真の嫌者になるために
それは──
──聖戦を謳う口上のように。
──新たな戦火を焚べるように。
──歴史の崩壊を告げるように。
「アベリア『空中監獄』の全権限をこの僕、エトラ・シュレ・カインズに譲渡して頂きます」
これは始まりに過ぎない。僕は聖戦の口火を切るように言葉を紡いでやったのだ。僕の宣言は想像だにしないものだったようで、誰もが動揺していた。
「ま、待て! つまり何がいいたい!」
「言葉のままですよ。管理が杜撰であるアベリア皇家に任せるよりも悪事を暴いた英雄カインズ家の僕の方が相応しいではありませんか?」
「そんな滅茶苦茶な話があるわけないだろう!」
陛下は叫ぶような声で抗議の声を発した。その眼差しはやはり動揺に満ち溢れていて、本当に皇帝なのか疑ってしまう程だ。だがそれでもなお、彼の瞳は確かに威厳の満ちた色を宿しているようにも思えてしまうのだ。
「少々勝手が過ぎるぞエトラ」
父上──エルガ・シュレ・カインズは、その鋭い目つきで僕を射貫いてきた。けれど僕は涼し気に受け流しながら続けるのだ。
「僕は言ったはずです。裁判の勝利報酬は自らの手で勝ち取って見せると」
「だとしても、そんな勝手が許されるわけ──」
その言葉に僕が被せるように言った。
「──どうせ父上は僕の敗北しか見えていなかったですよね? 僕があらかじめにスターチス・カインズの護衛を頼んだ時、父上は半信半疑だった。僕の真意を図ろうとすらしていなかった。約束は守ってくれましたけどね?」
「それは……」
父上は言葉に詰まる。きっと本心では僕のことを少しは信じてくれていただろう。それでも僕が負けるという自らの予想と相反する立場に立ってしまえば、こうも簡単に揺らぎ判断が鈍くなってしまう。
だけど僕はそういう甘さを見逃したりなんかしない。ここぞと言うときに一気に責め立て、その牙城すら陥落させる。それが交渉というものだ。
「大丈夫ですよ父上。僕は目的のためなら失敗なんてしません」
「これも目的のための過程で起こることの一部とでも言うつもりか?」
「そういうことです」
「…………」
父上は沈黙して僕を品定めするかのように見始めた。その表情は先程までの苦悶に満ちた表情とはまた趣きが異なる。僕の考えを読もうとしているのか、瞳の色はより深い海の様な濃紺に見えることだ。
「ふむ。好きにすればいい。今回ばかりはお前の自由だ」
父上はその言葉を最後に口を閉ざすと。何も話さなかった。だから僕は一歩前に踏み出ると、今度は陛下たちに向けて声を上げた。まるで物語りでも奏でるかのような軽快さでもって言葉紡いでいく。
「国を統治するという極めて重大な責任ある立場として貴方たちはあまりに怠慢だったのです。法とは即ち民のために存在するものであり、権利と義務の取り決めに過ぎません。しかしそんな曖昧な法律や罰則で国の運営をするなど、とてもじゃないが正気の沙汰じゃない! そしてそんな状況に追いやってしまう貴方たちの愚かさに対して、その皺寄せは弱者たる民に向かう他ない。だから僕は声をあげるのです! 民を国の礎と為すために僕は戦うのです!」
僕の主張を最後まで黙って聞いていた国王陛下はゆっくりと瞼を閉じ、しばらくそのままの姿勢で考え込んでいた。そして改めて眼を開くと僕のことを睨むようにして言ったのだ。
「エトラ・シュレ・カインズよ。それでも『空中監獄』を個人に渡すわけにはいかないのだ。これは我が国の始末だけではない。『西』の大陸、全てに関わることだ」
「それはつまり僕の提案を呑む気はないと言いたいわけですね?」
そんな陛下に対し、僕は笑みを浮かべながら言った。
「悪いがそう受け取るのが一番分かりやすい答えだろう」
「では致し方ありませんね。僕はここまでするつもりはありませんが、陛下がそう仰るのであればこちらにも考えがあります」
「……言ってみろ」
「僕の支配下には枢機卿猊下という爆弾があるのですよ? 法の下で平等ではなくてはならない身分の人間から『嘘』という言葉が飛び出てきた時、人はどう思うでしょう。他国のみんなは黙っていないはずです。それこそ保たれている力のバランスが崩れ、世は戦国の時代が到来することでしょう」
「い、言いたい放題いいおって。この犯罪者紛いが!!」
言葉にならない怒りが、罵声と共に僕の耳を穿った。僕に浴びせた張本人である枢機卿猊下は怒りに満ちた視線でもって僕のことを眺めて、ふん、と小さく鼻を鳴らしている。
僕はそれを無視して陛下とだけ向き合い続けながら続けた。
「ならばこの枢機卿猊下を不忠・背信・不孝などの数々をもって裁こうではありませんか。この『録音機』と共に」
僕はそう告げると、懐にしまっておいた録音機を目の前に突き出した。それは今までのやりとりを記録していて、この発言を事細かに記録した証拠が残っているということだ。
「もしこれが世界中に伝わっていった時、きっと世の人々はこう思うでしょう。牢に閉じ込められた犯罪者の中には『冤罪』で裁かれた人間もいるに違いない。更に言えば、今回のように作りあげられた罪によって、この世を去らねばならない被害者がいたことは疑いようのない事実です。つまり首魁にも等しい枢機卿猊下は国の中枢へと入り込んでいた人間であり、罪を被せる教国の聖職者がこの世にいたことを誰が許すでしょう?」
「貴様という奴は……」
枢機卿は歯軋りを立てながら、憎しみの籠った瞳で僕のことを見つめてきた。まるで人を蛇のような目で射貫くがごとき眼光であり、さすがは教国の重鎮というだけあると僕は思った。
「枢機卿は控えよ。今は私が話をしている最中である」
陛下が静かに、しかし強い語気をもってそう言うと、彼は悔しそうな表情を浮かべながら黙り込んだのであった。
「エトラ・シュレ・カインズ。残念だが、それでもなお、許可はできぬ」
陛下は表情を崩すこともなく続けていく。その様は僕に敗北を強要していくようにも見受けられた。しかし僕はそんな陛下に対して、なおも微笑んで続けた。
「そうですか……残念ですね……」
そうして一言だけ呟くと──
「ポチッとな」
まるでボタンを押すように、僕は再生機へとマナを送るのであった。
これもロイシュレイン殿下の声を記録したものだ。それは彼の想いが綴られた僕の本音であり、紛れもない本心だった。
憧れるように。慈しむように。そして何よりも誇るように僕に言ったのだ。
『──僕はね。我が祖国のことをとても誇らしく思っているんだ』
「ロイ……」
陛下のその呟きは弱々しく零されたものだったが、それでも確かに周囲に響き渡った一言でもあった。陛下は実の息子であるロイシュレイン殿下のことを誰よりも強く愛し、大事に思ってきたのだろう。だからこうして、息子の声を聴いて思わずその名を呟いてしまったのであろうことがありありと理解出来てしまった。
僕はまるで悪戯を成功させたときのような無邪気な笑みを心の中で浮かべると、再び表情を引き締めて陛下に向き直ったのである。
「確かにロイシュレイン殿下は大きな過ちを犯しました。ですが彼は国の愛し方を間違えただけです。この声も偽りのない本心であると、国を愛する彼なりの言葉なのです」
僕は畳み掛けるようにしてそう言ったのだ。すると途端に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたのだった。おそらく今、僕とのやり取りを思い返した上で、懊悩の渦中にあることだろう。だがそれもすぐに終わることになる。
その渦の中に手を差し伸べるものはこの僕なのだから。
「しかし残念です。陛下が僕の要望に応えて下さらないことは非常に残念でなりません」
僕はそう言って大袈裟に首を横に振りながら言ったのである。それから僕は周囲を見渡していきながら言葉を続けるのだ。
「そして皆さんも実に残念な人々だ。せっかく僕が提案したというのに誰一人賛同してくれないのですから。ああそうだ、いっそのことアベリアの第三皇子を牛馬のように酷使して、教国の改革すらも僕の手で行うというのも、良いかもしれないですね──」
「くっ──」
そんな僕の言葉に反応を示したのは、なんと枢機卿だった。内心では相当焦っているに違いない。自分の命がかかっているのだから当然の反応と言えるだろう。
陛下が動いたのはその時だった。
僕の方に向き直ると、鋭い視線を送ってくる。その瞳にはやはり迷いがあったように思えたが、それを振り払うかのように頭を振ると、ゆっくりと口を開いたのである。
「一年だ」
陛下は意を決したような表情でもって言った。それはまさに皇帝の威風堂々としたものでもあり、威厳溢れる姿でもあり、何より有無を言わせぬものであったのだ。
だからこそ僕も自然と姿勢を整え、その言葉を真摯に受け止めていたのである。
「この一年間に限り、アベリア『空中監獄』の全権限をエトラ・シュレ・カインズに譲渡するものとする」
その言葉を聞いた途端、謁見の間にいた誰もが一斉にざわめいた。皆が口々に思い思いの言葉を発していき、収拾がつかない程の喧騒に包まれつつあった。
「一介の人間に任せるには余りにも危険すぎるものではありませんか!」
「そうですとも! 今すぐ撤回すべきであります!」
「どうかお考え直しください!」
そんな声が次々に上がっていき、もはや収集不可能と思われたときだ。
「皆のもの静まれ! もう決まったことだ」
陛下の声が玉座の間を駆け巡るとともに静寂が訪れる。
「ただし、こちらも条件をつけよう。まず一つ、此度の件を記録していた音声録音の破棄を要求する。次にもう一つ、今回の裁判で受理されたマナの誓約の内容全てを白紙に戻すことだ。そして最後に一つ、アベリア『空中監獄』に些細な問題が起きた場合、一年を経過していなくても全ての権利を速やかに放棄し、我々に返却することとする。以上の三点をマナに誓えるか?」
「はい。誓いましょう。この僕の全てをかけて」
僕は即座に了承の意を伝えると同時に胸に手を当ててみせた。それを見た陛下は満足げな笑みを浮かべると大きく頷いたのだ。その笑みが絶望に変わる瞬間を思い浮かべるだけで楽しくて仕方がない。
そもそも僕の目的は変わっていない。みんなは本当にエルヒ兄さんを助けに来たと思っているのだろうか?
助けられた兄さんは今なお、何が何かを分かっておらず沈黙を貫いている姿も実に滑稽である。
「話は終わりましたね? それでは僕はこれで」
僕は軽く頭を下げると、そのまま法廷の間から立ち去ろうとした。
──さて、この一年で国を滅ぼさないとな。
まぁ、僕はそれだけ終わるような男じゃないが。
それも全ては──
──真の嫌者になるために。