悪役令嬢の社交記
あれから数日後のことだった。私の手には一枚の紙切れが握られていた。
それは『招待状』と書かれた手紙だった。
中身の内容は知っているから、わざわざ封を開ける意味もない。私の婚約者であるアベリアの第三皇子の生誕祭の招待状だ。もちろん、ただの生誕祭であれば何も気にすることではない。それなのに私がこんなにも警戒しているのは二つある。
一つ目、これは第三皇子による『カインズ家』を潰すための『イベント』だから。
二つ目、上流階級の人間が集まりすぎて私の精神が死ぬから。
どっちかっていうと二つ目の方が心配だ。
私みたいな孤独なチワワが目に当てられたツキにはきっと耐えられない。
しかもこの世界は本格的な乙女ゲーだったせいか、あまりにもイケオジやらイケメンが多すぎる。
絶対鼻血でる。ムリ。死んじゃう……マジで死んじゃいますってぇええ!!
そんなことを考えているうちに誕生祭当日が来てしまった。
もちろん、『血塗れ王子』こと『エトラ・シュレ・カインズ』はいない。マナシアムの不良事故により、今も怪我の療養中だろう。むしろこのまましばらく安静にしてて欲しいところだ。
それに今回の招待状の目的はあくまでロイシュレイン・バン=ブラム・アベリアを祝うことでして、婚約者である私が参加しないと言った暁には父親に殺されるくらい目に見えている。
──今まではどうしてたって?
お茶会や社交界には呼ばれることもなく、まぁ呼ばれてもそもそも行かないのだけれど、これは決してお誘いくらいは欲しいなって気持ちがあるのではなくて、むしろそういうのは聞いているだけでもうお腹いっぱいというか、いや本当に行きたいわけではないんだけどね!
ロイシュレイン殿下に関しては基本的に生誕祭なんて開かない人だ。今回はエトラが療養することを予見して急遽開かれただけで、本来、数日前に誕生日なので来てくださいってありえない話である。
この国は『転移陣:マナポート』があるから比較的に移動には時間はかからないけれども、他国から見るとかなり異質に見えることだ。
つまり結局、何が言いたいってことだけど……完全に黒い。真っ黒黒助だわ。
まあ私の性格も悪いし、人に言えたものではないが、やっぱり貴族って怖い。
人を利用し、利用価値がなくなれば、殺すことも躊躇わない。人間ってここまで醜くなれるんだなって思ってしまうほど、真っ黒な陰謀が見え隠れしている。
そんな貴族の巣窟へと、綺麗なドレスに袖を通した私は、寂しく馬車に揺られて会場まで向かっているのである。
道中では頭の中の天使たちと話をしたりしながらなんとか平静を装っていたが、いざ会場に着くともうダメであった。
貴族の中でも最も位の高い人間が集まる場所だ。そして何より、私にとっては未知でしかない社交の世界が、私を呑みこまんとばかりに待ち構えていたからだ。
もうすでに帰りたいという気持ちはマックスを振り切っていたが、流石に婚約者である主役のロイシュレイン殿下のパーティに参加しないわけにはいかないので、折れそうになる心をギプスで固めて腹を括ったのであった。
そしてようやく会場に入った。
豪華なシャンデリアがいくつも吊り下げられた大広間の中心には、きらびやかな衣装に身を包んだ男女が優雅に会話を楽しんでいた。
床一面には真っ赤な絨毯が敷かれていて、その上のテーブルには数多くの料理が並んでいる。壁際に置かれたテーブルにはワインボトルとグラスが置かれており、それらを手にしている人たちは皆、上流階級の人間ばかりだ。
私もその中の会場に入るや否や、多くの視線が私に突き刺さるのを感じた。
その眼光はハリネズミをセットしたと言わんばかりのもので、まさに針の筵という言葉がふさわしい。
「あの人は……噂では血が大好きな女帝らし──」
「ラテミチェリー家のご令嬢は酷い噂ばかり──」
こそこそと話をしていても、私の耳には聞こえてるんだってば!
──あぁ、まじ無理まじ病むリスカしたい。
そんなことを思いながら、もう限界突破しそうなメンタルを、さらに上から圧力を加えるようにして、下唇を噛みながら何とか耐える。
もう会場入りした瞬間から、今にも死んでしまいそうなくらい、心拍数が跳ね上がっているのだ。ブレーキが壊れた機関車のように暴走する心臓を抑えつつ、私はやっとの思いでワイングラスがあるテーブルへと辿り着いた。
この国では飲酒は十五歳になってから──つまり私がすることはただ一つ。
そう、ワインを嗜むことである。
(くぅ〜、美味しい)
あまりの美味しさに思わず心の声が漏れかけた。この果実の酸味と甘みが何とも言えないのよね。
そもそもこの場をシラフで乗り切ることが不可能だった。
だって周りの視線が痛すぎるんだもの。みんな私のこと見てクスクス笑ってるし……。
──私を馬鹿にして……ただで済ませるとでも?
そう思っていても口に出せるはずもなく、心の中で叫びながら睨みつけるだけに留まる。
「ひっ」
一人の女性が睨む私を見て小さな悲鳴を上げ、そそくさと逃げるようにその場を去っていった。私はそれを見て満足そうに微笑み返すと、またワインを呷る。
もはや誰にも止めることのできない暴走列車と化した私は、ひたすらに一人で飲み続けていたのだった。
「なんて品のない人かしら。とてもあのお方には相応しいとは──」
「お可哀想なロイシュレイン殿下。ご自分の婚約者が開いた誕生祭だというのに──」
──うひゃぁああ!! もうやめっ、やめてくださぁあいいぃい。その陰口、全然聞こえてますってば!! これでもわたくし、コミュ障だから人の目線とか結構敏感なんですよ!
「私が口添えをしてきますわ」
その時、何やら不穏な言葉が聞こえたと思ったら、金髪縦ロールの女がこちらに向かってきた。そして私の前に立つなり、キッと睨めつけてくる。その後ろには取り巻きらしき女性が二人立っていた。
「あまり飲みすぎはよくなくってよ?」
──ああ、この感じ知ってる。
恋愛小説とか乙女ゲーでヒロインを虐める典型的な悪の手先のポジションにいる人たちだ。
でも貴女たちの相手はヒロインではなく生粋の『悪女』である私、フィオリア・フォン・ラテミチェリーなのよ。
いくら『悪』の最先端を行くパイオニアだからって、『大御所』に対してあまりにも無作法極まりなくって?
「ちょっとそこの貴女、聞いていて?」
──はい、バッチリと。
その一言を聞いただけで、心がザワつくのを感じる。だってそれ悪役の台詞だからぁあっ!
そして同時に、怒りが込み上げてきた。
──もう我慢の限界だ。
『悪女』たるもの、黙ってやられるだけなんて言語道断!! パツキン縦ロールがぁぁあああ!!
そんな感情と共に一気にお酒を飲み干した私は言い放ってやった。
「おまえ、どこの家紋かしら?」