性に振り回され、他人からどう思われているかというところまで気が回らない。とくにりりの中にある男性からみたら中学生の女の子は娘のような感覚だし、女性からしたら単純に友達に思える。それぞれのセクシャルが交ざりあった結果、都合の良いようにりりが女の子を好きになれば、トリノの気持ちにも応えてあげられるだろう。


 パチンと弦が切れた。



「……」



 アリスはヒリヒリと痛む指を眺める。子供だった指が大人の指に変わっていく。

 これは処女を失うときの痛みと似ているのだろう。


 自分で弦を張りなおすことなんてできない。


 りりの膝の上に青いギターが乗っているときに、相棒のように思えてきたあのギターが自分のものではないのだと分からされる。



「はい。これでおーけー」



 慣れた手つきで弦は張りなおされた。


 りりは大人なのだろうか。


 子供にも見えるし、大人にも見える。


 少なくとも男性経験はなさそうだ。

 アリスの勝手な意見だが。



「今日はおしまいかな」



 時計を確認して、りりは呟いた。



「銭湯に行こう」



 アリスの口から言葉が漏れる。自分でもなんでこんなことを言い出したのか分からない。でも、このタイミングで裸の付き合いってやつをしたら、なんだか全てが良い方向に行くような気がして、アリスは自分の無意識を褒めた。



「お風呂に入るお金はありません」


「……奢る」



 その言葉でホタテは行く気マンマンになった。ホタテから言い出したくらいの勢いである。ホタテからなら良い出汁がとれそうだが。



「私はちょっと……」



 りりは気まずそうだった。


 こんなこと滅多にない。他者の珍しい部分というのは、本質であることが多いことをアリスは知っている。トリノを見ると、彼女も気まずそうだった。この二人が一緒の銭湯に入る意味を考えたときに、それはとても有意義な時間になるだろう。



「みんな強制だ。ついてこい。良い風呂を知っている」



 なぜかこのときだけ戦闘民族のように勇ましいアリスを先頭にみんなで銭湯に向かう。


 タオル貸出、桶貸出、シャンプー貸出。


 脱衣所には人は少ない。まだ夕飯時。銭湯に入りにくる人は少ないのだろう。アリスは豪快に制服を脱いでいく、ホタテもそれに続いた。やはり、りりとトリノは塩らしい。


 アリスはタオルで前を隠しながら、入浴場に入場する。後ろからなら白いお尻が丸見えだった。

 かぽんと音を鳴らしながら、身体を清める。



「銭湯って手ぶらで来ても入れるんですね」



 ホタテはそう言いながら、手ブラをしていた。身体の隠し方をまだ慣れていないのだろう。アリスの隣に座って、桶に水を貯め、身体にかける。細くて弱々しい身体に、水が流れた。


 りりはなぜか仁王立ちをしていた。


 目の前に描かれた富士山を見て、日本の自然の雄大さを感じ、完全に吹っ切れたのだ。ほどよく付いた筋肉の上に、女性らしい柔らかな脂肪が重なって、健康的な身体をしている。富士山と比べれば劣るが、世界遺産級の肉体だと、いくつかある鏡に映った自分の姿を見て思う。


 女風呂に入ることを恐れてはいけない。


 りりは女の子だ。


 こういう日も来ると覚悟はしていた。修学旅行とか。それが少し早まっただけ。

 アリスとホタテは、一足先に浴槽へと入った。



「「はあわあ」」



 二人から変な声が漏れる。


 後ろに富士山、前にりり。富士山の雪化粧のように白いタオルを頭に乗せた。



「あ、あのさ」



 トリノの声が浴場に響いた。


 りりが後ろを振り返ると、そっぽを向いたトリノがいた。

 入口の前に立って、恥ずかしがっている。



「隠した方がいいと思うよ」


「人が何かを隠すのは、後ろめたいことがあるから。私は清廉潔白。何も悪いことはない」


「丸見えなのはこっちが恥ずかしいよ」


「じゃあ、風呂に入ろう」



 りりは浴槽に片足を入れる。熱さに顔を顰めるが、弱音を吐くのは情けないので一気に浸かった。



「ふんふん」



 熱々のタコ焼きを食べたときのような声を漏らす。

 タコ焼きは中から攻めるが、お湯は外から攻めて来る。



「身体洗ってから入れよ」



 アリスからマナーについての指摘が入る。



「清廉潔白」



 りりのつるつるな身体。



「マナー違反だ」


「他人のマナーを指摘するほど、マナー違反なことを私は知らないけど」


「勝手にルールを創るな」


「マナーってのは勝手なルールだろ?」



 二人の生産性のないレスバトルをホタテは真剣に聞いていた。素直な子だった。どうして、りりはお風呂に入る前に身体を清めないのに、タオルは頭の上に乗せてお湯につかないようにしているのだろうと、考えても意味のないことを考える。



「二人とも嫌なおばさんになりそう」


「……」

「……」



 無自覚のパンチラインに二人は押し黙った。


 ペタペタと身体から水が滴っているトリノが湯舟に片足を入れた。


 つま先から入って、ふくらはぎへ。


 ゆっくりとお湯に入っていくトリノの身体の重さで波が生まれる。


 波は湯舟を這い、りりの心に届いた。それに気づかないほどの鈍感。


 トリノは端っこに背中を預ける。

 しばらく無言の時間が続いた。


 りりとトリノが話さなければ、アリスとの口喧嘩くらいで、あとは喋ることはない。


 みんなあんまり仲良くはない。

 気が合わない。趣味も合わない。


 女の子っていう点では同じかもしれないけど、女の子にも色々ある。今もみんな別々のところを見ている。ホタテなんて目を瞑っている。アリスには本質が見えている。


 しばらくして、トリノが口を開いた。



「後出しじゃんけんみたいなズルって、アリスが一番嫌いなことなんだろうけどさ」



 話し声は浴場に反響する。

 ここで歌うと自分の耳に上手く聞こえそうだ。



「? 良く分かってるじゃないか」


「うん。たぶん今の私ってすごいズルをしてるんだと思う」


「なんだ?」


「アリスに対してじゃないよ」



 トリノはそれから何度か口をパクパクさせた。



「私って恋愛対象が女の子で、りりのことが好きなんだよね」



 トリノの告白は必要以上に響いて、恥ずかしいくらいその空間に湯気と共に残り続けた。



「でも一緒にお風呂に入れちゃうのって男の子たちからしたらズルでしょ。だからせめてマナー違反でもルール違反でもどっちでもいいから、りりには頭の白いタオルを浴槽に突っ込んで身体を隠してほしいなって話」



 トリノは目をぐるぐる回して、顔を真っ赤にしてのぼせて、最後の方は何を言っているのか自分でもよく分かっていなかったけど、伝えたいことは伝わったかなって、ホッと吐いたため息があまりにも熱くて驚く。


 ついでにホタテも口をあんぐり開けて、真っ赤になっていた。



「あー、えっと、その告白の方がズルじゃない?」



 りりは困ったように変な言葉を口から出した。やっぱり自分でもよく分かっていない返答になった。りりはこういうのに慣れていなかった。女の子特有のなぜか急に勇気が湧き出ちゃうような告白をくらって、汗が止まらない。



「じゃあ、一緒にお風呂に入っていい?」


「後出しじゃんけんじゃん」



 やっぱり後出しじゃんけんだ。トリノはもう一緒のお風呂に入っている。



「でしょ?」



 トリノは開き直った。


 りりにそれを否定することはできない。トリノのそれがズルというなら、自分もズルをしてるから。



「私はグーしか出せないよ」


「じゃあ私もグー」



 あいこになった。

 りりの頭はパーになり、頭の上の白いタオルを投げた。白いタオルを投げることが降参の証だと教わったのだ。


 パーになったら、グーには勝っているのだけど。


 負けちゃった感が、りりの口を開かせた。



「昔、ギターを極めることにした男がいた。私が生まれるずっと前、隣の席の男の子に憧れて、クラスのマドンナに唆されて、ガムを握って、一本のギターを手に取って極めて、そこで思ったのは、これは違うなってこと。極めるべきはギターじゃなかったと確信して、刹那に死んで生まれたのが私」



 またりりはSFのようなことを語り始めた。

 りりが急にそういう話を始めるのは、アリスには経験があった。



「初めは戸惑ったよ。ちんちんがない。お母さんは見覚えがあって、お父さんもそう。心は銃で撃たれる前のまま。だから、死ぬ前に見る悪い夢なのかなって思ってたけど、どうやら死んだ後に見る最高の現実だったみたいで。そのことを受け入れたら、女の子の身体も受け入れられたし、女の子の身体も自分の男の子の心を受け入れてくれた」



 長い話の間、熱い浴槽から上がることはできない。


 気づくことのできない汗をかいて、額には前髪がひっつき、みんなのぼせていた。


 りりの話を咀嚼すると、経験したことのない未知の味に紅葉した頬は落ちそうになるほど蕩けて、ウケる。



「りりは男の子ってこと?」


「そうズルいでしょ」


「ちんちんないのに?」


「見てんじゃん」



 りりに指摘されて目が泳ぐ。


 湯舟には白いタオルが泳いでいた。


 そしてトリノの頭もパーになった。



「そして私も見る」


「おあいこってこと?」



 二人の頭はパーになって、やっぱりあいこになった。




◇◇◇




 トリノは牛乳瓶の蓋を弾いた。回転して手元に戻ってくるそれは、夜の星よりも輝いて見えた。普通は捨てるであろう蓋を持ち帰ったのは、それが大切な思い出の品になるであろうから。のぼせた身体に染み渡ったコーヒー牛乳は忘れられないだろう。


 芯まで暖まった身体から吐く息は、外気に晒されたとたんに白くなる。

 こんな気分の夜は初めてだ。


 スキップしそうな勢いで、自販機の明かりを通り過ぎる。


 地面を蹴ると弾け出すパンダ。


 パンダに自慢しないと。

 パンパンパンダの顔。



「パンダ?」



 トリノは立ち止まった。

 パンダの顔が思い出せない。


 冷たくて気持ちが良かったはずの外気が、急に身体中にまとわりつくような気持ちの悪いものに変わった。


 嫌な予感がする。

 トリノは走った。


 なぜ走っているのかも忘れてしまっている。


 帰宅したトリノの部屋には笹の葉が残されていた。


 どうして笹の葉があるのかわからない。


 七夕のシーズンじゃないし、織姫も彦星も嫌いだ。



「なんだこれ」



 トリノの記憶から何かが抜けた。



「パンダってなんだ?」




◇◇◇





 変な時間に銭湯へ行ったから、りりの生活リズムは狂った。夕飯を食べて、歯を磨く間に本来ならお風呂に入るのだけど、今日はそれがなかった。りりはウッドデッキに出て、ベースを弾きながら歌った。


 そこにパンダがやって来る。


 りりは暗闇に覗くパンダの白黒の身体を見て、裸足で庭に出る。


 見たことのあるやつだった。



「明らかに着ぐるみだけど」



 パンダは腰を落として、ファイティングポーズをとる。



「カンフーパンダってことね」



 りりもそれに応じる。


 パンダは細かいステップを踏んで、身体を揺らした。この巨体でりりのスピードに対応するには常に身体を動かし続け、反応から行動までの速度を高めるしかない。


 りりはゆったりとしていた。


 パンダの平均的な持久力は知らないが、体力は無限ではない。

 自分は警戒をするだけで相手の体力を消耗させ、有利を作る。


 やがて、パンダから仕掛けた。細かい二連撃をりりにいなされた後、蹴りを入れる。それも簡単に防がれ、また距離を取る。間髪入れずに、勢いを付けた突進。しかし、ひらりと躱され、すれ違いざまにりりの裏拳が後頭部へ直撃する。


 意識が朦朧とするパンダ。


 パンダとしての演技を忘れ、もう一度りりと対面する。



「……消えてしまうのは怖くない。君も私だ。分かるだろ?」


「……?」


「うおおおおおおお」



 雄叫びを上げながらのストレート。


 りりは首を左に曲げて躱し、パンダの顔面に右のカウンターを決める。


 インパクトと同時に、りりの脳内が火花のように反応する。伝わるシナプスと伝えるシナプスの間を電気が巡り、言語化のできない確信をりりは得た。


 パンダは倒れる。



「……」



 まるで何事もなかったかのように夜の静けさが周囲を支配した。

 りりはその場にしゃがんで、パンダの頭を外す。


 そこには誰もいない。

 ただ着ぐるみの抜け殻があるだけだった。




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