フィオリア・フォン・ラテミチェリー
──パカラッ、パカラッと、心地よい蹄の音と馬に揺られながら僕は馬車に乗り込んでいた。外に広がる景色を眺めると木々が立ち並ぶ森が続いていた。
今現在、僕たちが通っているのは王都へと続く街道なのだが、道中はとても静かだ。時折鳥たちが羽ばたく音が聞こえてくる程度で、それ以外は全くと言っていいほど無音に近い。これが都会であれば常に喧騒が聞こえてくるのだろうか。そう思うと少し羨ましくも感じる。
「ねぇ、ルシウス」
「なんでしょうか、エトラ様」
「こんな退屈な旅が続くと思うと憂鬱な気分になってしまうよ」
「左様ですか……」
相変わらず素っ気ない反応を示すルシウスであったが、その表情にはどこか冷めた気持ちが見えた気がする。きっと僕に対する警戒心は依然として解いていないのだろう。
いつ寝首を搔かれるか知れたものではないのだから当然といえば当然だが、正直言うと早く仲良くなりたいものである。普通の意味の仲良くとは、当然異なるであろうが……。
「ねぇ、ルシウス」
「なんでしょうか、エトラ様」
「僕は退屈だと言ったよね?」
「しかと聞こえております」
「何か問題を起こしてこいという隠語すらも理解できないのか?」
「えぇ理解していますとも。勿論、理解していますとも!!! ですが森ばかりではありませぬか! 一体何をやれと仰るので!?」
今まで見せたことのない剣幕で捲し立てるように叫ぶ姿に思わず面食らってしまった。全く、察しの悪い執事だ。
「ここら辺りを火の海にでもしたら、マイナスポイント稼げそうだとは思わないか?」
「やめてください。それだけは本当にお願いします。森の精霊様がお怒りになりますよ。最悪、かのご高名な森の民である耳長族の怨みすら、受けるやもしれませぬ」
「なんだと!? 精霊様に嫌われるだって? あの有名なエルフにも? こうしちゃいられないじゃないか」
「なぜそこで喜ぶのです!??」
「もういい、ルシウスには期待していない。この俺がする」
「一体何をなさるおつもりで?」
「森に火を放つ」
その言葉を受けて、ルシウスの顔がみるみるうちに青ざめていくのがわかった。まさかここまでの反応を示すとは思わなかったためか、少しばかり驚いてしまうほどだった。
「そ、それはダメです!!」
「何故だ? もう我慢できないんだよ。我慢する必要なんかないんだ」
「貴方がこれから入学する予定のアカデミーは由緒正しき名門校で御座います故、そのような不祥事を起こすとなると──」
そんな大袈裟なと思いながらもルシウスの表情を見るに決して冗談を言っている雰囲気でもなかった。
しかし、僕はもう馬車を降りてしまったし、マナテリトリーも展開している。あとはマナを放つだけである。
「貴族様、一体どうなさいました?」
僕が勝手に扉を開けて飛び降りたせいだろう。馬車を止めた御者は声をかけてくるが、最早止まるつもりはない。
ちなみに護衛は雇っていない。
なぜなら護衛を雇っていると、盗賊やら山賊やらの野盗が通り過ぎた暁には襲わない可能性だって出てくる。
僕はいわゆるところ、出会い厨なのだ。野盗ならば大歓迎である。
「ルシウス、君の忠告は聞き届けたよ。感謝の意を表明する」
ルシウスに一瞥すると、彼もまた覚悟を決めたように真剣な眼差しでこちらを見つめ返してきた。どうやら僕の本気度を汲み取ってくれたようだ。流石、長年付き合ってきただけの執事ではある。
『火:フランマ』
僕は火の魔法を行使することで進んできた道を焼き払うつもりだった。その……つもりだったのだ。
『水:アクウァ』
突如として背後から放たれた魔法によって一瞬にして消火されてしまったのである。
振り返るとそこには一人の少女が佇んでいた。年の頃は同じ歳くらいだろうか。桜色の髪は左右に分かれように肩元で結われている。肌は透き通るように白く、目鼻立ちも整っていた。そのゴシック調な服装と帽子も相まってまるで人形のようにすら思えてしまうほどに美しい少女だった。是非、その太陽すらも霞む金色の瞳をドブのように濁らせてやりたいと真っ先に思ってしまう。
「まさか本当に存在するなんて……。しかもこの野蛮さ、尋常じゃないわね。なんてところにきたのよ私……」
何やらぶつぶつと呟いているようだが、僕の耳には入ってこない。どれ中身を覗いてみるか。
ステータスオープン
名前:フィオリア・フォン・ラテミチェリー
好感度:ー500
種族:人間族
性別:女
年齢:15歳
状態:驚愕 嫌悪 不満
先天スキル:女帝
後天スキル:なし
隠しスキル:悪役令嬢○転○○
悪役令嬢○転○○:悪役である限り能力値が無限に増幅する。悪役から離れるごとに様々な能力値、生命値が減少する。転○○で○○○○が○○し○い○り○○○○ー○スを得る。
なんだこの文字化けは?
それにこの内容も。この女、僕と会ったことすら覚えもないのに相当嫌っているようだな。まぁどちらにせよ、彼女のことを知りたいという欲求は高まる一方だ。
「さて、この僕に何か用でもあるのかな?」
彼女に微笑みかけるが、返ってきたのは舌打ちであった。おやおや、随分とご挨拶なことで。
それにしてもこの好感度の低さといい、態度の悪さといい──うん、悪くない! 実に素晴らしいものだね!
「エトラ様。そちらのお嬢様がお乗りになられていた馬車の紋章……あのラテミチェリー公爵家の紋章です」
「うん、だからなに?」
「……」
そんなことはこの瞳で覗いたから知っているんだ。
僕がたかだか貴族の小娘に臆する性格をしているならば、森に火を放つことだってしないだろう。
一欠片にも過ぎぬ世の情勢にいちいち怯えるなど、愚の骨頂だ。
「お、おま、お、お、お待ちください。エトラ様ぁあああ」
ルシウスはまるでマナの切れた魔導具の如く、カチコチとした動きで僕の前へ歩み出たかと思うと、あろうことか跪いたのだ。
「どうかもう、問題事を起こすのはおやめになりましょう!」
叫びながら地面に額を擦り付ける姿は何とも形容し難い哀愁を漂わせているように思える。まあ踏みつけてくださいとお願いしているようにも見えるので、とりあえず踏んでおくことにした。
そんな光景を前にしてフィオリアという少女は何を思ったのかはわからないが、蔑むような視線を向けてきたあと溜息をつくと口を開いたのだった。
「私はフィオリア・フォン・ラテミチェリーよ。単刀直入に言うわ。私は貴方が大嫌いなの。どれくらい嫌いかって? それはね、殺したいくらいには嫌いなの」
第一印象は合格だ。
初対面からここまでの罵詈雑言、なかなかお目にかかれるものではない。
これは相当な逸材であると言わざるを得ない。
「へぇ、それはそれは……。僕は君がとても好きかもしれないね」
「あらそう、嬉しいことを言ってくれるのね。でも残念ね、私は貴方に好意を抱いている訳ではないの。むしろ憎悪の対象よ。だからこうして会いに来たの。貴方のことはよく調べさせてもらったわ。エトラ・シュレ・カインズさん。これでも公爵家の娘ですからね」
ふむ、僕のことを調べたのか。やはり僕の魅力に気付こうとしているのか。なんといじらしい娘なのだろう。今すぐにでも抱き枕にしてあげたいところだ。
「それはそうと一つ聞きたいのだが、悪役令嬢○転○○について何か分かることはあるかい?」
僕がその名を口にした瞬間、彼女は大きく目を見開いたのち、眉間に皺を寄せて怪訝な表情を見せた。
「貴方の『ソレ』だとそう映るみたいね。イレギュラーが混ざっていてもそこは見えないように神様が調整でもしてくれているのかしら」
「ん? どういうことだ?」
僕が首を傾げていると、フィオリアは大きく溜息をついた。僕は今、絶賛困惑中である。なぜならば、目の前に立つ少女の言葉が全く理解できなかったからだ。
「ごめんなさい、私の悪い癖だわ。まあ私からも一つだけ言いたいことがあるの」
「なんだ?」
「ここからアカデミーまでは静かに過ごしてね?? いい?? 絶対に! 静かに、ね!?」
その剣幕に押される形で僕は頷きかけたが、こんな面白そうな女がいて静か過ごすわけない。
「僕が静かに過ごそうが派手に動こうが、君にとっては関係ないだろう? なぜそこを気にするんだ?」
「貴方が暴れたとしても、貴方はどうにかして上手い方向に持って行くでしょうね! でもね、私はそうじゃないのよ。私は直接関係しているんだから」
「この広大な森に関係しているってどんな化け物なんだ?」
「私が知りたいわよ……。私はね、処刑エンドだけは絶対に回避して見せるって決めてるんだから」
「処刑エンド??」
「追放、国外追放、奴隷化、死刑、幽閉、死亡の略語よ。貴方は知らなくていいわ。どうせ貴方なんて私の推しキャラでもないし。寧ろ最悪の性格をしている悪魔よ悪魔。この人格破綻者」
なんだか貶されているような気分がするが、それが心地いいので敢えて触れずにおこうと思う。
「まあでも貴方も執事も大変な思いをするだろうけど頑張ってね。不憫な人でもあるのよね」
この女、ちょっと情緒不安定すぎるのではないか?
お願いしてきたり、蔑んできたり、心配したりと、最早この僕ですら不可解である。
「さっきから何を言っているのか分からないんだが?」
「分からなくて結構よ! それじゃあ失礼するわ。さようなら」
そうして嵐のような女は去って行った。
彼女が去ってからはやけに静かであり、風に揺られた木々の音のみが鼓膜を揺らす。ルシウスも黙りこくったままで何も発さない。しかしそれでも退屈には感じず、不思議と気分は高揚したままでいる。
それにしても未来が見えていると言わんばかりの女だったな。まるで結末すらも知っているかのような語り口だった。ああ、面白い女だ。こんなにも胸が踊ったのはいつ以来であろうか。願わくばもう一度彼女に会いたいものである。
十中八九、アカデミーで会うことになるだろうが、どのようにして虐めようか今から楽しみで仕方がない。
あの澄まし顔をぐちゃぐちゃに歪めたらどれだけ爽快なことか。想像すればするほど口角が釣り上がっていくのがわかる。
嗚呼、待ち遠しいなぁ。早く会いたいよ。フィオリア。
「ルシウス、あの女、僕のモノにするぞ」
「エトラ様、またとんでもないことを考えましたね。ちなみにですが、ラテミチェリーのご令嬢はアベリアの皇子とご婚約なされていますよ」
「……なるほど、そういうことか。理解したよルシウス。つまり略奪するというわけだな?」
「ええ! 違いますとも! どうしてそうなるのですか!?」
「どうせあの気狂いのような女だ。婚約破棄されるに決まっている」
「なんと不吉なことを……」
「別に何もなければ僕が無理矢理にでも介入してあげよう。そうすれば皇子に喧嘩を売れるチャンスもできて一石二鳥ではないかい?」
「エトラ様、冗談ですよね?」
「いやいや僕はいつだって本気だよ」
ルシウスは何やら考え込むような素振りを見せていたが、すぐに顔を上げると諦めたかのように頷いた。
「もう好きにしてください。やはりエトラ様についていくぐらいなら死んだ方がマシではないでしょうか? 最悪、私の親族までもが責任として道連れにされそうで……」
「冥土もまた面白そうなところではあるな」
そんな戯言を交わしながら僕たちはアカデミーへ向けて進んでいたのだった。御者が手綱を握りつつ、心配そうにチラチラとこちらを見てくるが気にしてはいない。
「一眠りするか」
「是非そうしてくださいませ!」
ルシウスの声はどこか弾んでいた気がしたが、きっと気のせいだろう。そう告げてから、僕がまどろみに堕ちていくのは早かった。