悪役令嬢の高慢記
「おまえ、どこの家紋かしら?」
その瞬間、場が静まり返ったことは言うまでもない。発言した私自身も暗闇の底から這い寄るような声に戸惑いを隠せない。
私ってば、こんな声も出せたんだーって呑気なことを思いながら、ふと目の前の人物を思い出して、脳内は一瞬にしてパニックに陥ることになる。
(やっべぇえ!! こいつ確か公爵家のお転婆娘だった気がするぅうう!!)
今更後悔したが、もう遅い。
目の前の縦ロールはわなわなと震えながら、顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいた。そして背後に控えていた二人の女性も顔を真っ青に染めている。
「よくも私の事をコケにしてくれたわね! 私の名前は──」
「──誰が貴女の名前を聞いていて? 私は、どこの家紋かと聞いてるのだけれども? 分かるわよね。私と違って、由緒正しいお家で、しっかりと教育を受けてきたんでしょうから」
「なっっ!!」
私は相手の言葉を遮って畳み掛けた。
もうどうにでもなれー精神である。きっと今の私は赤信号でも止まらない。
「それはそうと、このアベリア魔法大国で五大英雄の血筋である公爵家、ラテミチェリーの名を知らない人がまだ居ただなんて驚きだわ。王族でさえ、ラテミチェリーを無下にできないというのにね。やっぱりあなた、今ここでもう一度自己紹介してくれるかしら?」
そう言ってニヤリと微笑むと、彼女は悔しそうな表情を浮かべて黙り込んでしまった。そんな様子を見て、私は優越感に浸っていた。
これが『悪女』たる所以である。
相手に対してマウントを取ることで、精神的優位に立つことができるのだ。
そもそも五大英雄ってなんぞ? 魔王ってなんぞ? そんな疑問が浮かぶかもしれないが、答えは簡単! 魔王はズバリマナを喰らう生き物である。
およそ千年前、魔王の誕生により、マナで構成されている世界には砂漠化が進み始め、徐々に生物が死に絶えていくという未曾有の危機が訪れた。草木は枯れ、湖や海さえも干上がり、魔物だけが蔓延っているような環境になっていたらしい。
だが、そんな中、突如として魔王を倒すために現れた五人組がいた。それがこの『五大英雄』である。
彼らはそれぞれが膨大な能力を有しており、魔法技術の発展にも一役買ったと言われている。
そして、死闘の果てに魔王を倒した功績を讃えられ、それぞれ『勇者』、『賢者』、『聖女』、『殲滅者』、『破壊者』として後世に語り継がれることになったのだ。
ちなみに魔法大国で英雄の血を受け継ぐ名家は二つだけ。
それが『殲滅者』の血が流れるラテミチェリー公爵家と『破壊者』の血が流れるカインズ家である。
その二家が王家の次に力を持つと言われていて、カインズ家は伯爵家でありながら公爵を凌ぐ力があるほどなのだ。
カインズ家に何故そこまでの力があるのかは理由があるのだが……、今は目の前で屈辱に震える縦ロールをいかにして捌くかである。
「どうやらこれ以上話すことはないみたいね。だったらさっさと消えてくださるかしら。私の視界から」
私は更に追撃する。
もちろん、相手にはダメージを与えるつもりで言った言葉だ。
すると、縦ロールは涙を浮かべながら、取り巻きを連れて足早にその場から立ち去っていった。
「この私が、小物風情の戯れ言に付き合って欲しいならば、もっと建設的な話を用意するのが当然ではなくって? せめて貴族としての礼儀くらいは弁えて欲しいものだわ。ねぇ、そこの貴方もそう思うでしょう?」
そう言いながら私は、近くに立っていた一人の青年に声をかけた。
「はっ、はいっ! その通りでございます! も、申し訳ありませんでしたッッッ!」
その顔はまるで般若を見るかのような顔だった。
その証拠に、背後から糸で引かれているかのように、彼は直立不動のまま後退していく。
天然ムーンウォークの完成である。
「分かっていただければいいのよ」
これでもう縦ロールは私に楯突くことはできないだろう。しかも、こうして他の貴族の子とも交流を深めたことで、今後の悪女生活でも円滑に人間関係を築くことが可能になるだろう。
そうして私は再び一人ぼっちとなったテーブルで、ワイングラスを手に取り、一口飲んだところで気付いた。
──あれ、これ、完全に悪女ルート確定じゃない??
それからは会場にいる人たちの目を気にすることなく、私はただただお酒を飲み続ける。もうこうなったら自棄である。というか、私はすでに会場中の注目の的となっているのだから、何をやっても変わらないだろうと開き直ったのだ。
そんな調子でワインを三本ほど空けた頃だろうか、会場の雰囲気が変化したことに気付いた。貴族達は騒ぎ出し、私はその視線を辿っていく。
そして、その先には私の婚約者であるロイシュレイン・バン=ブラム・アベリア殿下が立っていた。
「皆さん、今日は私の生誕祭にわざわざ足を運んでくださってありがとうございます」
ロイシュレイン殿下はにこやかに微笑んで、貴族達に語りかける。それだけで会場中に響き渡るほどの黄色い悲鳴が上がった。
顔が顔だもの。星すらも霞む黄金色の髪に、空よりも深い碧色の瞳、そして極め付けは爽やかな笑顔。会場中の女性陣が魅了されても仕方の無いことである。
まぁ、私もその一部なんだけどね!
……ごめんなさい、調子乗りました。
ロイシュレイン殿下はスピーチを続けていく。私はそんな彼の横顔を見ながらワイングラスを傾けていた。
「私は本日を持って、成人を迎えることになりました。そこで、日頃の感謝を込めて、皆様にはこれから踊ったり食事を楽しんでもらいたいと思います。どうぞ楽しいひと時を過ごしてください」
会場中から割れんばかりの拍手が巻き起こった。この会話の簡潔さ。
全国の校長先生にも見習ってほしいものね。
そして、その後に続く盛大な音楽に合わせて踊る人々を眺めながら、私は再びグラスに口をつけて微笑んだのだった。
その時だった。私の背後から声をかけてくる人物が現れたのだ。
「これはこれはフィオリア・フォン・ラテミチェリーお嬢様。今日も美しゅうございます」
振り返るとそこには、一人の男が立っていた。
赤いタキシードに身を包み、左胸元には黒色の花が挿してある。身長は高い方ではないが、がっちりとした体つきと落ち着いた雰囲気からは、どことなく大人の余裕を感じさせた。
黒い髪は短く切り揃えられており、髭は少し濃い目ではあるが綺麗に整えられている。私を見る視線は柔らかい眼差しであるものの、その赤い瞳の中には何か強い意志のようなものが感じられた。
「私に何か御用で? スターチス・カインズ『子爵』殿」
私はワイングラスを片手に持ちながら、その男を見据えて問いかける。
何故カインズ家が公爵家を凌ぐほどの力があるのか、それは同じ血を継ぐ一族であるのにもかかわらず、『本家』と『分家』に分かれているからだ。
もしこの二つの家紋が一つになった時、それこそ私の家紋であるラテミチェリーを追い抜く存在になる。
じゃあ一つになればいいじゃないって思うでしょ?
先に言おう。本家であるカインズ伯爵家と分家であるカインズ子爵家は『絶対』に分かり合うことはない。それは『本編』でもそうだった。
その理由はエトラが勝手に持ち出した『カインズ流剣術の秘伝書』に隠されている。
それは代々、カインズ本家の当主になった者にしか伝えられず、決して外部には漏らすことのできない代物であった。何故ならそれは生存者三名にしか、巻物が見れないように呪いがかけられているため、例え家族であっても簡単に見せることができないのである。
つまり結果的に現当主と、その父上。そして次代の当主が受け継ぐという循環を経て、今のカインズ家があるのだ。
もちろん生存者の内の一人が死ねば、その『枠』は空くだろうし、逆にその巻物の内容を書き写すことにも『制約』があるのだろう。
そのことから考えても『絶対にわかり合えない間柄』ということが理解できるわけである。
「いいえ、特に用事があるわけではありませんが、たまたま見かけたもので……ご挨拶をと思いまして」
偶然目に入った『悪女』にご挨拶だなんて、政治家の記憶にございませんくらいには、信用がない。
つまりこいつも真っ黒黒助というわけだ。
だから私は彼に微笑みかける。そして新たに手を取ったグラスを差し出してこう言った。
「よろしければ一杯いかが?」
私が差し出した毒入りのグラスを見て、彼は一瞬目を見開いた後、ゆっくりと首を横に振った。
そう、こいつは全てを知っている。
この屋敷にあるワイングラスには全て『毒』が含まれていることに。
つまり、もう『イベント』は始まっている。元より賽は投げられているのだ。