異常者は秘宝であれども気にはせず
それから僕はアベリアアカデミーを出て、カインズの『分家』である『子爵』家へと足を運んだ。マナポートがあるからこそ、片道一日でいける距離であり、さほど遠いわけでもない。
というわけで目的の場所に着いた僕たちは早速、カインズ家の門を叩いた。出てきた門番に要件を伝えると、すぐに取り次いでくれたので、しばらく待つことになった。
「エトラ様、よろしいのですか? エルガ様は今回の件については何も知らないはずですよね?」
「そうだな」
「ならばどうしてこのような場所に?」
「決まっているだろう? 必要な人材だからここにきたまでだ」
「そもそもスターチス・カインズは監獄にいるはずですよ!? そんな人物が協力してくれるのでしょうか?」
「何を言っている? 僕は奴に会いにきたわけではない」
僕の言葉を受けてルシウスが怪訝そうに眉をひそめた直後のことだった────────突如として目の前の扉が開いたかと思うと、中から一人の女が現れた。肩をすぎたくらいまである黒い髪。毛先側になるとまばらに赤く染まっている箇所が見受けられ、綺麗な黒から赤へのグラデーションとも捉えられることもできるだろう。血を塗りたくったような赤い瞳といい、整った容姿といい、一目見ればカインズの系譜であることを理解できる風貌をしていた。
貴族が着るような豪奢なものではなく、白いシャツに黒いズボンと簡素な服装だったが、シャツ越しからでも分かる小ぶりな胸と腰の細さがより一層、彼女を目立たせる要因になっていると言えるだろう。
少女は僕たちの姿を視界に捉えると驚いたように目を見張り、口を開いた。
「本家の連中が何をしにきた。しかも『血濡れ』と噂のエトラ・シュレ・カインズがくるとは! 我が家を荒らしにでもきたのか? 生憎だが、ここから先は一歩も通さない」
その声音には明らかな敵意が込められていることがわかった。そして彼女からは尋常ならざる殺意を感じ取ることができた。僕はわざとらしく肩を竦めて言った。
「君は誰かな? 自己紹介すらしていない相手にそのような態度をとるとは礼儀がなっていないようだな」
「なっ!? この私を知らないとは──」
「知っているとも、ローレル・カインズ。僕と同じ歳でありながら、剣の天才と言われているそうじゃないか。歴代の分家の中でも抜きん出た才能を有しているらしいね。しかも自国である魔法大国アベリアアカデミーには目もくれずに、剣が全てを決めると言われる剣闘国ハシュラの学園に留学し、『騎士王』と呼ばれる男に弟子入りを志願したのだろう? その努力や信念、どれも称賛に値するものだと思うよ」
「そりゃどうも……って、なんでそこまで知ってるのよ!」
「僕には頼りになる情報屋を雇っているものでね。そもそもこんなものは情報とは呼べないお粗末なものだろう?」
僕はルシウスを見ながらそう言った。当の本人はその表情を変えることなく、僕の視線を受け止めているだけであったが、内心はどう思っているかはわからないなと思ったりしながら言葉を続けた。
「まあ、そんな話はいいとして──ローレル、君に提案があるんだが……」
「そ、そんなことはどうでもいいのよ! とにかく、ここは何があっても通さないから!!」
「そうか、残念だよ。君はもう少し聡明な人間だと思っていたのだがね」
「……なによ?」
訝しげに目を細めると、警戒するような眼差しを向けてくるローレンに対して、僕は満面の笑みと共にこう告げたのだった。
「僕の右手の『モノ』が見えないのかい?」
そう言うと、彼の視線は僕の右手に握られた本へと注がれる。それはカインズの半身とも言える『秘伝書』だ。僕がアカデミーに行く前に宝庫から盗んだものでもある。
「あ、あんた、正気ッ!!?」
「そうだよ、ローレル・カインズ。僕がここにきたのは君と交渉するためだ」
「は? あんたは何を言っているのか理解しているの……? 秘伝書を取り引きに使う……? ふざけるのも大概にしなさい。そもそも盗難とかに遭遇したらどうするつもりなの? いや偽物なの?」
「ふむ、本物かどうか疑うなど、愚問なことを聞くものだね。カインズの系譜を引き継ぐものなら、これを一目見るだけ血が騒ぐだろう。今だって、君は興奮しているはずだ。つまりそれが本物の証さ」
「……ちっ、わかったから黙りなさい……それとさっさとその本をしまって」
ローレルは舌打ちをしながら面倒臭そうに言ったが、明らかに動揺していることが窺えた。彼女は右手で額を押さえるようにしてため息をつくと、続けてこう言った。
「で? 何が目的なの? 私はね、もう色々と疲れたのよ」
「ほう、それはどういう意味かな?」
「そのままの意味よ。お父様のせいで色々と始末に追われていて大変なの。あなたも知っているでしょ」
そう話す彼女の表情はどことなく暗いものであった。その様子を見る限りでは相当苦労しているのだろうということが伝わってくるほどだ。ただ単に我儘な性格をしているわけでなく根はかなり真面目な性格なのだろうと感じた僕はさらに踏み込んで話をすることにした。
「その君の父上が起こした不祥事の件できたんだ」
「……お父様はそんなことするお人じゃない。お父様はいつだって領民のことを思い、誰にでも優しかった。あなたたち本家の人間とは違ってな!!」
「そうかな? 案外、わからないものだよ。人は誰しも表の顔と裏の顔を持ち合わせているのだからね……」
僕はそこで言葉を区切ると意味深に笑ってみせた。それを見た彼女は眉間に皺を寄せると不快そうな表情を浮かべたまま黙り込んだ。
さて、ここまで話を進めれば後は簡単だろう。あとは彼が乗ってくるかどうかだ。
「単刀直入に言おう────僕の協力者になれ。ローレル・カインズ」
そう言って僕は右手を彼女に差し出したのだった。
「断ると言ったら?」
ローレルは僕を睨みつけながら問いかけてきた。それに対して僕は余裕の笑みを浮かべて返答する。
「ああ、構わないよ? 断ってくれても構わない。その時はこの『カインズ流剣術の秘伝書』を燃やそう」
「何を言って……」
そして再び右手を差し出して見せると、彼女の目が見開いたのが分かった。それもそうだろう、まさか目の前で禁忌を犯すことを宣言したのだから驚かないはずがないのだ。
「そもそも君の父上であるスターチス・カインズは、本家没落後に手に入るであろう、この『秘伝書』を剣の天才であるお前に渡すために動いたはずだ」
「…………」
僕の言葉にローレルは無言で耳を傾けている。おそらく反論の言葉を考えている最中であろう。僕は構わずに続けた。
「しかし、肝心の『鍵』であるこの『秘伝書』が無くなれば今回の不祥事も、すべて水泡に帰すことになるわけだよね?」
そして僕は満面の笑みを浮かべながら言った。
「何度も言うけど、お父様はそんなこと! マナフラワーを使ってまで事を起こすような人じゃない!!」
「君は何も知らないから言えるんだ。なんなら自らアベリアに収監されている父上の元へ行って聞いてくればいい。今回の顛末をね? それとも何かい? 真実を知るのが怖いのかな? 随分と臆病なモノだ。自称、剣の天才君」
「──エトラ・シュレ・カインズ!!!!!」
ローレルの表情が怒りに染まる。今にも襲いかかってきそうなほどに殺気立った表情を浮かべていた。それを受け流すように僕は笑みを浮かべると更に畳みかけるように言った。
「言ったろう? これは取引だよ、ローレル・カインズ。僕と手を組むことでこの『秘伝書』が手に入るならば安いものと思わないか? まっ、正確には『裁判』の成功報酬なんだけどね?」
「……っ」
「さあ、どうする? 僕は気が長い方ではないよ。早く決断したまえ」
僕は煽るように言うと、ローレルをじっと見据えた。そして十秒ほどの沈黙の後、ついに彼女は口を開いた。
「分かったわ。しかし──」
そう言うや否や、ローレルは腰に差していた剣を引き抜くと、その切っ先を僕に向けてきたのだ。だからといって動揺する僕ではなかったので冷静に問いかける。
「しかし?」
するとローレルは吐き捨てるような口調で言い放つ。
「──私に勝てたらの話よ。剣闘国ハシュラの掟にそって、弱者に組することなどありえない。勝者こそが、強者だけが認められる国だということを、知らないとは言わせないわ」