表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真の嫌者になりたくて!  作者: 箱好鐘
三章 悪人の悪人による悪人のための聖戦
38/54

とある『執事』の行く末は──


「今、なんて言ったかい?」


「明後日に開かれる裁判で、カインズ側の発言権をこの僕にくれませんか?」


 腰元まで伸びた黒い髪は、まるで黒曜石のように艶やかで美しく、長い睫毛に縁取られたのルビーの瞳は、男の気高さを象徴するかのように煌めいている。無地の白いシャツの上から赤い服を羽織っていて、端正な顔立ちをした男は、来訪者のその申し出に怪訝な表情を浮かべた。



「それが何を意味するのか分かっているのかい?」


「もちろんですとも」


 ここはカインズ伯爵家に設けられた謁見の間である。大理石のような白く滑らかな床の上に赤い絨毯が敷かれており、その先には段差が設けられていた。


 その最上段──王座と呼ぶに相応しい荘厳な雰囲気を漂わせる場所に、二人の親子が対峙していた。



 片やこの世界で、剣を握れば最強といわれる五剣の一人──『剣魔』と呼ばれ恐れられるカインズ家当主──エルガ・シュレ・カインズその人である。


 豪奢な椅子に腰をかけ、その堂々たる風格はまるで一国の王のようでもあった。



 そしてもう一方は、現当主の息子であり、カインズ家の血を継ぐ次男──『血濡れ』とも『狂人』とも呼ばれる男、エトラ・シュレ・カインズその人であった。



 そして現在、『私』の主君でもあられる方だ。



 

 エルガ様の放つ覇気に気圧された衛兵たちは、まるで呼吸の仕方を忘れたかのように息を呑み、その場に立ち尽くしていた。張り詰めた空気の中、最初に言葉を発したのはエトラ様だった。



「簡単な話ですよ。僕が父上の代わりに出廷して、カインズ本家は潔白であるという証明をするんですよ」



 エトラ様は笑みを浮かべながらそう言ったのだが、その目は笑っていなかった。


 むしろ殺意に満ちているようにも見えるほどだった。


 それを見てとったエルガ様は眉間に皺を寄せると不快そうに顔を歪めた。それから大きくため息をつくとこう言った。


「はぁ……全く何を言い出すかと思えば。いいかい? そんなことできるはずがないだろう? そもそもお前のような『ダメ息子』では説得力に欠けるんだよ。明後日の裁判で今後のカインズの立ち位置も変わってくるんだ。最悪、我が家紋は滅びを迎えるかもしれないというのに、そのリスクを冒すわけにはいくまい。お前の戯言に付き合っている暇はないのだよ。ルシウスもそう思うだろう?」



 そう言ってエトラ様の背後に控える私に視線を移したエルガ様だった。


 そもそも私がここにいること自体がおかしいのだ。


 本来ならこの場にいることすら憚られる身であり、私とて立ち会いなど許されない。


 しかし、私はどうしてもエトラ様に同行することを望んだ。エトラ様一人だけでは『信用性』に欠けるため、私も一緒に赴く必要があったのだ。


 それはエトラ様が自ら進言したことでもあった。この部屋に入る前のことを思い返す。



──ルシウスはありのままに語ればいいのさ。



 そう仰った時のエトラ様のお顔は、いつもの飄々とした雰囲気でありながら、どこか鬼気迫るものも感じたのだった。



「ほらルシウスもだんまりじゃないか。エトラもくだらないごっこ遊びはそろそろ終わりにしたまえ。君たちのやっていることは所詮、子供の遊びの延長に過ぎないのだから」


 エルガ様はやれやれと言った表情で首を左右に振ったのだった。確かにエトラ様の行いを見ればそう思われるのも無理からぬことだろう。しかしながらここで引くわけにはいかないのだ。



「エルガ様、お言葉ですが──」



 私にはエトラ様にお供する使命があるのだから。



 だからゆえに──



「──このままではカインズ家は断絶の憂き目に遭います。それを黙って見過ごせません」



「──っ!!」



 私がそう反論するとエルガ様は驚いたように目を見開いた後、眉を顰めて言った。


「君もなかなか面白いことを言うようになったものだね、ルシウス。この『問題児』がカインズを背負って裁判に出るなどと本気で言っているのかい? 家宝まで勝手に持ち出す盗人のような奴だぞ? 今はその騒ぎに当たっている暇などないから話題には出さないものの、僕はそれを許したつもりも、これから許すつもりも、断じてない」



「エルガ様の懸念はごもっともです。お気持ちも重々承知しております。ですが────」



 私だってそうだ。


 今までのエトラ様の行いを見ていれば、絶対に信用などできない。


 幼い頃からお世話させていただいた身としては情けないことこの上ない話だが、それも全て事実なのだ。


 出された食事は毎回のように食器を割って、ひとたび会えば使用人に暴言を吐き、挙げ句の果てには花瓶を投げつけるなど日常茶飯事であった。


 そんなことが可愛いく思えるほどに、数々の悪行に手を染めてきたのだ。その度に私が叱られていたのは言うまでもない。



 この私だって『裏切り』を毎日のように、考えるまでになった。それほどまでにエトラ様の性格というものは破綻していたのだ。



 そんなエトラ様を擁護する者は誰もいなかった。



──今日までは。



 エトラ様が果たしてこの難局を乗り切れるのだろうか? 


 正直なところ完全な自信はない。


 しかし、それでも私はエトラ様を信じている。




 この数日間、私が見た姿は──



────紛うことなき当主の器をその身に宿していた。完全なる主君と言っても過言ではない。

 


──物品を求める者には、相応の品を対価として。

 


──弁舌を振るう者には、言葉巧みに口舌を添えて。

 


──武力を振り翳す者には、武を以て制して。




 その生き様と言動は、決して褒められたものではないが、それでもエトラ様は今まで『失敗』らしい『失敗』をしなかった。


 それは一重にエトラ・シュレ・カインズという人間が持つ血のカリスマ性が為せる業があった。



 ずっとお側にいた私からしても、その行動原理は謎だらけで、未だに理解できていない部分も多いのだが、だからこそ、今回もきっと『何か』を起こすに違いないと、私は確信している。



 それは長年に渡り仕えたある種の『信頼関係』の賜物とも言えよう。



 そして──この数日間の出来事は私を納得させるだけの充分なものだったと言えるだろう。だから私はこう答えるしかなかった。



「──今のエトラ様なら大丈夫です」と。


「本気なのか? 君は、このバカにカインズ家を託すと、そう言うのだね?」


「はい、この『バカ』に賭けてみる価値はあるかと存じます」


「ふっ、ふはははは。ふはははははははは」


 私の言葉を聞いたエルガ様は声を上げて笑い出した。その笑い声に釣られて周囲もざわつき始めた。



「そうか、君がそこまで言うのなら、この『バカ』に任せてみるのも悪くはないのかもしれないな。だがしかし──」


 エルガ様はそこで言葉を切ると、不敵な笑みを浮かべてこう続けた。



「──事はそう単純じゃないんだよ」



 そう言葉を発した瞬間、部屋の中の空気が一変した。まるで一瞬にして真冬の吹雪の中に取り残されたかのような寒気すら感じるほどだ。


 それは紛れもなくエルガ・シュレ・カインズから放たれる殺気だった。そしてそれは、この場を王が誰なのかを如実に表していた。



 部屋中の誰もが凍り付いたように動きを止める中、ただ一人だけがゆっくりと言葉にした。



「カインズの力で脅せるほど、アベリアは甘くないのです。だから僕に任せてみてはどうですかと、仰っているのですよ。父上」



 エルガ様に対して臆することなくハッキリと言い放ったその人物とは他でもない、エトラ様だった。


「裁判の成功報酬も『自ら』勝ち取るので不要です」


「ほう、お前は勝てると思っているのか。この現状で」


「ええ、裁判には負ける前提で、戦の準備を進める父上よりかはましですから」


 その言葉を聞いたエルガ様は怒りの形相を見せたかと思うと、勢いよく立ち上がって叫んだのだった。



「ルシウス!! お前か! 情報を流したのは!」


 その声は屋敷中に響き渡るほどであった。それだけエルガ様が激昂しているのが見て取れる。無理もないだろう。私ですら、私自身の行動を肯定することはできないのだから。



「確かに父上お一人の実力ならば、アベリアにも甚大な被害を与えることは可能でしょう。でも負け戦というものですよ。アベリアには最強の氷魔法使いである魔導の名門、ラテミチェリー公爵にアベリア皇家等、はたまた世界最高峰の名に連ねる魔塔主ですらいます。どうやって勝つと言うのでしょう? だから今一度、僕に任せてくださいませんか?」



 自信満々に答えるエトラ様は笑みすら浮かべる余裕があった。だが、そんなエトラ様に、エルガ様は目を細め眉間にシワを寄せて言ったのだ。


「エトラ。お前は今すぐにこの部屋から出なさい」


「父上のご期待に添えず申し訳ありません。ただ、僕にだって譲れないものがあるのですから、ご賢明な判断をお願いしたいですね。それでは失礼します」



 エトラ様はそう言いながら踵を返し扉の方へと向かった。その後ろに私も続く。



「ルシウス、お前は残れ」


 エルガ様のその呟きに、私は思わず足を止めてしまった。エルガ様の放つ異様な雰囲気を感じ取ったからだろう。その背中は、まるで見えない壁に遮られているかのように感じられた。そんな重い空気の中、振り返った私はエルガ様と目が合った。



「変わったな、ルシウス。あいつの尻拭いをするのはいつだって君だったではないか」



 確かにその通りだ。いつも面倒事を押し付けられるのは私の役目だったのだから。


 エトラ様が大人になっていくにつれて、親子としての会話もめっきり減ってしまったように思う。それ故か、エルガ様の目には深い悲しみの色が見て取れたような気がしたのだ。


 お互いが無言のまま、しばらく見つめ合っていた。やがて、エルガ様は小さくため息を漏らすと、まるで独り言のように呟いた。



「はぁ、ルシウス。お前にはすまないと思っている。お前はずっとエルヒの側付きになりたいと願っていたのを知っていたからな。それなのにこんな不出来な息子の下につけて、苦労をかけてしまった」


「エルガ様……」



「お前がこうして僕に反抗するなど本来あり得なかっただろう。しかもお前にとって大嫌いなエトラのためにね。昔からしてみれば、情報の告げ口すら考えられないことだった」



 エルガ様は、私の瞳をしっかりと見据えると、最初から決めていたと言わんばかりにこう言った。


「カインズ家の当主として、僕はあのバカ息子を認めるわけにはいかない。それが僕の判断だ」


「エルガ様!!!」


「──しかし、僕はお前を信じよう。だからルシウス。君にこれを渡す」


「これは……」


 そう言って手渡されたのは一つの豪奢な記章だった。表面には、見覚えのある紋章が刻まれている。カインズ家の家紋だった。


 私はエルガ様の顔を見つめた。そこには私の知っているエルガ様の顔ではなく、一人の父親の姿があった。それはどこか悲しげな、それでいて誇らしげでもあった。



「お前のような優秀な人材が、エトラのような愚か者の下につく必要はなかった。だけど僕は、エトラにも真っ当な人の道を歩んで欲しくて、お前をエトラの下につけたんだ。その結果がこれだ。全く皮肉なものだよ。誰が予想できるというのだ。今までの一生をカインズのために動くルシウスが、当主である僕に牙を剥くなんてな。やはりあいつには何かあるようだ」


「エルガ様、私は──」


「いいんだ、ルシウス。わかっている。僕がお前を苦しめてきたのだ。だから、せめてもの償いだよ。さぁ、行きなさい。その記章をエトラに渡すか渡さないかはお前自身の判断に委ねる」



 私は手に持つ記章に目を落とした。剣と杖を交差させたシンプルなデザインはカインズ家当主から直々に賜った『家紋』だ。これを持っていれば公私混同、カインズ家での絶対的な発言権を有することとなる。つまりは記章を手にした者の発言はカインズの総意とも捉えられるのだ。



「ありがとうございます、エルガ様」


 私はそれをぎゅっと握り締めるとエルガ様に深くお辞儀をした。


「もう一度言うが、僕はあいつを信じたのではない。お前を信じたのだ。それを渡すか渡さないかは、全てお前に任せる。明後日にまた会おう」



 エルガ様のその言葉を背中に受けながら、今度こそ振り返らずにエトラ様の後を追って、部屋を出た。すると、エトラ様は扉のすぐ前で待っていたのだった。




「行こうか。アベリアの『戦場』へ」



 エトラ様のその言葉に頷いて、私達はその場を後にしたのだった。




 その時のエトラ様の表情は──



────長年、仕えていた私ですら分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ