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バブルガムフェロー  作者: フリオ
一章 リンデンリリー
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9話 パンダのリズム

 

 ホタテの家は良く笑うりりが見ても笑えないくらいボロくて、八畳の部屋には錆びたオルガンとサングラスを掛けた大きな蟹が鎮座し、ちいさな丸いテーブルと、端っこに畳んである布団が二セットの強い生を感じ、りりは膨大なインスピレーションを受けていた。


 なよなよしいメンヘラソングが大嫌いなりりは、それらと同類の最近に溢れる生活水準が低めの主人公を描いた純文学を否定していたが、ホタテの暮らしからは似た何かを感じつつ、しかし圧倒的に嫌いにはなれない蟹がいた。


 素晴らしいメンタルを持っていたアリスは、蟹に触れなかった。明らかに大きいし、サングラスを掛けているし、完全にイカれている。蟹よりもイカれているりりか、家主のホタテの説明がない限り、限りなく無視をした。



「君、家にも来たことあったね」



 りりはやはりイカれているようで積極的に蟹に話しかけたが、その内容というのは予想をはるかに超えていた。大きな蟹とりりは知り合いだったのだ。



「彼からピアノを教わったんです」



 アリスは出された水道水を味わった。


 意外にも水道水には味があった。蟹の味だ。


 圧倒的に気のせい。

 しかし、圧倒的に蟹。



「薫子が友達を連れてきたのは初めてだ。仲良くしてやってくれ。じゃあ私は仕事に行くからあとは好きにしろ」



 ホタテのお母さんは、ファンキーな人だった。急に娘が友達を連れてきたものだからビクビクして今日は早めに家を出る。夜の仕事をしているようで、これから出勤。玄関のドアを閉める衝撃で、部屋全体が揺れる。



「ふふふ女子会」



 りりだけがワクワクしていた。


 説明があるからと言われホタテはりりを家に上げたが、女の子トークを始めた。



「最近はすごい動物が多いのかな。私の知り合いにもたくさんいるの。喋る犬とか、明らかに着ぐるみのパンダとか、サングラスを掛けた蟹はその中の一人だった。一人? まあ、いっか。みんな私の演奏を聞きに来てたんだけど、中学に上がったらいなくなっちゃって」



 アリスが水道水を飲んでも女の子トークの味はしなかった。



「なんで蟹さんがピアノを教えられるか知ってますか?」


「さあ? 私がみんなの前で弾いてたのはベースかギターだし」



 怪異たちの前で弾けるなんてすごい。アリスなら引いてただろう。



「アリスには知り合いの凄い動物はいる?」


「……私か」



 アリスは欠けた湯呑を置いた。



「あれだな。私の知り合いには有馬記念を勝った馬がいるな」


「え、すごい!」



 りりはテンションが上がった。音楽以外で唯一語れる趣味が競馬だった。


 音楽を趣味と言えるかは疑問だが。



「……ピアノを弾ける蟹と、有馬記念を勝った馬、どっちがすごいでしょうか?」


「弾けるピアノの程度によるだろうな」


「ちょっと蟹さん、ピアノを弾いてみてよ」



 そりゃ馬が有馬記念を勝つよりも、蟹がショパン国際ピアノコンクールで一位になる方が凄いだろう。馬の大会で馬が勝つより、人間の大会で蟹が勝つ方が凄い。


 りりは昔、こういう不思議な動物たちを幽霊くらい怖がっていたことを思い出す。


 自分に自信が付いたのだ。喧嘩なら負けない。幽霊と違って、動物には物理攻撃が効く。幽霊が怖いことには変わりないが。


 ちょっと考えたらりりおは幽霊のようなものだ。


 蟹は錆びたオルガンの前に横歩きで移動した。蟹っぽい。


 ポロンと蟹は演奏を始める。


 りりが気になったのは、指の代わりになりそうなハサミが二本しかない蟹がどうやって三音同時に鳴らすのかということだ。



「なるほど」



 蟹は難しい曲を弾けなかった。


 だから指二本でも弾けるように曲を簡単に紐解いた。


 りりはにやける。蟹が弾いたのは、バブルガムフェローのメロディー。


 不思議な動物と、自分の転生が無関係ではないことを確信する。


 そしてアリスは本質が見えていた。



「音楽の才能があるのに、それを証明する指がないというのは悲しいな」


「いや」



 アリスの呟きをりりは否定した。



「きっとこの蟹には才能を証明するよりも、大切なことがあったんじゃないかな」


 なぜなら蟹が弾いてるこの曲が、そういうことを歌った曲だと知っている。




◇◇◇




 パンパンパンダの顔。

 パンパンパンパンパンダの顔。


 トリノの脳内にリズムが根付き、心臓が鼓動を刻むたび、酸素と共に全身に巡っていく。全身をパンダに蝕まれたトリノは、乱れることのないリズム感を手に入れ、初めて授業中に眠った。



「トリノ。起きて」



 天使のような声が聞こえて、トリノは目を開ける。


 覚醒したばかりのトリノの脳にも、パンダがいた。


 りりは顔を上げたトリノと目が合うと、何かに気圧されるように一歩引いた。トリノの体内に恐ろしい何かを感じたのだ。



「……パンダ?」


「……りりだよ?」



 トリノは寝ぼけ眼を擦った。やがてパンダはぼやけて、りりの姿になる。自分でも可笑しくなるほど疲労しているのに気づく。今まで授業中に眠っている人をなんて怠惰なんだと非難していたが、寝ている人も見えないところで頑張っているんだと知ることができた。


 トリノは立ち上がると、膝が震え体勢を崩す。


 つんのめったところ、りりに受け止められた。


 そのままギュッと、りりの胸に収まった。



「どしたどした」



 パンダとりりは似ている。


 かわいいのにかっこいいところ。矛盾じゃなくて、ちゃんと二つ感じる。


 トリノはパッと離れた。


 君のために頑張ってると言いたいけど、それだと恋になってしまう。


 愛だけじゃなくて、恋もしたい。


 二つ同時にはできないだろうか。


 それがトリノのジレンマだった。




◇◇◇




 りりたちが通う学校は中高一貫校であり、中等部に通っていたとしても、高等部の先輩との交流は少なくない。りりは高校生の先輩たちを自然と下に見ている。高校生の先輩たちも文化祭で目立っていたりりを可愛がってやろうとしているのだろう。彼女らが一触即発になるのも当然だった。



「なあ、私のバンドでベースをやれよ」


「……」



 りりは壁際まで追いやられて、学内掲示板の隣に背中を付ける。逃げる気などなかったが、背が高くニヤけた様子の大塚先輩は、左手でりりの逃げ道を塞いだ。いわゆる壁ドンという体勢であり、周りからキャアと黄色い悲鳴が上がった。



「お前のベースなら天下を取れる」



 大塚先輩は見当違いなことを言った。



「素人と仲良くやってないで、私たちと本気で音楽しようぜ」



 大塚先輩は文化祭で乱入したりりのベースに唯一付いて行こうとした豪傑だ。そのルックスから学校では王子様的な立ち位置で有名な女子生徒だった。しかし、かっこいい女の子というものに全く惹かれない事情がある。心が男の子のりりにとっては、年上を武器にイキった子供にしか見えない。



「素人とやっても上手くいかないぜ?」


「……」



 りりは顔を背けた。


 口臭がきつかったのではない。

 大塚先輩の間違った認識に飽きれたのだ。


 掲示板の無駄にカラフルなポスターと、色めきだった観衆に囲まれて、りりは辟易とした。また暴力で解決かと、脳裏でりりパンチがよぎった。しかし、相手は女性、金的は効かない。一瞬の迷いが、りりパンチを鞘に納めることに繋がった。



「どうしても嫌だっていうなら勝負をしよう」


「お、勝負?」


「ベース以外の、ギター、キーボード、ドラムでどっちが優秀か決める」



 勝負の内容を聞かなくとも、ホタテは勝てるが、アリスとトリノは負けるだろう。


 しかし、りりはニヤけた。


 ちょうど良さそうなイベントだと思ったのだ。



「いいね。やろう」


「よし。場所を変えよう」



 廊下を移動する間、りりは綺麗に負ける方法を考えていた。




◇◇◇




 

 第二音楽室は普段にはない賑わいを見せていた。軽音部のメインバンド『アルアイン』のメンバーと、よくわからない中等部のかわいこちゃんたちのバトルがあると学内に噂が広まった。暇をしていた生徒たちが集まり、廊下までびっしり人で詰まっていた。


「もう一回説明するから。レギュレーションはワンフレーズ勝負の二本先取。ジャッジは観客が行う。ギター、キーボード、ドラムの順番で私たちの先行ね。もちろん、ギターはアリス、キーボはホタテ、ドラムはトリノだから。フレーズは好きなのを弾いてよし。胸を借りるつもりでいこう」



 それを聞いた三人は困惑していた。


 なぜりりはこんな勝負を受けたのかということだ。



「私たちは初心者二人。どうやっても勝てないだろ?」


「ここで負けて、文化祭でリベンジだよ」


「なに? 私たちが文化祭に出るのか?」


「うん。そもそも文化祭が私のリベンジだ」



 りりの頭の中には明確に思い描かれたシナリオがあった。


 文化祭のライブを皮切りに学内の活動は終了、それ以降は学外、とくにインターネットをメインに活動するつもりだ。それは、ホタテの借金返済への最短距離を行くための選択である。


 どうしても文化祭でライブを行いたい理由がりりにはあった。


 リベンジという言葉は人生をやりなおしているりりにとって最も重要な単語だ。



「さあアリス、負けてきな」



 アリスはりりに背中を押された。青いギターを背負って、群衆の真ん中に躍り出る。


 対するはアルアインのギターボーカル。かわいい系の人気者だ。そもそもりりは彼女がボーカルを担当する時点でアルアインには興味をなくしている。なにより、りり以前にもベースの子はいる。下手くその印象はあるが、彼女がかわいそうだ。


 先攻のアリスは普段練習で弾いている曲のワンフレーズを披露した。つつがなく弾けたが観客の反応は薄い。


 後攻のかわいい系はアルアインのオリジナル人気曲のギターソロパートを演奏した。技術的にはアリスと大差ないが、盛り上がるフレーズと、多少のファンサで、観客からのレスポンスは大きい。



「よかった方に歓声をちょうだい。先攻、斎藤さん」



 観客からの歓声は少ない。



「後攻、まこと」



 わー、と明らかにアリスのときよりも盛り上がっている。



「勝者、まこと」



 アリスはがっくりと肩を落として、帰ってきた。


 どんまいですとホタテが慰める。


 りりは勝ち負けをどうでも良いと思っているが、負けず嫌いなトリノは違う。このラップバトル方式に疑念があった。そもそもこちら側がアウェーすぎる客質だ。大塚先輩は狙ってやっていることだろう。



「よし。ホタテ、相手は合唱コンの伴奏で微妙だった先輩だ。余裕で勝てる」



 りりの見立て通り、ホタテは圧勝した。


 ホタテが演奏したのはクラシックの定番曲だったが、音楽の良し悪しなど分からない客層には、ちょうどいいチョイスだっただろう。クラシックの緻密に洗練された曲は、初見でもすごく良く聞こえる。


 りりは帰ってきたホタテにサムズアップをした。


 最後はトリノだ。りりは彼女が見えないところでどれくらい頑張って来たのか分からない。今、それを知れると思うとワクワクする。


 りりはトリノを見た。

 そして、何かがおかしいことに気付く。



「トリノ?」


「うん?」



 トリノは普段のようにりりに聞き返した。何を不思議がっているのか。



「……怒ってる?」



 トリノはりりの口に指を当てた。



「しー」



 白い歯を見せて、トリノは真ん中に歩いていった。そこにはドラムセットがあって、慣れた様子で椅子の位置を調整する。


 スティックを持って、くるくる回す。

 た、たん。と足でバスを鳴らす。

 つむじからつまさきまで、パンダが流れ出し、ドラムに伝わる。


 パンパンパンダの顔。

 パンパンパンパンパンダの顔。


 何を弾くかはもう決まっている。

 それが間違ってないか、パンダに問うだけ。



「トリノさん少し変わりました?」


「ホタテもそう思う?」



 トリノとホタテなんてあんまり関わりがないのに、そう感じるらしい。


 少なくとも今のトリノはいつものまじめな委員長ではなく、タバコくらいは吸ってそうなパンダ。

 パンダは白黒。

 グレーって意味だ。



「はい」


「……じゃあ準備しておこうかな」



 りりは困った顔になって、がさごそとベースを取り出した。



「おいおい。りりちゃん。君の出番はないよ」



 大塚先輩はりりの方ばかり気にして、相手が見えていないようだ。


 最初の一音。火山のようで、空間の震えはその予兆。何か恐ろしいものが生まれる前の悪阻のような気持ち悪さは、心臓を掴まれたあの日の感覚と同じ、振り向くとトリノによって回されたスティックがドラムに着地して、張り詰めていた色々な何かを弾くと、当然のように音が鳴る。ワンフレーズは一瞬、それが何の曲かも分からないで、しかし、誰もトリノを止めることはできない。ツーフレーズ、スリーフレーズ、トリノが叩くとルールは破壊される。


 この感覚は文化祭の時と同じ。


 違うのは、着いて行くことができない。耳から入る音に対して身体が排除を求めている。さながら毒素のようで、本質はニコチンやアルコールと同じ。音に酔うとはこのことなのか、高揚、トリップ、立ち眩み。


 大塚先輩は膝を付いた。


 その隣をりりは歩いて、苦しむ群衆の中央に躍り出る。


 言うまでもないが、りりは「これだ」と目を輝かせている。


 この状況を予想していたわけではないけど、こうなることは分かっていた。


 その程度のことで矛盾を訴えても無駄だ。


 自分にとって都合の良い感覚の中で生きているりりと共に歩くには、自分の全身にパンダを流すくらいでようやく追いつくことができる。もちろん、パンダというのは例え話ではない。


 りりとトリノはセッションを始めた。

 観客など眼中になく、勝負など消え去っていた。



「あの、意味わかりますか?」


「……恋愛だな」


「意味わかんないです」



 ベースとドラムは、矛と盾の代わり。もしくは矛と盾の交わり。ふたつ、ふたりがくっついて矛盾になる。愛もしたいし恋もしたいとき、音楽を始めたら恋愛ができる。というのがアリスのそれっぽい解釈だ。


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