聖者による断罪こそ正邪である
「静粛に!!」
枢機卿の言葉によって、辺りは再び静まり返った。その一言だけで、会場にいた人々の視線はエトラから外れ、枢機卿へと向けられた。
その光景を満足そうに見つめると、枢機卿は大きく息を吸い込んだ。
「それでは、これより開廷致します。被告人、前に出てください」
手枷を嵌められたエルヒ・シュレ・カインズはゆっくりと歩き出し、中央の演壇に立った。その動作はまるで貴族の子弟のように洗練されたものであり、育ちの良さを感じさせた。
しかし、その佇まいとは裏腹に表情は硬く強張り、緊張していることが見て取れるものだった。
「被告人、エルヒ・シュレ・カインズは皇家の生誕祭において、当の主催者であるロイシュレイン・バン=ブラム・アベリア殿下の殺害を試みたこと。並びにパーティー会場に置かれた全てのグラスワインに、マナフラワーを混入させ、大勢の招待客にそれを飲ませたことを認めますか?」
「オレはやっていません! 嫌疑を否認します」
エルヒは即答した。その顔には微塵の迷いもないように見えた。それを受けた枢機卿は少し残念そうな表情を浮かべると、こう言ったのだった。
「それでは証拠調べに入ります。皇室憲兵団、冒頭陳述をどうぞ」
その声と共に、ロイシュレイン殿下の隣に座る男が立ち上がった。そして、淡々と語り始める。
「被告人は事件当時、ロイシュレイン殿下の婚約者であられるフィオリア・フォン・ラテミチェリー公爵令嬢よりも先に、ロイシュレイン殿下と挨拶を交わし、被告人が持つワイングラスを手渡しています。その後、グラスに注がれたワインをロイシュレイン殿下と飲み交わすことにより、二人の親交を深めていた様子が確認されました。ロイシュレイン殿下はそれが初めてのワインだったようで、非常に興奮なさっていたことが伺え、警戒心が緩んでいたと考えられます。その後、被告人はロイシュレイン殿下の善意につけこむようにして、『マナの祝福』を唱えさせるように『誘導』しました。また、被告人は会場のワイングラス全てに『対抗魔法物質:アンチマナテリアル』である『マナフラワー』を混入させています。元々、『マナフラワー』の栽培は『カインズ家』にしか許されておらず、『マナフラワー』の『流通』ですら知る者は極一部の者に限られており、入手は非常に困難を極めるものです。この二つの事実から鑑みるに『カインズ家』が関与していることは明らかであり、『カインズ家に罪を着せるための罠である可能性は無い』と判断されます。またその場に居合わせた『カインズ分家』であるスターチス・カインズは枢機卿様の真偽を見破る審判により無実を証明しています。以上のことから『カインズ本家』の嫡男であられるエルヒ・シュレ・カインズは、この事件において『主導的立場』にあったことと、これらの事実から、被告人には強い殺意があったことが推察されます。以上が皇室憲兵団が証明する被告人エルヒ・シュレ・カインズの行為についての全容となります」
その言葉に聴衆達は驚きのあまり、思わず声を上げていた。それ程までに衝撃的な内容だったのだ。無理もないだろう。
何せ、今の証言は要約するとこうだ──
『エルヒ・シュレ・カインズが犯人だと思われる状況証拠が全て揃っている』と、そう告げられたのだ。
その事実はすなわち、その全てが真実であるということを意味する。
だからこそ観衆たちは動揺しているのだ。
──なぜ『総指揮者』を持つ次代の英雄がここまでの犯行を!?
その思いは誰もが共通して抱いていたことだろう。言わば『総指揮者』は現代で言う『勇者』のようなものだ。
そのスキルは破格で、大抵のことは解決できる能力があると言われている。
「続いて被告人エルヒ・シュレ・カインズ本人からの陳述を行います」
枢機卿はそう言うと、再びエルヒに視線を向ける。彼は小さく頷くと、一歩前へ出た。
「オレは皇族の暗殺、ましてや殿下の招待客に危害を加えるつもりなど毛頭ありませんでした。それに、オレだって『カインズ家』に生まれた人間です。誰よりもこの名の重さを理解しています。だからこそ、こんなことは絶対にあり得ないのです」
その言葉を受けて、枢機卿は首を振った。
「残念ながら、その行為は無駄でしょう。私は被告人の想いを尊重するつもりはありません。『証明』された事実を覆すことは──また無罪である『立証』をしなければならないのです。そこに感情が入ることは許されないのです」
枢機卿がそう言って言葉を切ると、エルヒは悔しそうに歯噛みした。
「待ってください。それなら最も怪しい『分家』のスターチス・カインズ子爵は本当に無実だというのですか!?」
エルヒが叫ぶと、枢機卿は小さく頷いた。
「その通りです。スターチス・カインズ子爵はロイシュレイン殿下の御意志の元、容疑者からは除外されています。そもそも彼は事件当時、フィオリア・フォン・ラテミチェリー嬢とお話されていたと伺っております。それに加え、フィオリア嬢の存在感はあまりにも抜きでていたらしく、周囲の目が彼女と共にいたスターチス・カインズの犯行とは思えないと、証言も得ております。また無実である『証明』も、この私が保証致します。ご存知ですよね? 教国から他国に派遣された裁判官は例外なく『真偽』のスキルを持っていることを」
その言葉にエルヒは愕然とした表情を浮かべた。まさか自らを守るために口にした憶測がこんな形で裏目に出るとは思ってもみなかったのだろう。
「う、うそだ! 絶対に嘘だ! ありえない! もしありえるならば『エトラ』しかいないのだが──」
「──それこそ考えられないでしょう? エトラ・シュレ・カインズは潔白です。彼は事件当時、決闘による怪我を負っており、とてもじゃないですが、歩くこともできる状態ではないと伺っております。つまり、彼が事件の関係者である可能性は極めて低いということになります」
枢機卿のその言葉を聞いたエルヒは力なく崩れ落ちた。そして、その場で項垂れると、嗚咽を漏らし始めた。
「うっ、そうなんだ。だから『分家』の奴らしかありえないだよ!! お前は『嘘』をついている!!」
「この枢機卿である私が……ですか?」
「そうだ!」
その言葉を聞いた枢機卿は、呆れたように溜息を吐いた。
それはあまりにも稚拙な『言い訳』であった。
仮にも教皇猊下に次いで地位の高い人間にそのような言葉を口にすれば、どうなるかは想像に難くない。
無論、今の彼にそこまで考えられる余裕はないことは重々承知の上で、あえて口にしたのであろうが、その行動は火に油を注ぐようなものでしかなかった。
「──全くもって見苦しいことこの上ない!!」
突如、一人の男の声が響き渡った。その声に耳を傾けるように、辺りは一瞬のうちに静寂に包まれた。円状に配置された席で、最も上段に立つその人物は紛れもなく皇帝陛下、アレイスタ・バン=ブラム・アベリアだった。
黄金色の髪を短く切り揃え、精悍な顔立ちをした偉丈夫は、鋭く蒼い眼光を壇上から降り注がせていた。その姿はまさしく獅子を彷彿とさせるものであり、周囲の空気を一変させた。圧倒的な存在感と威圧感に威厳ある佇まいは見る者を魅了するほどだ。
「この場は神聖なる裁判の場。醜い絵空事を並べたてるばかりか、反省の色すら見せないとは言語道断。恥を知れ!」
「へ、陛下!! ですが本当にやっていないのです!」
「まだ事実をねじ曲げようと申すか。ならば今すぐにでも申し開きをしてみるがいい」
皇帝陛下の言葉に、周囲は息を呑んだ。
「そ、そうだ。裁判官の『真偽』の応答で私が無実であることの証明はできますよね?」
エルヒが必死に訴えかける中、枢機卿は再び首を横に振った。
そしてきっぱりと言い放ったのだ。
その言葉は重く響き渡り、彼の口から発されたものとは到底思えないほど説得力があった──まるで別人のように感じられる程に。
「残念ですが、それだと裁判の存在の『意味』を否定致します。裁判とは教国と各国との間で結ばれた『盟約』に基づくもの。たとえ有罪であれ無罪であれ、その結論には、決して『真偽』のスキル頼りではなく、各国の首脳部が『納得』する必要があるのです。そうでなければ、我々とて信用を失いかねませんから。罪状から罪の重さまでを判断し、裁定を下すことが我々の職務であり、全てを包み隠さず、公表するのがこの国の司法制度なのです」
「そんな……」
その言葉を聞き、エルヒの顔から血の気が引いていくのが分かった。その表情はまるでこの世の終わりを見たかのような悲壮感に満ちている。もはや弁明の余地すらないことを悟ったのか、彼はそのまま膝から崩れ落ちた。その様子を見て、周囲からは失望と嘲笑の入り混じった声が湧き上がった。
「血濡れの弟ありなら兄も然りってことか。根拠のない狂言しか吐かぬではないか」
「口からは偽りばかり、目には涙を溜めながら、それでもなお、自分は潔白だと訴える様は、なんとも滑稽なものですね」
「何が聖戦だ。笑わせてくれる。「『大罪人』に相応しい末路だな」
あちこちから上がる非難の声にエルヒは頭を抱えた。そして涙を流しながら嗚咽する姿は憐れとしか言いようがないものであった。
「お、おれは、やっていないのに。真実を、話しているだけなのに……。どうしてみんな、そんな目でおれを見るんだ。こんなの、絶対に間違っている」
エルヒは、涙ぐんだ目で周囲を見渡し。震える唇を開くと、弱々しい声で叫んだのだ。