悪役令嬢の生存記
──パカラッパカラッ馬の蹄の音が聞こえる。風に揺られた木の葉の騒めきが聞こえる。死の道へ誘う閻魔の唄はきっと錯覚に違いない。
「ついにこの日がやってきたわ……」
「あ、あぁ……お嬢様……どうされましたか?」
「エマはここにいてちょうだい。いいわね?」
馬車から飛び降り、感慨深く呟いた私を不安そうに見つめて来たのは御者を務める専属侍女のエマだった。
ちなみに護衛は雇っていない。なぜかって?
護衛を雇うとアカデミーに行く道中の動きに制限がかかるからだ。私はわざわざ遠回りしてまでして、やらねばやらないことがあった。
それは──
『火:フランマ』
彼の手の平から放たれた炎が、森を包み込もうとするその瞬間、私はそれら全てを掻き消すために魔法を唱えた。
『水:アクウァ』
宙に現れた水の球が、その火に覆い被さるようにして落下する。着弾と同時に弾け包み、中に入っていた火は水に呑まれた。滴り落ちる水滴が光を反射して輝いているが、それもやがて熱気によって蒸発していく。
──この時点でここまでの火力があるというの?
これでも私は『女帝』の持ち主。この才能があったから父様は私には強く言えなかった。
『女帝:魔法・物理の適性と才能を最大化』
つまり魔法の威力は何倍にもなるし、剣術において並みの剣士よりも技術が上だということ。
そして彼は基本的に『先天スキル』には興味を示さない。その『瞳』を持っていながらも内容を見ることは限りなく少ないはず。
これが『転生者』とかならば、ところ構わず鑑定ボタンを連打して他人のステータスを覗き見るだろう。
でも彼はそうじゃない。何故なら彼は大抵の他人には興味がないからだ。わざわざ人間が小さな虫を観察しないのと同じことだ。全てのことをモブとしか見ていない『狂人』はステータスを見ることの『価値観』すら私たちとは違う。
その彼は豪華な装飾が施された二頭の馬が引く馬車の隣に立っていた。車体は金色で細かな模様が施されていて、馬は毛並みが良く立派であるが、彼がいるだけでその全てが霞んでしまう。
彼は私にこう告げた。
「さて、この僕に何か用でもあるのかな?」
彼はやや彫りが深く鼻筋が通っているため、端正な顔立ちをしていた。雰囲気こそ落ち着いているものの、長い睫毛の下から鋭く覗いている赤い瞳を見れば、獲物を狙う狼であることが分かる。黒い髪を短く整えた清潔感のある印象と、細身の体を包む衣服が彼の高貴さを引き立てていて、まさに絵本に出てくる王子のような容姿をしている。
ゲームでも確かに素敵な容姿ではあったけれども、格好良かったけれども、リアルで見るとこれは──。
──何この国宝級イケメンは?
だってこの外見ならばファンクラブができてもおかしくはない。それこそモデルとして億万長者を目指せるくらいには綺麗で、美し過ぎる。これで知能も実力も優秀なのだから反則だ。
何も話さなければであるけれど。
──まじ推したい……。
思わず生唾を飲み込んでしまう程、見惚れてしまっていた私は我に帰るとすぐに彼の素性を思い出して、乙女にはあるまじき舌打ちを鳴らしてしまう。
(……はぁ……でも……うぅ〜ん! 悔しいけどやっぱり好きすぎるぅぅううううう!! やばいやばい、これじゃ本当にただのファンになってしまうじゃないのぉおおおおおお)
そんな気持ちの葛藤を悟られまいと私は毅然とした態度で接することに決めたのだ。少しでも弱みを見せてしまえば、喰われかねない相手だから油断はできない。とにかくこいつに隙を見せてはならない。
そうよ。こいつは正真正銘『気狂い』。こいつさえいなければ私は──。
そう思うと沸々と怒りが込み上げてくるのが分かる。心の奥底に隠していた気持ちが堰を切ったように溢れて来るようだった。今だけは演技ではない本心を爆発させた。
「私はフィオリア・フォン・ラテミチェリーよ。単刀直入に言うわ。私は貴方が大嫌いなの。どれくらい嫌いかって? それはね、殺したいくらいには嫌いなの」
奇しくもこれが、『エトラ・シュレ・カインズ』との、初めての挨拶であった。
それからというものの、様々な死亡フラグをへし折ってきた。
例えば、この森に火を放つ行為。
例えば、入学手続きにおける魔法戦闘。
例えば、マナテリトリー展開後の魔法乱射。
全て不自然のないタイミングかつ、相手に気付かれないように緻密な計画を立てて行動してきた。どんな死亡フラグかはわざわざ説明する気もないし、何せそこかしこに眠っているのだからきりがない。
アカデミーだってそうだ。私の実力ならば入学時における最高ランクの中流組には入れた。でもわざわざ基礎組から入ったのも、このエトラ・シュレ・カインズがいるから。
そもそもアカデミーとは上から
卒業組のランク1-2
高尚組のランク3-5
中流組のランク6-8
基礎組のランク9-10段階がある。
とりわけ依存しているクラスも無ければ、強制されている授業もない。
そう、アカデミーは自由だ。ただ自由だからといって全員が卒業できるわけがない。むしろ毎年の卒業者は一桁しかでていない。そうするとアカデミーには卒業できない人で埋もれる筈だが、その心配はない。二十五の年齢を重ねた学生はこのアカデミーから追い出されるのだ。単純計算すると、十五歳から入学して二十五歳になるまでの十年間、つまり百人すらも出ない卒業生の一人になるしか方法がないということである。だから多くの生徒が退学を余儀なくされる。逆に言えば実力のある人ほど上に行きやすく、上にいけるチャンスがあれば、それをみすみす逃したりしない。弱肉強食の世界がそこにはあるということ。
だからアカデミーの『卒業生』という拍がつくだけで一目置かれることになるのだ。そのため、順位付けなんてものは形骸化したものになっているので意味がないのである。
このアカデミーでは卒業できるか出来ないかの二つ。
教授自身も「あの子は優秀だから私の元で教えたい」という思いもあるし、その仮定で卒業者が出れば教授の名にも拍がつく。
例で言えば指導塾や予備校で何人が有名大学を合格しましたみたいな宣伝をするようなものだと思えばいい。そしてアカデミーは平等という概念が存在しない場所でもあった。そんな不確かなモノは存在せず、ただ結果だけが問われる厳しい環境なのだ。
だから、だから私は──。
「貴女は震えているだけのつもり?」
だからこそ私は彼女に問わねばならなかったのだ。決闘の約束を終えたエトラが去った後の教室で。
「あのエトラ・シュレ・カインズは馬鹿にされても立ち向かうわ。見たでしょう? あの決闘場──マナシアム──まで使う大胆さ。貴女はこのままじゃ、廃れるだけよ」
「ぅ、ぁ」
シルバーブロンドの髪を左から流すように結えた少女。彼女は私の言葉を聞くとまるでこの世の終わりを見たかのような表情を浮かべた後に俯いた。その宝石のようなプラチナの瞳も陰りを見せるかのように暗くなり、今にも泣きそうな表情になっていた。神聖を象徴するような白地に黒の装飾が彩られた可愛いらしい服装を纏う少女がそこにいたのだ。
そう、この子の名は──。
「なぜアリアさんを虐めるのですか? フィオリアさん」
聖女の称号を持ったこの世界のヒロインであるアリア・ルーデンだ。
悪役令嬢である私は、彼女を『強く』するために虐めないといけないの。
いや彼女だけじゃない。この主人公君も──。
「庇うだけが正義じゃないわ。このアカデミーに相応しくない人物を見ているだけでいらいらするの? さては裏口入学かしら?」
満月のような濁りなき白い髪にエトラと同じ赤い双眸を持つ平民、アマルティアがアリアを守るようにして前に出た。まるで雛を守る親鳥のようね。
これはヒロインのアリアが主人公のアマルティアに好意を抱くシーンだ。
「何もそこまで言わなくても!」
「ぃ、ぃいんです。弱い、私が、だめですから」
アリアの声は酷く震えていた。それを隠すようにして手で口を覆い、目を固く閉ざしていた。
わぁ、今の私ってば本当に悪女してるわ。
「エトラさんといい、フィオリアさんといい。どうしてこのアカデミーはそこまでして権力者が威張るのですか!」
「権力者? 笑わせないで? 実力でも私に劣る弱者があまり調子に乗らないでくださる?」
「なら実力があれば何をしてもいいんですか?」
「平民君、このアカデミーは実力史上主義なの。悔しかったら強くなりなさい。そこの女も」
そう言って私は挑発的な視線を送ると彼は何も言わずに立ち尽くしていたのだった。そう、これが私にできる君たちの為の成長イベントなのだから。しっかり好感度を貯めて吸収してちょうだい。
そうして教室から出ようと彼らの横を通り過ぎようとした時だった──突然、背後から声が聞こえてきたのだ。
「僕はこのアカデミーで一番を取ります。そして、このおかしな風習も全て無くします。貴族だとか、平民だとか、強者だとか、弱者だとか、関係なく誰もが対等でありたいと思っています。例えそれが夢物語だったとしても!」
凛とした声だった。まるで風の音のようだったが堕落した私の心には響かない。だから振り返ることなく歩みを進めたのだ。それでも私には彼が後ろで拳を強く握り締めているのが分かっていた。