悪女は産声をあげた
──あぁ、まじ無理まじ病むリスカしたい。
などと、心の中で呟きながら、どうにか気を紛らわせようと必死に思考を巡らせるが、もう逃げ場はなかった。
意を決した私はゆっくりと立ち上がり、証言台に向かって歩き始めた。一歩ずつ進む度に足が震えそうになるのを抑え込みながら前へ前へと歩みを進めるのだ。
私の足取りはまるで囚人が処刑場へと向かうように重く感じられたのだ。周囲の視線に射抜かれる度に緊張で目眩がしてくるようだった。
そんな中で何とか無事に辿り着いた私は、限界の足を叱咤しながら証言台の上へと上がると、周囲を見渡した。
そこには多くの人間がいた。
見知った顔もあれば見知らぬ顔もたくさんあった。
誰も彼もが私を訝しげに見つめていたのだ。
それもそうだろう。殿下の婚約者である私がこの場にいること自体が異常なのだ。
そもそもの話、婚約者と言いつつも交流は疎か、手紙のやり取りすらまともにしていない名ばかりの婚約だ。
だから私にとってはどうでも良かったのだが、それでも被害者の一族が加害者を弁護するのと同義なのだから、周囲からは嫌味や皮肉の混じった言葉の数々が容赦なく飛んできた。
「恥知らずめ」
「よくもノコノコ出てこられたものだな」
「やはり悪女は悪女でしかないな」
もちろんそれらの言葉は、私の心を深く抉ったが今は耐え忍ぶしかないと思っていた。
そして──
「フィオリア! お前は何の権利があってエルヒ・シュレ・カインズを庇うというのだ!」
お父様であるシュラウド・フォン・ラテミチェリーの、怒号のような野太い声と共に向けられた鋭い眼光は私に恐怖を与えた。
それだけで思わず身体が萎縮してしまいそうになるほどの迫力があったのだ。
──何の権利か……。
そんなもの考えたこともなかった。
それを言えるだけの勇気も資格も私にはない。
今だって、ハイエナの群れに飛び込んだチワワのように内心はビクビクしているのだから。
本当はこの場から逃げてしまいたい気持ちでいっぱいなのだ。
それでも私がここにいるのは────
──全てお母様のため。
そう決心してここまでやって来たのだから引き返すわけにはいかないのだ。だからここで臆するわけにはいかなかった。
そもそも私は裁判を勝たせるためにこの場に立つのではない。
自分の『価値』を『証明』するために、この場に立つのだ。
どの道、これは『負けイベント』だ。
初めから負けが分かっている戦に意気込む必要なんてないのだ。
仮に今ここでエトラを裏切ったところで難易度が緩く変わるだけで、私はきっと『デッドエンド』を迎えるだろう。
だったら過酷な道である『ルナティックモード』を選んでお母様を助けた方が断然マシだ。
だからこんなところで挫けてなんていられないの!!!!
そもそも私は決めたじゃない────
──お母様の腕の中で泣いたあの日に覇道を突き進んでやるって。
──生きるために周りの目なんか一々、気にしてる場合じゃないんだって……!
──エトラ・シュレ・カインズを『攻略』するんだって。
──私は今日、婚約者を裏切り、真の意味で『悪女』になるんだって。
そのための覚悟はできているつもりだ。
それが例え地獄に続く茨の道だとしても……!!
馬鹿にされたっていい。
咎められたっていい。
認められなくてもいい。
どこまで笑われようがこの気持ちだけは────
私にはこの身を呈してでも守りたいものがここにあるのだから!!
────絶対にお母様だけは助けるって!!
そう決意して震える寸前の足に力を込めた私は、そのまま顔を上げて真っ直ぐに枢機卿を見据えた。
その様子を見た周囲はざわめき立っていた。それはまるで恐ろしいものを見るような目つきだった。
だが今の私にはそんな視線すらも心地よいものだった。
少しの『悪意』が混じれば心地良いと感じるだなんて、私もあの『狂人』と同類で本当に歪んでいるのかもしれないわね……。
そう思った時には自然と笑みが溢れてしまった。
それも仕方ないことだ。
だって私はもう────
──『悪女』を演じる必要なんてなかった。
──『悪女』になり切る必要なんてなかった。
──『悪女』になろうとする必要もなかった。
だって私はもう──────
────立派な『悪女』なんだから。
どうせ堕ちるのなら華々しく舞って、舞って──散ってやるわ。
そうすればきっと、私の存在は永遠に人々の記憶に残ることでしょうから。
このイベントの『勝者』であり『正義』であるアベリア皇室に『反逆』した令嬢として──。
もう迷いはない。何も怖くない。
私は枢機卿を見つめ続けたまま、口を開く。
それはまさに『開戦』の合図だった。
「恥知らずだとか、悪女だとか、そんなものは聞き飽きたわ。そう口にする気概があるならば、是非目の前で言ってほしいわね。尤も、貴方達如きにそんな度胸があるのかは知らないけれど」
「「「──なっ!?」」」
私の言葉に周りは一気にどよめいた。
まさか反論されるとは思ってもいなかったのだろう。先程まで好き勝手言っていた人達が一斉に黙り込む様子が可笑しくて笑ってしまった。
「お父様も権利がどうしたとか仰っていたけれども、そんなものよりもよっぽど重要なことがあるでしょう?」
「一体、何が言いたい?」
「罪なき者が裁かれることなどあってならないということよ」
その言葉に誰もが息を飲んだのが分かった。
当然だ。
この裁判は裁判と銘打っておきながら、既に結論が出ているようなものだ。
それはすなわち、私の言葉は裁判そのものを否定することに直結するのだ。
枢機卿は僅かに目を細めると静かな声で告げたのだった。
「異議を申し立てるおつもりですか?」
「はい、その通りでございます」
私は小さく頷き、同時にスカートの裾を摘まみ上げるように持ち上げると、片足を後ろに引いて膝を曲げ、もう片方の足の踵を軽く地面へと触れさせた後、背筋を伸ばすと頭を深々と下げたのだった。
所謂カーテシーと呼ばれるお辞儀であった。
そして私は顔を上げると姿勢を整えながら言葉を続けたのだ。
「私、フィオリア・フォン・ラテミチェリーはこの事件の真実を知る一人として、その全てを皆様の前でお話させて頂きます」