悪役令嬢の戯曲記
この人がここに来た理由はきっと、私があまりにもワインを飲みすぎているからに違いない。別にこの毒入りワインを飲んだところで『マナ』さえ展開しなければどうということはない。
逆に言うと私がマナを少しでも展開しようものなら、この量だと即死するだろう。
だって既に致死量の二十倍くらいの量は飲んでるからね! えっへん!
「つまらないの」
そんな独り言を吐きながら、私は手に取ったグラスの中の赤紫色をした液体を見つめつつ、会場の隅に設置されたテラスへと向かった。そして手すりに寄りかかりながら、空を見上げるようにして傾けると、喉が焼けるような熱さと共に、体の奥へと流れ込んでいくのがわかる。
「子爵殿は後を付けるのが、お好きで?」
私は振り向きもせずに声をかける。すると、スターチスは苦笑しながら答えた。
「いえ、そんなつもりはありません」
「最初からずっと見ていたくせに」
「気付いていましたか……」
そう言うと彼はこちらに近づいてくる気配を感じさせる。そして私の隣までくると歩みを止めた。
「本日の主役であられるロイシュレイン殿下にはご挨拶しなくてよろしいのでしょうか?」
「よく言うわ。させないために貴方がここにいるのでしょう?」
私の言葉にスターチスの眉がピクリと動いた。
「なるほど、そこまでご存知でしたか」
そう言って微笑む彼の顔には、どこか寂しそうな影が落ちているように見えた。私はそれを横目にしつつ、夜空に浮かぶ月を見上げる。
「マナフラワーの栽培はうまくいっているみたいね」
その言葉に反応して彼は目を細めた。まるで眩しい光を見てしまったときのように目を細めている様子から察するに、彼が何を考えているのか私にはすぐに理解できた。
「フィオリア嬢の噂は予々とお聞きしておりましたが、所詮は噂でしかないみたいですね。私が見る限り、とても聡明な方でいらっしゃるようだ」
「それはどうもありがとう」
私はニッコリと笑ってみせると、彼もまた同じように笑った。互いに腹の探り合いをしているのは明白である。
私にかかれば、貴方の魂胆など、すべてお見通しよ?
なにせ『知っている』から。
だから私はわざわざマナフラワーの単語を出したの。
そもそもマナフラワーとは『対抗魔法物質:アンチマナテリアル』として、魔法の発動を阻害する素材にもなっていたりするのだ。
つまり囚人とかの手錠に使われるくらい強力な拘束具にも使用されていたりする。
そして今回、マナフラワーの粉末が全てのワイングラスに仕込まれているというわけである。
通常、マナは自分自身のマナホールに集約していているため、飲むだけなら問題ないのだ。何せマナとの干渉なく、普通に消化されるだけだから。
しかし、体内に入ったその状態で魔法を発動させようとしたら、マナフラワーの粉末とマナホールから溢れたマナが結びつき結晶化してしまうのだ。つまり身体の内から壊されていくというなんとも恐ろしいものである。
「ねぇ、一輪だけマナフラワーを譲ってくれないかしら?」
「申し訳ありませんが、いくらフィオリア嬢からのお願いといえども聞くことはできませぬ」
私は彼の方に向き直り笑みを浮かべながらそう言った。
断られるのは分かっていたけど、即答とはねぇ〜。まあそりゃあそうよね〜。
マナフラワーは市場間での取り引きは禁止されているし、そりゃ〜魔法使いの国で『対抗魔法物質:アンチマナテリアル』って天敵みたいなものだからね。
捉え方によれば科学兵器みたいなもんだし、下手したら戦争がおっ始まるかもしれない代物だ。
もちろん、王家も貴族も皆、そのことを熟知しているから、下手に横流ししたりすることはないし、貴族間の争いでさえもマナフラワーを使うことはない。
それほどまでにマナフラワーは厳重に保管され、国としか取り引きできないようになっているのだ。
マナフラワーの飼育場所でさえ、カインズ家の中でも一部の者しか、知らなかったりするし、つまり要約すれば国家機密の花である。
しかし、この私にはそんな言い訳は通用しない。
「『今』はこの事を話さないであげるから、黙ってその花を私に譲りなさい。たった一輪の花だけでいいの」
お母様の薬を作るためにも、これは絶対に必要なの。すると、彼はしばらく沈黙したのちに、口を開いた。
「今はですか……。やはり貴方様には勝てませんね」
「そもそも婚約者である私が真っ先に殿下のところへ向かうべきなのに、ここに留まっている時点でお分かり? おまえのために間接的に協力してあげてるの」
それを聞くと、やれやれと言った様子で彼は溜息をつくと、懐から小さな麻袋を取り出した。
「ここに一輪の花が入っております。くれぐれもご注意下さいませ」
そして、私の方へ歩み寄ると私の右手の上にその袋を優しく乗せた。私は渡された瞬間にその感触を確かめるようにして握り締めると、中に入っているであろう花を取り出すことなくそのままポケットに入れた。
「ロイシュレイン殿下と、真っ先に挨拶するものは可哀想だと思わない?」
「ははははは」
私はいたずらっぽく笑って見せる。スターチスもそれに応えるように苦笑する。私はグラスに残った最後のワインを飲み干すと、大きく息を吐いた。
そして、私は彼に別れを告げるように手を振りながら、私はくるりと向きを変えて歩き出す。会場の真ん中では依然として音楽に合わせて踊る人々の姿があった。そしてその先では──
「御尊顔を拝しまして至極恐悦に存じます」
「ははは、そこまで畏まらなくていいよ。エルヒ卿」
「お誕生日おめでとうございます。ロイシュレイン殿下」
「君にそう言って貰えて嬉しいよ」
会場の中央、ダンスの邪魔にならないような位置に設けられているスペースには、たくさんの貴族達が集まっていた。その中には当然ロイシュレイン殿下の姿もあった。
そして殿下の目の前で跪き、ワインの入ったグラスを差し出しながら、満面の笑みを浮かべているのは、エトラの兄、エルヒ・シュレ・カインズである。
私は会場の端で壁に寄り掛かりながらその様子を眺めていた。