悪役令嬢の憂鬱記
数日後……。
「そう思っていた時期も私にはありました」
今の私は産まれたての子鹿のように足はぷるぷると震えており、それぐらい体力的に追い詰められていた。何故こんなことになっているかというと、数日前、私自身で立てた今後の方針を思い出してほしい。
私はその第一段階として、先ずはこの屋敷の使用人たちと仲良くなることから始めたのだ。
結果から言うと使用人たちからの好感度は爆上がり。
青鬼のようにしゅんとしていた屋敷の空気が、今では赤鬼の如く元気はつらつとしている。
「お嬢様が変わられた!」
「あの日から急に優しく!!」
とまあ、まことしやかに流れる噂も耳にしていれば、大成功に思えるだろう。確かに大成功ではある。でもそれが前提としての大間違いだった。この乙女ゲーム、オープンAI性を採用していて、主要キャラクターNPC一人一人は悩み苦しむほど、自らの思考で行動を決めているのだった。つまり、ゲーム内では決められた行動しか取らないというわけではなく、各々が自分の意思を持って行動するのだ。つまり自由思考を持つキャラクターは操作キャラクターとしてもプレイヤー側の選択肢が増え、更に自由度が増すことになるわけだ。
ここで誰もが思ったはずだ。
主人公が悪役に染まるとどうなるのか?
悪役令嬢がヒロインぶったらどうなるのか?
誰もが試してみたいことだろう。実際に試してみた猛者が何人もいたが、序盤の序盤でゲームオーバーばかりで先に進めない展開になることが多く、まるでキャラ毎に『何か』の制約があるとプレイヤーは結論付けた。
そしてそれは正解だった。
その前に先に言おう。ここは乙女ゲームでありながらも『ある一人』を除いて様々なキャラクターに没入できるのだ。それが男性であったとしても、イケオジであったとしても。
そう、元よりこのゲームは男性向けに作られたものなのだ。しかしあまりにもイケメンキャラが多すぎたために女性人気の方が爆発し、急遽『乙女ゲーム』を謳っていたのだ。だから大元の主人公は男であったりするのだ。まあ女性キャラを操作キャラにすれば主人公という概念すら無くなるんだろうけどね。
そしてこの乙女ゲームの基本は最高難易度のヘルモードまでである。エンディングは複数存在するし、ハッピーエンドに至っては十人十色、千差万別、百人百様、みんな違ってみんないいである。
そんな中で唯一バッドエンドだけ共通していたのはたった一つ──『フィオリア・フォン・ラテミチェリー』はどんな物語になろうと死ぬのだ。
だからみんな挑んだのだ。悪役令嬢フィオリア・フォン・ラテミチェリーの生存ルートの可能性があるヘルモードを超えた『裏面』の攻略、超自由型最高難易度ルナティックモードに。つまりAIの思考により自由に分岐点が変わるおかげで、誰もがクリアできていないのである。特定の攻略方がないため、未だにバグではないかと疑われている程だ。その攻略の最中に、それが中盤なのか終盤なのかはクリア者がいないため不明であるが、攻略対象がとある力を見せる場面がくる。
奇しくもその攻略対象は唯一『操作キャラ』には出来ない『自由思考』を持つ『完成AI独立型』キャラクターである。そのキャラクターがその場面で見せた力のおかげでプレイヤーは『制約』の存在を特定できたのだ。それがその唯一の『制約』を知ることのできるスキルを持つ『嫌者の瞳』の持ち主、『自由奔放』な操作不可能キャラクター『エトラ・シュレ・カインズ』の存在である。
もし仮にエトラが操作キャラにできていれば、動ける幅がかなり広がったはずだ。何せ『制約』は──エトラから見た『隠しスキル』は──私たち『プレイヤー』ですら知り得ない内部スキル情報なのである。この事実を知った時、プレイヤーはネットの海を彷徨い、全ての操作キャラの隠しスキル検証を行った。
そして判明したのが、今まさにこの現状である。
私は悪役に染まれば染まるほど力は増す一方で、逆に好印象を与えてしまうと力は弱まり、生きる活力でさえ奪われ、最悪の果てには心臓の動きすら止まってしまうのだ。これが『AIキャラ』に課せられたある種の『制約』である。
運営も流石に無限のルートを生み出すことは無理だったのだろう。だからフィオリアはどのルートでもヒロインを虐めるし、最悪の悪女にしかならない理由が判明した時にはもう、なんて不憫なキャラクターなのだろうと思ったりもしたのだが……。
エトラ・シュレ・カインズがあまりにも気狂いすぎて完全に忘れていた。
「これ人生ムリゲーおわた」
私はあまりの精神的疲労感に耐えきれず倒れてしまいそうになるが、なんとか持ちこたえることが出来た。するとそこに私の専属侍女エマが駆け足でやってきた。彼女は私の手を掴むと慌てて心配してくれた。
「お嬢様! しっかりしてください! あぁなんてことですか、口から血がっ!?」
そんな彼女の『優しさ』が『ダメージ』となって心に染み渡っていき、私は泣きたくなる気持ちを抑えつつ彼女を諭した。
「大丈夫よ、出ていってくれない?」
「え? あ、いや、しかし……」
まだ心配そうにしているエマだったが、貴女がいたら死にそうなの。分かる?
「お願いだから、出ていって!!」
私が強く叫ぶと、ようやく理解してくれたのか部屋から出ていった。エマが出ていったことを確認するとすぐにベッドで横になる。そうして一安心していると、ドアがノックされた。
この感じ、どうやら侍女長がきたようだ。
これ以上はオーバーキルだってば!!
「はいらないで」
「ですが、口から血を吐いたと耳に入れましてはフィオリアお嬢様のお身体の方が心配です。失礼致します」
そう言うと侍女長は勝手に部屋に入ってきた。
「失礼します。少しよろしいですか?」
「ムリ。出ていって」
「少しで構いませんので」
「もうむりしぬ」
「……ではせめて、わたくしめが看病致します」
それ看病ではなくて、死神による冥府の案内だけれども??
貴女がいるだけで生命力がゴリゴリ刈り取られていくわ。おしぼりを額の上に置いてくれてはいるが、全く意味を成していないもの。恐らくこれは『冷たい』おしぼりなのだろう。でも私にとってはとても『熱く』感じるのだ。
本当にありがた迷惑で、自覚のない悪意ほど厄介なものはない。ましてやこれを好意でやっていることが腹立たしい。私をそんなに殺したいの?
「はぁはぁ、十秒以内に出ていきなさい! それすらも守れない老人風情はこの屋敷にいらないわ」
「フィオリア様! 一体どうなされたのですか? 昨日まで花が咲くような笑顔で接してくれましたのに……。他の侍女たちもフィオリア様はお変わりなったって、噂が沢山飛び交うくらいには、ここ最近のフィオリア様は別人のようでした」
確かに自分自身が変わっている時は楽しかったわ。侍女たちの変な反応も面白かったし、私のいい噂も耳にしていた時は心地よかった。
でも今ではその噂なんて『小蝿たち』がオーケストラを奏でているようで、はっきり言って不快でしかない。
「はは……私は何も変わってなんかいないわよ? ただ少しいい子の演技をしたらみんな騙されちゃって。それが可笑しくて、つい笑っちゃったのよ」
「フィオリア様…………」
あぁ、この目ね。まるで道端に転がる石ころを見るかのような瞳で私を見てくる侍女長。あの冷たくて無機質な眼差し、あぁ、なんて気持ちいいのかしら。生きる実感が湧く。少しだけ、ほんの少しだけ、エトラ・シュレ・カインズの気持ちが分かった気がするわ。
「分かったならさっさと消えなさい」
「貴女様には失望しました。失礼致します」
侍女長は踵を返し部屋から出て行った。さっきまで熱く感じられたおしぼりも、今だと冷たく感じるのだから本当に死の瀬戸際だったのだろう。ある程度の悪印象があれば、私に好意を抱いたとしてもそこまで問題はないことは理解できた。ただし悪意よりも好意が上回ってしまう場合は、今みたいな大問題に発展するから気をつけないとね。
てか、そういえば、私って何で死んで何て名前だっけ……。もう、どうにでもなれー!!
「はぁ、まじ無理まじ病むリスカしたい」
こうして私の第二の人生は幕を開けた。
ちなみに今日の出来事は、あまりにも早く回復したため、盛大な仮病として悪評が広まるのだが……。それが嬉しいと感じる辺り、私もおかしくなってしまったようだ。