嫌者の夢は血に濡れた世界のみ
「始めぇえええ!!」
その合図と共に、僕は瞬時に魔法を発動した。
『三重火:トリフランマ』
『火渦:フラマディーネ』
僕はローレルに向けて魔法を発動すると、彼女を取り囲むようにして炎の渦が巻き起こり始めた。それを見た周囲は驚きを隠せない様子であったが、当の本人であるローレルはというと冷静に状況を判断していたようだ。
彼女は燃え盛る炎の中で剣を上段に構えると、それを一気に振り下ろすのだった。その瞬間、剣身から眩いばかりの閃光が迸ったかと思うと凄まじい勢いで衝撃波が放たれ、僕の方へと向かってくるのが分かった。それを見て思わず感心してしまった。
ローレルの放った一撃は周囲の空気を巻き込みながら僕へと迫り来る。『火渦:フラマディーネ』もその余波に吸い込まれて消滅してしまうほどだ。その光景を目にした騎士たちは歓声を上げていた。
(ふむ、なるほど)
僕は剣を構えると向かって来た衝撃波に対してタイミングを合わせて剣を振り抜いたのだ。すると一瞬にして相殺されてしまったことに驚いたのか、観客たちからざわめきが聞こえてきたようだった。
やがて風が止むと同時に煙が晴れたことでお互いの姿を認識することができた。
「なかなかやるじゃない。正直、見くびっていたことを認めなければならない。私の攻撃を、魔法使いの如きの剣裁きで防ぐとは予想外よ」
ローレルはそう言うと、ニヤリと笑った。まるで挑発するような笑みにも見えたが、僕にはどうでもよかった。
「やはり、相手を堕とすとなると同じ土俵に立った方が効率的だな。口には口を。魔法には魔法を。剣には剣を」
僕はそう呟くと、手に取っていた木剣を構えた。それを見たローレルの表情が一変するのがわかった。
「あなたは私を舐めてるの!?」
「さあ、どうだろうね?」
僕は不敵な笑みを浮かべると言った。
「──だが生憎と君のような雑魚を相手するのに魔法を使う必要もないということだよ。そもそもカインズは魔法大国に属しながらも、『剣』の一族じゃないか」
「エトラ・シュレ・カインズ!! 絶対に後悔させてあげるわ!!」
僕の言葉に怒りを覚えたローレルは怒号をあげるとともに地面を蹴って、僕に向かって斬りかかってきた。
「死になさい!」
袈裟懸けに振り抜かれる一閃。その斬撃は並の人間なら避けることもままならないであろう速度を誇っていた。
しかし、能力値至上主義である僕には相手が悪すぎるのというものだ。圧倒的な内部能力値を誇る僕の目にはスローモーションのように映った。相手の筋肉の動きや呼吸に至るまで、全てを把握できるのだ。
ゆえに最小限の動きで回避を行うことが可能だった。空振りに終わったローレルは大きく目を見開いていた。それは信じられないといった表情でもあったし、屈辱に震えているようにも見えた。
僕はあえて追撃をしなかった。
敢えて敵に塩を送るのも立派な『道徳』の一つだ。
「あんただけは絶対に許さない!」
雄叫びをあげながら次々と剣撃を繰り出してくるローレルだったが、その悉くが空を切ることとなる。僕が必要最低限の動きで全てを避けきるものだから、彼女も苛立ちを隠せないようであった。
「男のくせして、ちょこまかと!!!」
ローレルは怒りのあまり我を失っている様子だったが、それでも僕の体を捉えることはできないでいた。
「いつまで続くのかな?」
僕は退屈そうに欠伸をしながら問いかけた。
その言葉に怒りを露わにしたローレルはさらに攻撃の手を強める──かと思いきや、突然攻撃を止めたのである。突然の行動に訝しんでいると、彼はゆっくりと後退した。周囲の観客たちは何が起こっているのか分からないといった様子でざわめいている。
「血濡れがお嬢様の剣を避けている?」
「あの狂人は魔法使いじゃなかったのか?」
などと口々に囁きあっているのが聞こえてくる。そんな中、ローレルは剣を構えたまま微動だにせず、ただ僕を睨みつけているだけだった。
「どうした、ローレル・カインズ。もう終わりかい? それとも降参するのかな?」
僕の問いかけに答えることはなく、代わりに口を開いたのは騎士王だった。
「ローレルよ、なぜ『オーラ』を使わぬ? お主の実力ならば奴を仕留めることは容易かろうに……」
騎士王の言葉を受けて、周囲の視線がローレルへと注がれた。どうやら皆が疑問に思っていたことのようだ。僕としても彼女の言葉に興味があったこともあり、耳を傾けることにした。
「……魔法使いのくせして、剣を握った剣士未満に『オーラ』を使って勝とうなんて、私の格好がつかないわ」
「ローレル。相手を認めるのも一つの強さじゃ」
「……ちっ」
その言葉を聞いた瞬間、僕は失笑してしまった。まさかこの期に及んでまだそんなことを言っているとは思わなかったからだ。あまりの滑稽さに笑いが止まらなかったのだが、次の瞬間にはローレルから猛烈な殺気が放たれていることを感じ取り、身構えた。
彼女の体から闘気が立ち昇り始めるのが見えたと思った矢先、目の前に迫る影が見えたのだった──刹那、僕は反射的に後方へ飛び退いていた。
そして着地するとともに前を向くと、そこには剣を振り切った状態のローレルが立っていた。
「今のを避けるの? つくづくふざけた人だわ」
そう言うローレルの表情は『歓喜』に満ちているようだった。その証拠に口元からは笑みを浮かべており、赤い目は爛々と輝いているように見える。先ほどまでの冷静さはすっかり失われ、獲物を前にした獣のような獰猛さを感じさせる佇まいとなっていた。
「エトラ・シュレ・カインズ。なぜ私がハシュラの学園で、この年の『主席』を取れたのか。なぜ剣の天才と呼ばれているのか教えてあげる」
ローレルはそう語りだした。どうせくだらないことだろうと思いながらも、僕は黙って話を聞くことにした。
「それがこの『オーラ』よ」
そう言った直後、突如ローレルの体を金色の光が膨れ上がったかと思えば一瞬で収縮していった。それと同時に、彼女から発せられていた圧力のようなものが増大していることを感じた。
「なるほど、これが噂に聞く『オーラ』か」
僕はそう呟きながら納得したように頷いてみせた。
そもそも『オーラ』とは闘気とも呼ばれるもので、己の体内で生成された気力エネルギーを自在に操る技術のことである。
一般的には体外に放出することで身体能力を向上させることができるとされるが、熟練度によってその効果は変わってくると言われているため、誰でも習得することができるというものではない。実際に今まで目にしてきた魔法とは比較にならないほどの力を感じることができた。
それこそが『オーラ』の力なのだろう。
「一つ助言をしてあげる。『オーラ』を扱えただけで、私は『主席』を取れたのではないわ。アベリアのアカデミーにもマナを自由自在に扱えるからといって頂点を取れるものではでしょう? マナには『マナテリトリー』と『マナ密度』があるように、オーラにも『領域』と『密度』があるの」
「ほう、面白い話だね。それで? その話を僕に聞かせてどうするつもりなのかな?」
「……その余裕ぶった態度、すぐに後悔させてあげるわ。私のオーラの密度は──」
そこで言葉を区切ると、ローレルは剣を下段に構えると腰を落とし、体勢を低く保ちながらこちらへと駆け出した。
「──七十%。つまり体内から練られたオーラの三十%は領域外の空気に逃げてしまうが、それでもあなたを倒すには十分すぎる威力になるの。そしてオーラを生身で防げるものなどいない!」
ローレルが叫んだ瞬間に、目にも留まらぬ速さで肉薄してくると、剣を振り下ろしてきた。僕は咄嗟に後方に跳んで回避を試みたものの、間に合わずに左腕を浅く斬られてしまった。傷口から血が滴り落ちる感触が伝わってくる中、僕は驚きを隠せなかった。
──これがこの年のハシュラの『主席』であるという事実に。
──あまりにも弱すぎるという現実に。
確かに、『オーラ』は素晴らしい技術だ。闘気をコントロールすることにより、攻撃力と防御力を飛躍的に向上させることができるのだから。特に戦士にとって、それは必要不可欠なスキルであると言えるだろう。しかし、『オーラ』の『初歩』と言えばそれだけだ。その先に行けば『剣気』を放てるというものの、結局魔法と何も変わらないようなものだ。
つまり、いくら破壊的な力を持つ『オーラ』を極めたところで、能力値至上主義の僕からしてみれば、取るに足らない相手なのである。
僕は内部能力値のみで『オーラ』を圧倒できる自信があるからだ。そもそもその能力値の『補正』が『オーラ』を上回っている時点で、僕は常日頃から『オーラ』を纏っているようなものである。
だがそんなことを知る由もないローレルは勝ち誇ったような笑みを浮かべて言ったのだった。
「あなたにも分かったかしら? 私のオーラによる一撃の威力を!」
「……」
(さて、どうしたものか)
このまま無様に弱い振りをするというのも癪に障るし、かといってわざと手を抜いて勝利してもつまらない。僕は頭を悩ませた結果、一つの結論に至ることになった。即ち『全力で叩き潰す』ということである。
そうと決まれば早速行動に移すことにしよう。僕はニヤリと笑うと剣を構えた。それを見たローレルは勝ち誇るように言った。
「あら、ようやく本気を出す気になったのかしら?」
「……──」
(──後悔するがいい)
僕の口角は自然とつり上がっていた。
なにせ僕の実力は僕ですら知らないのだ。
嫌われる努力を怠ったことはない修羅の道を歩んできた。
無限に成長する『嫌者』という固有能力を磨き続けてきたことでここまで強くなることができたのだ。
騎士王が──
観客が──
裁判が──
アベリア魔法大国が──
────それがなんだというのだ。
そんなもの僕の覇道の前では塵芥に等しい。
なにせ全ての結末は僕の手により終わりを迎えるのだから。
僕は木剣を握る手に力を込めた。すると剣身が赤黒く輝き始めた。それを見ていた周囲の者たちは皆、驚きの声をあげていた。
「な、に、……?」
ローレルもまた目を見開いて驚いていたようだが、それも一瞬のことで彼女はすぐさま戦闘態勢に入ったようだ。
それを見て僕もまた意識を集中し始めたのだった──その瞬間だった。世界が静寂に包まれたかのように思えたのは。
誰もが息を呑んだのが分かったような気がした。まるで時が止まったかのような錯覚を覚えるほど静まり返った世の中で、僕とローレルだけが対峙していた。