悪人による聖戦の鐘は鳴った
そこには多くの人間が集まっていた。
彼らは円形状の机を囲むように座っていて、その中には貴族だけでなく平民もいるようだった。恐らくは裁判を傍聴するために集まった人々なのだろう。
──私、フィオリア・フォン・ラテミチェリーもその中の一人だ。
その中にはお父様もいるし、アベリアの皇帝や、エルガ・シュレ・カインズなど有名人もたくさんいた。新手のコミケかと一瞬思ってしまったが、違うようで安心した。
そして、その中央には簡易的な舞台が設置されていて、そこには被告人であるエルヒ・シュレ・カインズと、原告人であるロイシュレイン・バン=ブラム・アベリア殿下が席についているのが見えた。
そして審判を務めるのであろう人物はこの空間で一番目立つ豪奢な椅子に腰掛けていた。教国の教皇に次ぐ高位聖職者である枢機卿が裁判を執り行う。これが今回の異例の裁判において唯一の取り決めであり、特例であった。
まっ、私から言わせてもらえればただのお爺さんにしか見えないけれどもね。
──いよいよ、始まるのね。
私は自分の心臓の鼓動が早まるのを感じていた。それは『カインズ家』の存亡を賭けたこの裁判で、自らの運命が大きく左右されるからだ。
私がこのような場所に来たのはもちろん裁判を見届けるためだけではない。自分の立場を弁えぬ身勝手な行動であることは重々承知しているが、それでも行かねばならない理由があったのだ。
正直言って逃げ出したかった。でも、ここで逃げるという選択肢はない。そんなことしたらきっと一生後悔することになるし、私は覚悟を決めてここに立っていた。
だからこそ緊張で倒れそうだったのだが、どうやらそれも終わりのようだ。
──ついに来たわね、エトラ・シュレ・カインズ。
そして、扉が開かれる。そこから入ってきた人物は一人の男性である。
全てを呑み込むような黒い髪に、深紅の瞳を持った男──エトラ・シュレ・カインズだ。
その姿を見た瞬間、場の空気が変わるのを感じた。それは先ほどまでざわついていた観客たちも、そして枢機卿でさえも例外ではない。
誰も彼もがその歩みを止めると口を閉ざし、視線を釘付けにした。
皆、この少年が『何』なのかを理解しているのだ。
「規則上、弁護人は皇室憲兵団及び真相究明教団に携わる人物か、被告人の代表当主と認められた人物以外に代理となることはできないことになっています。だから貴方のいるべき場所ではありません。どうぞ傍聴席にでも戻ってください。エトラ・シュレ・カインズ伯爵」
枢機卿がそう促したにもかかわらず、エトラ・シュレ・カインズは全く反応しなかった。まるで聞こえていないかのように、一切無視を決め込んでいた。これには流石に周囲もざわつき始める。しかしそんな中、彼だけは平然としていた。
「貴様たち愚民どもはこの胸の『記章』が見えないのか? それとも偽物だと疑っているのか?」
エトラはそう言いながら、胸元にある家紋が描かれた『記章』を見せつけた。
「念の為に、その『記章』にマナを通してください。本物ならば家紋の光を放ちます」
枢機卿はそう言い放った。その言葉を聞いたエトラは軽く鼻で笑うと、こう言い返したのだった。
「はっ、くだらないな。これがお望みか?」
次の瞬間、エトラの持つ『記章』は目も眩むほどの光を放った。
誰もが驚愕したことだろう。
家紋の存続危ぶまれるこの大事な場面で、人格破綻者の『狂人』に全てを託したことになるのだから。
「つまりはエトラ・シュレ・カインズの発言はカインズ家の総意と捉えますが、異論はありませんね? エルガ卿」
枢機卿もさすがに動揺したようだが、すぐに表情を取り繕うと、傍聴席に居座るエルガに確認を取った。
エルガはそれに対してこう答えたのだった。
「ああ、そういうことになるね」
その言葉を皮切りに周囲は再びざわめき出した。
「カインズ家もどうにかしちまったぞ」
「普通は凛々しいエルガ様のご登場ではなくって?」
「これでカインズ家の安泰も失われたな」
そんな言葉が飛び交っている中、エトラは相変わらずの仏頂面で口を開いた。
「裁判長、発言の許可をいただきたい」
「貴方のことですから、許可なんて必要ないでしょう?」
その言葉に皆が黙り込む。静寂が訪れる中で、エトラの言葉だけが響き渡る。
「まず始めに言っておく。僕は裁判を円滑に進めるためにこの場に赴いたわけではない。ましてやカインズ家を勝たせるためでもない。そんなものは全て僕の知ったところではないのだ」
エトラのその言葉を聞いた周囲がざわつき始めた。その視線一つ一つに侮蔑の念が込められていることは、馬鹿な私にも理解できた。
「ふざけるな! エトラ・シュレ・カインズ!」
「そんな無礼なことをよくも言えたものだな」
「正気かこいつ」
「さっさと帰れ」
エトラに対して怒号が飛び交うが、当の本人は一向に気にする素振りも見せない。それどころかまるでこの状況を楽しんでいるかのようにすら見える。
「まずはこの場にお集まりいただいた皆様に感謝を申し上げたい。皆様は今日この日、『歴史』の『証人』になるのですから。これから紡がれる『テーマ』は、『悪人』による『聖戦』です」
エトラはそう言い終えると、静かに目を閉じて、大きく息を吸った。まるで自分自身を落ち着かせているかのように。それからゆっくりと目を開ける。エトラの赤い瞳は真っ直ぐに前を向いていた。
「どれだけアベリアの皇室が腐敗しているか、皆さんはご存知だろうか。知らないのであれば、今日知ることになるだろう。この裁判を以て、皇家が悪の根源であるということを」
エトラのその言葉は、会場の空気を沸騰させた。
「何を言うかと思えば、世迷言にもほどがあるわ」
「何が聖戦だ、笑わせるな」
「皇室が悪だからロイシュレイン殿下を殺害しようとしたのか!」
「なんと不敬な」
「これは立派な国家反逆罪だぞ」
エトラに対する罵詈雑言が聞こえてくる。当然の反応だとは思う。だが、私の知っている彼の姿とはあまりにもかけ離れている姿に困惑を禁じ得なかった。そして同時に恐怖すら覚え始めていた。
──あれが、本当にエトラ・シュレ・カインズなの?
ゲームだとこんな感じではなかった気がするのだけれども……。
とは言っても、いくら考えても答えが出ることはなく、気のせいだと思うことにした。
そんな時だった。枢機卿が立ち上がり、声を張り上げたのだ。
「静粛に!!」