悪魔の蹄
「すげーどうでもいいこと聞いていい?
悪魔の尻尾ってあれ何の尻尾? 矢印になってるやつ」
合同同好研究部。ある中学で規定人数を割ってしまった同好会や研究会が集まって合同同好研究部という形で存続しているふわふわ寄せ集めの同好会集団である。
基本的に雑な知識で雑語りしたりとぐだぐだだべっているので、誰か知ってる人が答えてくれそうな気がする部活である。
「矢印になってる尻尾って言うと西洋の悪魔? 有毒生物の毒針を表しているという説がある」
「あれ毒針なんだ」
「悪魔はドラゴンって説があったから、ワニとかヘビとかの骨格から返しが付いた尻尾が想像されたのもあるんじゃないかな? 昔のドラゴンの絵、ほとんどは蛇みたいな尻尾だけどたまに矢印みたいな尻尾のがいる」
「ドラゴンなの? あれ? もしかして俺勘違いしてた? あれ悪魔の竜人形態って事?」
「そもそもキリスト教では旧約聖書にも新約聖書にも敵対者としての悪魔の記述はあるけど、姿についての言及はないらしい」
「じゃああの有名なでかいフォーク持ってる全身タイツとか山羊みたいなのは何?」
「山羊頭の悪魔の有名なイラストは19世紀に魔術の研究家の人に描かれたやつ」
「つまり悪魔って19世紀からなの?」
「その前から悪魔の特徴は断片的に伝えられてたみたいだけど、今言われてるような明確な形を取り始めたのは19世紀頃かもね」
「実はエデンでイヴをそそのかした蛇や落ちたルシファーが悪魔と結び付けられるのは少し後の時代だったらしい」
「え、そうなの?」
「悪魔の起源の一つと考えられているのは、まず紀元後1~3世紀頃に書かれたとされる偽典。ギリシャ黙示録第三バルク書。ここに動物の頭と偶蹄目の足を持った人達が出て来る。犬の姿で鹿の足の人達がバベルの塔を作ったって記述がある。神の敵対者として動物の特徴を持つ人々が書かれてる」
「偽典って何??」
「正典にも外典にもない宗教の内容が書いてある文書。要するに教科書にも参考書にもない正確かどうかいまいち定かでない内容が書かれてる本。外典と偽典の決め方も立場によって違ったりするらしいんで結構めんどくさい。
ちなみに紛らわしいけどバルク書はれっきとした正典、または外典。バルク黙示録は偽典らしい。
原文にあたれなかったんで正確には分からなかったけど、第三バルク書によれば禁断の果実はリンゴとかじゃなくて蔓植物の実だそうな。葡萄とかかもね」
「なるほど?」
「ここに書かれた特徴から異教の神々を悪魔扱いしたって説があるんだけど、ここからがめんどくさい。昔のモーセの像に角が生えてたりする。モーセは旧約聖書に出て来る神様と契約した人だから、悪魔扱いは無い」
「じゃあなんで??」
「一説にはモーセさんが神様に会った後、こう、仏教で言う所の後光が差す感じになったのでそれを表しているという説。
もう一つが翻訳の過程で光が角になったという説」
「つまり当時のあの辺の角は後光の表現なのか………多文化圏に発生してる後光って何なんだろ?」
「んー………共感覚ってあるじゃない?」
「音楽とか数式に色がついて見えるみたいなやつ?」
「カリスマ性みたいなのにそういう後光みたいな共感覚持ってる人が古代にはいっぱい居たのかも」
「……なるほど?」
「そんなわけで当時の異教の神々を悪魔扱いにしたっていう説は強いけど、当時は角、イコール否定的な意味合いでもなかったようだ。アレキサンダー大王とかも角が付いた像があるみたいだし」
「そこから後の時代は悪魔の姿は一定していない。天使や聖職者にやられる悪魔は大抵ドラゴンの姿してる」
「一方で今時の悪魔に近い奴が14世紀頃の本に残っている。その名も、スミスフィールドの法令集Smithfield Decretals。こういうの」
「……何か今スターウォーズで見た事ある人とか殺人兎とか居た?」
「13世紀初頭、教皇グレゴリウス9世が教会法の参考書みたいなのを作った。これはその写本の一つらしいんだ。
これは南フランスで複写され、その時に内容が分かりやすいようにイラストが追加されたらしい。この本には空白が多数あって、注釈が書き込めるように工夫されていたとされている」
「書き込む前提の参考書なんだ……でもこの絵、暗号なんだけど……」
「フランスで追加されたイラストは普通だった」
「ん?」
「14世紀半ば頃、この本はイングランド、おそらくロンドンに渡った。そこで空白に大量のドローラリーdrollery、皮肉絵が追加されたらしい」
「え、この兎が怖い西洋鳥獣戯画風絵、教科書の落書きって事? ……つーか教皇の作った教科書に皮肉絵落書きしたの??? 反骨精神強すぎない?」
「恐らく画家の作品とされてる。もしかしたら読んでる途中で飽きちゃわないようにって気遣いとかかもね」
「この皮肉絵は13世紀から15世紀に流行ったらしい。こんな感じで人と獣が合わさったような生き物や人の様な行動をとる獣達が描かれている」
「何か巨大かたつむり強くない?」
「実は騎士と戦う巨大かたつむりのモチーフはこの本だけじゃなくてこの時代のあちこちの絵に登場するらしいんだけど、何を表しているのか全くの謎だったりする。何かしらの敵対者を示している説とかあるんだけど、たまに騎士負けてるし」
「何なんだ……」
「特権階級である完全武装の騎士という強者が、かたつむりみたいな雑魚と真面目に戦ったり負けたりするという要素が面白いと思われていた可能性が指摘されている。ゴジラ対キングコング対柴犬みたいな」
「この絵、反骨精神の塊か?」
「どういう意図で絵が追加されたかは正確には不明だけど、お陰で当時の悪魔観の一端を見れる。これとかこれとか」
「へー、種類いっぱい居るし大体今の悪魔のイメージと外れてない………この辺の尻尾、どっちかっていうとライオンっぽい尻尾が多い?」
「ライオンがあの辺に居ると思えないから、牛の尻尾なんじゃないかな? 当たると痛いし」
「画家ならちょくちょくライオンの図案見るはずだぞ? 王様の旗とかで」
「……………」
「ライオンが強そうだから、っていう可能性が高いけど……皮肉を込めてるんじゃないよね……?」
「紋章のライオンの尻尾はもふもふしてる事が多いから流石に違うんじゃね?」
「この人ライオン知ってたと思うよ。他の場面でちょくちょく描いてる」
「ロックだな」
「怖いもんなしかよ」
「尻尾以外にも、角や蝙蝠羽があったりなかったり、鉤爪や水かきの足にも注目」
「え? ああ、蹄じゃないんだ」
「つまり悪魔の姿は大昔から連綿と一定の姿が伝えられてたんじゃなかったみたいなんだ」
「蝙蝠羽は13世紀初頭のダンテの神曲、地獄篇とかからかな? 蝙蝠羽の悪魔の描写があったはず」
「あるいはドラゴン羽なのかもしれん」
「ダンテの神曲ってめっちゃ有名だけど何なのあれ? 考える人の像とかのあれだよね?」
「神曲はダンテ・アリギエーリDante Alighieriの代表作。あの世を記した詩の物語。通称『神聖喜劇Divina Commedia』。
ダンテは不意に自分が暗い森に迷い込んでいることに気づく、現れた古代の詩人にあの世を案内されるという筋書き。要するに霊界訪問譚っぽい寓話劇だそうだ」
「そうだったんだ」
「考える人の像は19~20世紀の彫刻家オーギュスト・ロダンが神曲から着想を得て作った地獄の門という作品の一部」
「ちなみにブロンズ像は複製できるのでロダンの考える人の像はいっぱいある」
「どうりで「あれ? これあっちにも無かった?」みたいな気がすると思った……」
「ブロンズ像の複製に関しては死後鋳造問題って言って、原型から著作者の手を通さずに複製できるのが問題になってたりする。作者にとって不本意な鋳造物が出来ても監修できないわけだ」
「へー」
「まぁそんな色々と19世紀頃に魔術や歴史の研究なんかが合わさって『角と蝙蝠羽と尻尾が生えてる赤い全身タイツの人みたいな姿の悪魔』とか、『山羊と人が合わさった姿の悪魔』が形成されたらしい」
「悪魔の赤い全身タイツみたいなのは劇の影響の可能性が高いそうだ。三叉槍みたいなやつは詳細不明。ギリシャのハデスの二叉槍から来てるんじゃないかって説があるらしいけど、そもそもハデスが二叉槍持ってる説がマイナーらしいんだ。三叉槍はポセイドンだし」
「中世からルネサンス頃の美術でプルートーが二叉槍を持ち始めてるらしいんでそこから来てるんじゃないかという説がある」
「農具のピッチフォークで藁束とかを集めるんで、悪魔はこれで魂を回収してんじゃないかって説もあるようだ」
「………地獄の鬼が刺股みたいなの持ってるじゃん? あれじゃね? 武器を持ってるのって普通は騎士貴族みたいな権力者だろ?
偉い人の武器を悪魔に持たせるのはまずくね?って感覚が働いてマイナー武器が採用されたんじゃね?」
「19世紀、ジャポニズム全盛とはいえ地獄絵なんてヨーロッパに渡る??」
「でも浮世絵人気だったし、浮世絵画家で地獄絵を描いてる人、居なかった?」
「19世紀に色々な情報が手に入りやすくなって、化学に押された錬金術が魔術に変化する過程で古代の文献とか異国文化が研究された結果混ざったとかかね。蹄も復活してるし」
「むしろ何で古代は蹄だったんだろ? 途中で鉤爪になってるしドラゴンだしライオンの尻尾だし、普通は強いやばい奴って肉食動物じゃない?」
「架空の生物って言っても身近な強い生き物から出てくるんじゃないか? 草食動物も力は強いから」
「生贄の山羊、スケープゴートから来てるんじゃないかという説がある」
「………紀元後数世紀頃のギリシャ辺りのサンダルを見るとさ、足の甲を覆って足首で固定するタイプが多いみたいに見えるんだよ。それ以前のスペインとかエジプトとかでは親指と人差し指の間に引っかける、いわゆる鼻緒タイプがあるんだけど。
鼻緒タイプの靴を履いてたら今の足袋みたいな形の足の覆いが発達すると思うんだ。下駄を使ってた唐代の中国にも丫頭襪とかあったし………。
仲良くない集団が見慣れない鼻緒タイプの靴を履いてて、足袋みたいな靴下を着けてるの見たらさ「あいつら蹄持ってる」ってなるんじゃないか?」
「…ええ……?」
「………1911年のストックホルムオリンピックで足袋を履いて出た金栗四三が「足の指二本しかないんじゃないよね?」みたいなこと聞かれてるらしい。
多分差別意識とかじゃなくて純粋に気になったんだと思う。当時まだ日本人はレアキャラで、見ただけで話の種になるみたいなとこあったらしいから」
「当時の日本人ってそんな珍しいもんなの?」
「1867年のパリ万博で初お目見えで、それから50年とはいえ、貧乏でなかなか洋行とか難しい時代だからなあ。「パリ万博で民族衣装着たカフェオレ色の肌の女の子がお茶配ってた」みたいな内容がわざわざ日記とかで残されてるみたい」
「カフェオレ色??」
「原文分かんなかったからそのままじゃないかもしれない。牛乳の量と呼び名はフランスの地域によって違うらしいんだ。要はコーヒーに牛乳混ぜた色」
「………黄色と断言するには比較対象が要るし白と言うにはくすんでるし黒と言うには白っぽいとずっと疑問に思ってたんだけど………コーヒー牛乳色だったのか……牛乳の混ざり具合は日焼けや個人差あるとして」
「肌の色は繊細な問題すぎて今時聞けないよね………平気で返してくる人はどっか偏見強そうだし」
「異世界転移して現地で指名手配される日本人の身体的特徴の記述が増えるでござる」
「黒髪黒目、濃い茶にミルクを落とした色の肌ですな」
「とにかく20世紀でもそんな感じだから、古代の異文化圏の人達の履物が蹄扱いされたんじゃないかなって」
「え、じゃあ角は?」
「角は分かんないけど」
「………角髪ってあったよな?」
「みずら?」
「日本の古代の髪型で、よく鉄アレイ言われてるやつ」
「ああ、あれか。それがどうかしたの?」
「あれ、結構後の時代まで子供の髪型として残ってたらしいから、頻繁に髪を切れない時代に長髪を纏めるのに便利で結い直しやすい髪型だと思うんだ。
およそ8の字にまとめて留めるから鉄アレイっぽくなるけどさ、あれの余った髪の端ってどう処理してたと思う? 日常生活でいちいち切り揃えたり紐で結わえて固定するとも思えない、邪魔にならない程度の長さになったならそのまま放っておいたんじゃないかな」
「すると………どうなる?」
「やってみるでござるか? 小生の髪ならギリ小さい角髪作れそうでござるぞ」
「私の髪でもギリギリできそうかな」
結わえた髪が胸の辺りに掛かる、ござるが口癖の元サブカルチャー研究部小柳。柔らかな直毛を肩甲骨の辺りまで垂らした合同同好研究部部長美夏原であった。
というわけで部内の髪の長い人の協力の下、実際にやってもらった。
「………うん……髪質にもよるだろうけど山羊角羊角って呼ばれるかもしれない……」
8の字にまとめきれなかった髪の端が弧を描き、角っぽく見えなくもない形になっている。なお、左右対称である。影だけ見れば山羊や羊の角の形といえる。
「なぁ……もしかして日本人って……」
「違うよ! 日本の足袋が今の形になったのは通説で15世紀頃だからね! 仮に平安時代からあっても10世紀だから」
「鼻緒タイプの草履や下駄は唐代の中国から渡って来たものだから。日本独自じゃないから。それ以前の日本はモカシンみたいな靴か裸足だったとされてるから」
「長い髪を左右対称にまとめると端が山羊や羊の丸まった角みたいになるってだけの話で、長髪を左右対称にまとめるのは別に日本の独自文化じゃない。
中国にも飛仙髻とか双髻とかあるから、ああいう感じの髪型がケモノ耳っぽく見えたんじゃないの?」
「まぁ古代にキリスト教やユダヤ教と対立してた集団がアジア方面に移動して、一部文化が伝わった。っていうのはあるかもね。
悪魔の子孫ってわけじゃないと思うよ……………多分ね」
「バベルの塔、巨大建築を作るために遠くからも労働力を移入したら、言葉が通じないせいで盛大に事故ったんじゃないだろうか………」
「ありそう………」
「近所の人を呼んだなら方言の違い程度で済むけど、遠くから大勢呼んだら言葉も文化も違うだろうからなぁ………現場で一定以上の割合を越えちゃったら事故ると思う」
「強引に労働力を徴収したなら、そりゃ被害を受けた宗教から見たら天罰だろってなるよな」