悪役令嬢の奮闘記
「僕はね。エルヒ兄さんを処刑にする『裁判』で全てを覆すつもりなんだ。だから真相究明に力を貸してよ? フィオリア・フォン・ラテミチェリーお嬢様」
鴉ですら呑み込まれるような黒い髪に、地獄から這い出てきたような、鮮血を連想させる真紅の瞳。無地の黒い服から分かる鍛え抜かれた身体と隙のない佇まい。
ソイツは私が最も嫌悪するイケメンでもあった。
「療養中と聞いていたのだけれども、違ったかしら? エトラ・シュレ・カインズ」
綺麗に掃除された部屋の中央には、ガラステーブルを挟むようにして二つのソファが置かれている。ガラステーブルには花瓶が置かれており花が生けてあった。部屋の隅には観葉植物もあり、棚にはいくつかのトロフィーや盾などが飾られている。
全体的に落ち着いた雰囲気の応接間で、私はエトラ・シュレ・カインズと対峙していた。
「ははははははははは、無理矢理にでも治したさ。こんな面白いことになってるのにこの僕が動かないわけないだろう!」
エトラはこういう男だ。今回の生誕祭だって、怪我の療養がなければエルヒを潰してでも参加していただろう。だから一家紋に対して参加は『一人のみ』だったのだ。
無制限ならば、身体が動かなくとも自ら名乗り出たに違いない。一人のみだったこともあり、怪我の調子もあって、エルヒに譲っただけに過ぎないのだ。
「はぁ……、まったく貴方は何を企んでいるかしら?」
「何って、『革命』だよ。退屈で腐りきった世界に変革をもたらすことさ」
私は溜息をつきながら額に手を当てた。エトラは昔からこんな感じである。何を考えているのか分からないというか、そもそも何も考えていないのかもしれない。
しかし彼にはそれを成し遂げるだけの頭脳があるのだからタチが悪いというものだ。
「そんなことよりも僕からのプレゼントは見ているよね? 君のお母様のことは聞いているよ?」
その手には『世界樹の雫』が入った小瓶が握られているのを見て、私は思わず顔をしかめた。そんな私の顔を見てエトラは相変わらず楽しそうに笑っているばかりだ。
やっぱりこいつ、決闘の怪我如きで世界樹の雫を使ってるわね。
だってちょっと減ってるんだもの。
時間が経てば治るものなのに、どうして使ってるのよ……。ほんと馬鹿じゃないの!?
「それで私にどうしてほしいのかしら?」
「ただ真実を話せばいいだけさ。君がスターチス・カインズと話をしていたことも僕には割れているし、君が『思った』ことを言えばいい」
「私の婚約者であるロイシュレイン殿下を裏切れと?」
「はは、裏切るも何も馬鹿正直に答えればいいだけさ。別に偽りを吐いても全然いいんだ。僕を裏切ってくれてもいいよ。その時は──」
手に持った小瓶を軽く振りながら、エトラは妖艶に笑うのだった。その笑顔からは底知れぬ何かを感じずにはいられないものだった。
「──たとえ裁判中であろうとも、僕はこの小瓶を潰す」
私はその言葉に大きく目を見開くと、諦めたように溜息を吐いた。これは事実上の脅迫と受け取っていいだろう。
この男はやると言ったら必ず実行する人間だ。
それこそ比喩ではなく、本当に『世界樹の雫』を消すだろう。しかし私だって黙っていられない。
これでも私だって『悪女』だから。
「おまえ……さっきから何様よ? この私を脅しているつもりかしら?」
「知ってるかい? 失う者がない人間がどれほど強いのか」
エトラは表情一つ変えずにそう言ったあと、口角を上げてニヒルな笑みを浮かべたのだ。その姿はあまりにも堂々としており、もはや一種の威厳すら感じさせるほどであった……が!
そんな威圧的な態度にも屈しない私は負けじと睨み返すのだった。
そんな時、扉がコンコンッとノックされる音が聞こえると同時に一人の女性が入室してきた。それは侍女服に身を包んだ可愛い女性だった。
「ひっひう、お、お茶をおも、お持ちしました」
澄んだ薄藍色の瞳は逃げ場を求めるリスのような目をしていて、編み込みにまとめたダークブラウンの髪と小さな三つ編みを揺らしながらティーカップを載せたお盆を両手で持っている姿は実に愛らしいものだ。
しかし彼女は今にも泣き出しそうな声であり、足はガクガクと震えている。それでも何とか紅茶を溢さずに運んできたのは彼女の努力が窺えるというものである。
「し! 失礼しまっ──」
『ガチャンッ!』
その頑張りは虚しく、足を引っ掛けてしまい、手に持っていた盆を宙に投げてしまった。当然、紅茶は綺麗な弧を描きながら、撒き散らしている……が、エトラは慣性に流されるままのコップを手に取り、宙に投げ出された紅茶全てを掬うようにして受け止めたのだ。
そして彼はそのまま何事もなかったかのように、湯気が立ち込めるティーカップに口をつける。
まるでアニメや漫画でしか見られない一コマがそこにはあった。
──なにこのなんでも出来る天才くんは?
「──うん、美味しい。君は才能があるよ。実にいい自然体で人に嫌がらせをする。この僕にできないことをやってのけるとは……」
エトラは爽やかな笑顔を浮かべながらそう言うと、唖然としていた彼女は慌てるように、
「ひっ、ひぃ!! すみませんすみませんすみません」
スライディング土下座の秘技を発動させながら謝罪の言葉を繰り返していた。私はそんなドジっ娘を見ながら、深くため息をこぼした。
「エマ、下がりなさい」
「……はっ、はいぃ!!」
頭を深々と下げて、そのまま逃げるようにして退室していく彼女を尻目に、エトラは不敵な笑みを浮かべていた。
「随分と可愛い侍女がいるじゃないか。『悪女』のそば付きにはしては少々物足りないとは思うが?」
「余計なお世話だわ。あの子はただのメイド見習いよ」
「ただのメイド見習いなら殺しても、誰も咎めたりしないだろう? それとも君は『悪女』の仮面を被っているのかな?」
「さあ、どうかしらね。貴方こそ『血濡れ』のくせに『弱い振り』を演じる必要はなくて?」
そう答えた時のエトラの表情はまるで新しい玩具を見つけた子供のようだった。その瞳はまるで好奇心旺盛な猫のように爛々と輝いているように見えるほどだ。
「ふははっ、はははははっ、あっはっはっはっ!!」
ひとしきり笑った後に、エトラはその真紅の瞳を真っ直ぐにこちらに向けてきたのだ。
「やはり君は面白い。ああそうかなるほど、僕の予想を遥かに超えてくるからこそ、『面白味』があるんだ。僕はね。演技力には自信が合ったんだが、どうやら君には通用しなかったらしい」
そりゃあそうよ。だって私は知っているだけなのだから。
貴方がどれだけ血に濡れた人なのかをね。
でもそんなことはおくびにも出さない。私だって、ここでボロを出すほど甘くはないから。
「そんなことはどうでもいいわ。一つだけ聞いていいかしら?」
会話の主導権を握れたと見て、ここぞとばかりに攻めに転じることにする。
「なんだい?」
「今回の裁判で私がありのままのことを話したとして、それでも結果が覆ることがなかった場合どうするつもり?」
「それはないさ。だって裁判には教会から派遣された審判官が就くからね。中立の立場を取るだろう。しかも誠か偽りかを見極める『真偽の目』の、スキルの持ち主にしか裁くことはできないと言うじゃないか。君が正直に証言すれば楽に事が進めるわけだ」
『真偽』は基本的に『先天スキル』ではなく、後から体得できる『後天スキル』が殆どである。
そのため『真偽の目』のスキルを持つ人間はそれを会得するために『教国』の『神殿』と呼ばれる施設で修行を積むことになる。
そこで正式に神官になった二割の人間が裁判官を務めることになり、各国に最低でも五人は必ず配置することになっている。彼らは神の代理人でもあるため、不正が働くことがないという信用性があるのだ。
つまりエトラの言う通り、裁判絡みの最高決定権は中立の立場である教国の人間に委ねられることになっている。
そこには他の貴族たちも多数参列することとなっているため、公平かつ厳正な判断を下すためにそうしているらしい。
しかし──
「もし、その裁判官が皇室に買収されていたとして、私の本当の発言が『嘘』だと主張されたらどうするつもり? 『真偽』のスキル持ちが言った事は絶対になるけれど?」
「そんなこと教国側が黙っているわけないさ。そもそも傍聴席には、それが起こらないように多数の『真偽』スキル持ちが隠れて見ていると言うじゃないか。判決を下す裁判官が正しいかどうかをね」
「もし、もし……その場の貴族や裁判官までの全てが敵に回っていたとしたら?」
「かなり目ざとく聞くじゃないか。その時は諦めるしかないが、そうなれば僕もただでは終わらせるつもりはない」
そう、これはいわゆる『負けイベント』なのだ。
他のゲームでよくあるように、初っ端からラスボスと戦い、敗北してから進むシナリオと同じく、『絶対』に勝つことができない裁判なのである。
裁判員全員が敵に回っているのだから、そもそも勝ちようがない。
この『負けイベント』は『プレイヤー』の共通認識である。いくらこの乙女ゲーの先が読めないからといって、これだけは『絶対的』だ。
なにせ手札を見せた状態でポーカーをやっているものである。こればかりはどんなに頑張ろうとも覆らない。そもそも覆してはいけない。
なぜなら──。
──この裁判こそが、この乙女ゲームの、難易度ノーマルからルナティックまで全ての、分かれ道なのだから。
これは『私』の受け答えと、
『エトラ』の立ち回りと、
『主人公』と『ヒロイン』の行動も含めて、
全ての人間が集まる盛大な『イベント』なのだ。
勿論そこには私の父親もエトラの父親もいるし、この国の皇帝だっている。
つまり、この『イベント』が第一章の集大成でもある。
そしてエトラはここで初めて敗北を知ることになる。決闘の敗北みたいな意図しての敗北ではなく、純粋な敗北を、文字通り味わうこととなるのだ。
「まあ、いいわ。私が嘘偽りなく証言した暁には『世界樹の雫』をもらうわ。もちろん、本物ね? マナに誓ってくれるかしら? 『マナの誓い:マナオルコー』」
そう呟くと、私の身体から浮き出るマナと、エトラの身体から浮き出るマナが混ざり合い、一つの鎖となって現れた。それはまるで私と相手との間に結ばれた絆のようでもあり、同時に私たち二人を縛り付ける呪縛でもあった。
「ふっ、いいだろう。『世界樹の雫』の譲渡に関しては、マナに約束しよう」
「『本物』の、ね?」
「はははははは、君には敵わないな。改めてマナの盟約の元に誓おう。真相究明の際、フィオリア・フォン・ラテミチェリー公爵令嬢が、嘘偽りのない真実を告げた時、僕、エトラ・シュレ・カインズが持つ『本物』の『世界樹の雫』をフィオリア・フォン・ラテミチェリー公爵令嬢に授ける」
その言葉を境にして、マナの鎖はお互いの身体に巻き付くように取り付いていき、やがて完全に見えなくなった。まるで最初から一つであったかのようにぴったりとくっついている。
契約が完了したのだ。
これが『悪役令嬢』と『血濡れ王子』の間に交わされた初めての約束だった。
「さて話も満足させてもらったことだし、僕は行くとしよう。君が婚約者すらも裏切れる『悪女』かどうか期待しているよ」
「ええ、精々楽しみにしていて頂戴」
そう言ってエトラが席を立つと、私もまた彼に続いて部屋を後にしたのだった。
その後、彼がどんな表情だったのかを私が知ることはなかったが、おそらく愉快に笑っていたことだろう。
こうして私は彼との邂逅を終えたのだった。
「お、お嬢様、もうよろしいのですか?」
私はエマのその言葉に反応せず、ただ、ただ歩き続けた。
そう、今日この日より──真の意味でカインズ『本家』と、アベリア皇室の戦いが幕を開けるのだ。
『負け方』にも美学を求める彼がどういう『終わり』を目指すかは、この私でも分からないことだ。
その一方で私は思う。
彼はきっと最高の形を目指すのだと。
それこそ、誰も想像できないような結末を──。
私はそんな、どこかワクワクしている自分に驚きながら、不敵な笑み浮かべていることだ。
それこそ、真の『悪女』のように──。
そんな私を不安そうに見つめるエマに気が付いて、表情を引き締めたのは内緒である。
──だってしょうがないじゃん。私は『悪女』なんだから。