悪役令嬢の脚本記
「あれは!!!」
その反応は私以外の人間にとっては予想外だったのだろう。誰もが息を呑んだ。
何故なら彼が取り出した物は通称──カインズの魂玉。
エトラがアカデミーに来る際に、勝手に持ち出した秘宝の中でも最上位の秘宝であるアーティファクトだ。
全『火』魔法の適性を得る英雄カインズの心臓は、カインズ家の家宝でもあるのにもかかわらず、それを持ち出しているとは思いもよらないだろう。
本当は心臓に埋めて使うものだけど、エトラの性格からして、誰かに渡すために取っていたとかではなく、何かの役に立つかもと思って持っていた感じなのだろう。
それが今、役に立ったという訳だ。
「だからマナクールなしに火魔法を使えたのか!」
「アーティファクトは反則だろ!!」
「入学手続きのいざこざも全部あれってことなのね!!」
観客たちはエトラの行動の意味を理解したのだろう。今まで全てがアーティファクト頼りだったっていうことに気付いて、観客席からは次々と怒号が飛び交っていた。エトラの暴挙に対して怒りを露わにしている者もいた。
でもそれは仕方がないと思う。
『初見』の『私』も『プレイヤー』も気付かなかったから。
よく物語の中盤で出てくる悪意を持ったキャラクターが決闘とかで主人公と戦う時、アーティファクトとかの道具を使用したり、ルールの穴をついて自分を有利にしたりして、『ズル』をして勝とうするキャラクターがいる。
それでも主人公に勝てなくって物語から退場するなんてザラだし、それまた悪い奴から危険な『力』を受け取って、主人公に復讐という名で研いだ牙を剥くのだ。
エトラも『初め』はそういうキャラの認識だった。
あぁ所詮悪役モブキャラだから、こんな雑な設定にしているんだなと。
こんな気狂い絶対いるわけないし、流石にやりすぎだと。みんなそう思っていた。
だけど本当は違う。みんな騙されていたのだ。
確かにエトラはアーティファクトを使う。しかし、今まではアーティファクトを使わずに戦っていたのだ。
この事実に気付いた『プレイヤー』は震えた。
エトラ・シュレ・カインズはアーティファクトを使わない方が強いということに。
彼は初めから本気で戦ってなどいなかったことに。
全てはこの『悪役』を演じ、『悪意』を募るためだということを理解して。
そう、彼は心の中で決めたことがあった。
それは『全力で弱い振り』を演じること。
彼の演技力は私含めた『プレイヤー』すらも騙していたのだ。
そんなエトラは今、手に持った魂玉を掲げていた。その表情は恍惚としたものだったが、私にはわかる。あれが単なるパフォーマンスに過ぎないということが。
いや、正確に言えば身に寄せる『悪意』があまりにも強すぎて、その快楽に身を委ねている方が正しい。その過程で意識を手放しそうになっているのも事実だ。
なにせ、ここには『質』のいい『悪意』が沢山集まっている。
そこらの名の知らぬモブキャラすらなりえないようなキャラから『悪意』を集めるよりも、主人公やヒロイン、教授たちのような強い魔法使いの『悪意』の方が美味しいはずだ。
彼はそれほどまで強くなろうとしている。
──これが災悪の嫌者。
真の『血濡れ王子』の始まりである。
そう、これは本当の意味ではエトラに用意された『イベント』だったのだろう。これだけなら即座に気付いた『プレイヤー』がいたかもしれない。しかしこれはエトラ覚醒を隠すかのように、新たな『イベント』が生まれるのだ。
──それが主人公覚醒『イベント』だった。
「僕は君には失望したよ」
その言葉は観客だけではなく、このマナシアム全体に響き渡った気がした。
「失望したからかってどうしたんだ! この僕は失望されても、お前の『愛』は届いている!!」
「……本当に馬鹿なんだね。まだそんなことしか言えないのかい? 僕が失望したのは君のくだらない思想にだよ。君のその態度が……その生き方が、その心が、そのすべてが、君を『クズ』にした原因に他ならない」
その言葉に観客たちも思わず息を吞んでいた。なぜなら今のエトラの言葉が、これまでずっと見てきたエトラに対する感想の全てを的確に言い当てていたからだ。そんなアマルティアの言葉に動揺するエトラの姿が見えた。
「君は……なぜ……どうして……」
その声は震えており、今にも泣き出しそうな声だった。そして震える手で持っていた魂玉を発動した。
「……そんなにも『最高』なんだ! もっともっともっと僕の期待に応えてくれ! 僕も君の期待に応えるから!
『八重火:オクタフランマ』!!!」
エトラを中心とした八芒星の頂点全てに火は生まれた。
魔法は────
──火なら『フランマ』を、
──水なら『アクウァ』を、
大量の『数』を重ねてから、形態変化させることでより強力な魔法へと『昇華』させるのが通常だ。
例えば、いきなり『火炎爆弾:フラルゴ』を発動したところで、火を発現させる動作は変わりない。
もし逆にそこに火があったならば──火を発現する動作を短縮させるために、その火を利用していくのが魔法使いである。
そして魔法使いは未知に対して挑戦することが大好きであり、探求家であることが多い。
だからエトラがアーティファクトを使っていると認識を得ていながらも、止めに入る人はいなかった。
みんな見たいのだ。
この八つのフランマから生まれる大魔法を。
それを『賢者』はどういなすかという挑戦を。
ここはマナシアム──言わばコロッセオ。
ある者は盃を交わしながら、
ある者は賭けた選手が勝つことを祈って、
ある者は圧倒的な力のぶつかり合いを望んで。
この試合に真の審判はいない。
いるのは賢者と嫌者。
そのどちらもが、真の『けんじゃ』を目指す者。
そして私は彼らの生き様を見届ける者。
誰もが自分の欲望のために動く。
この場においては唯一無二の『中立』の立場で見ることができる『プレイヤー』はいない。
まさに『舞台』として相応しい場所。
ここにいる者たちはみな自分の都合で観にくるのだ。
自分が好きな場面を観て楽しむだけの存在に成り果てるのだ。
それもまたこの場所の在り方なのかもしれない。
私は息を呑みながらも二人の対決を見ていた。いや、私だけではなかった。観客席にいる誰もが目を離さずに注目していた。
もはやそこには観客たちではなく、全員が一人の魔法使いとしての感情に揺さぶられるただの人々だったのだ。