気狂いの未来は気狂いにしか分からない
「さて、これで盤面は整ったが……」
アマルティアの部屋を出た僕は、独り言を呟きながら自室へと向かっていた。
「エトラ様……どこであんな音声を……」
「なんだ、ルシウスも聞いていたのか」
僕の後ろをついてくる形で歩く彼に視線を向けると、彼は神妙な面持ちでこちらを見つめていた。僕の言葉を受けて、彼もまた僕の視線に応えるようにじっと見つめ返してくる。しばらくしてから、ようやくルシウスは口を開くとこう言った。
「いつから計画していたのです?」
「いつからだと思う?」
「……まさか最初から?」
「さぁね?」
僕はニヤリと笑いながら言った。
「やはり、貴方は恐ろしい悪魔だ……」
そう呟くルシウスの表情はとても青ざめていた。その顔を見ているだけで楽しくなってくると同時に、なんとも言えない征服感に包まれた。
この感覚だけは忘れようと思っていても忘れられないものだ。まさに癖になる快楽だと言えよう。
「しかしな……まだ足りない。まだ足りないんだよ」
「足りないとは? 第三皇子の婚約者であるラテミチェリー公爵家の『悪女』に、決闘で争った『賢者』と教国の『聖女』、そしてその『録音』まであるではないですか? 必ずしも全員がエトラ様の味方になると確定したわけでもありませんけど……」
「あいつらは確実にくるよ。そう、確実にね。それを持ってしても足りないんだ。僕はきっとフィオリア嬢の『助言』がなければ、この『時点』で裁判に挑んだはずだ」
「つまり、これでもまだ負けると? もう充分に動いたと思いますが?」
「『切れ者』の君でもそう言うんだ。僕も満足してそう思っていたに『違いない』。しかし『今』は違う。このままだと負ける」
「ではどうするおつもりで?」
「……さあ?」
僕は首を傾げて答えた。
それを聞いたルシウスは肩を竦めてみせた。やれやれと言わんばかりに溜息をつくと、呆れた表情をこちらに向けてくる。
ルシウスは再び前を向くと、何も言わずに歩き出した。僕は彼の後に続いて、歩みを進める。
そして再び沈黙が訪れたのだった。
自室へと戻った僕はベッドに横たわりながら、今後のことを思案する。
──まだだ。まだ足りない。
あの女の『目』は何か見えていた。
僕ですら見えなかった『敗北』の可能性を、あの『悪女』は知っていた。
──ああ、実に気に入らない。
僕の思考を見透かしたあの眼が本当に気に入らない。
まるで勝ちようのない戦いを強いられているようで、不愉快だ。
──このままでは終わらせない。絶対にだ。
心に秘めた思い、憎悪にも似たどす黒い感情を吐露するように吐き出した僕は、今回の『敗因』について考える。
まず一つ、教国から配属された人間が、ロイシュレイン殿下派であるという事実が、この僕に牙を向いた理由に他ならない。
次に一つ、協力者であろうスターチス・カインズとのやり取りは、全て『マナの誓約』の元によって保護されている徹底ぶりときた。
次に一つ、エルヒ兄さんの潔白を確実に証明できる手段がないこと。言い逃れができないくらいには、外堀を埋めてきている。
最後に一つ、僕を欺くほどの策士が存在するということ。つまり隙を一切見せない完璧主義者が相手だという事だ。
「──ははっ、面白くなってきたじゃないか」
そして僕は思わず笑みをこぼしていた。
そうさ、この僕がこうも追い詰められているのだから、面白くて仕方ない。
だからこそ、退屈せずにすむというものだ。
「あと三日か」
僕は天井を見上げながら、勝利の道筋を模索する。
たった一つ、たった一つさえ綻びがあれば、完璧は即座に破綻して瓦解する。それが完璧主義者の欠点だ。
その綻びこそが僕の狙いであり、逆転の一手となり得る。
この三日間で勝負を決めなければならないという焦り、『敗北』への憎悪が湧き上がってくる。
しかしそれと同時に湧き起こるのは高揚感だ。これこそが、人間の持つ『本能』なのだと僕は思う。
「ロイシュレイン。このままで終われると思うなよ。一手さえさえあれ……ば────」
そう呟いた瞬間だった────
「はっはっはっはっはっ! くっくっくっくっく、ふはははははははははははは! あーははははははははははは!」
僕は狂ったように笑った。揺さぶる度に、自分の感情が高ぶっていくのがわかった。やがて息が苦しくなり呼吸が困難になるまでもずっと笑い続けていたように思う。それでも止まらなかったのだ。
「こんなにも残酷で『絶対的』な証明方法があるじゃないか。あぁ、早く、早く殺し合いたいよ」
僕は嗤う。僕の脳内を支配するのは、狂喜に満ちた感情だけだった。
「せいぜい勝った気でいる今だけの平穏を愉しむといい」
そうして、僕はベッドから立ち上がり、壁に掛けてあった上着を羽織った。そして部屋の外に出ると、そこにはルシウスが立っていた。
「行くぞ。ルシウス」
「どこにでしょうか!?」
「最後の駒を取りに行く」
そう言って僕は歩き出した。
それはまるで狩りにでも行くかのような足取りで廊下を進んでいったのである────