悪役令嬢の独白記
「はぁ、私は一体なんでこんな世界に来てしまったのかしら」
ここはとある乙女ゲームの世界、魔法のある中世風のファンタジー。剣が振るわれ、国の外には魔物が跋扈する無限地帯が続いていて。この世界はそんな危険に満ち溢れた世界で、一人の少女が嘆きの声を洩らしていた。
その少女は幼いながらも、とても綺麗だ。髪は輝くような桜色、金色の瞳は澄んだ空のように美しい。透き通るような白い肌も、長く艶やかに伸ばされたストレートの髪も、日本人とはかけ離れていた。白いブラウスに、ピンク色のスカート、黒い肩掛けを羽織った彼女は、まるで人形のような美少女である。そんな美しい少女ではあるが、その表情は曇っていた。一見、この目の前の鏡が曇ってしまっているのではないかと思うくらいに……。
「何で……なんで悪役令嬢なのよーーー!!!」
鏡に映るこの子の名前は、フィオリア・フォン・ラテミチェリー。乙女ゲームの悪役令嬢であり、攻略対象たちの愛を奪われ、ヒロインたちに嫌がらせを行う役回りである。その美貌も、地位も、何もかもを持っている彼女だったが、唯一彼女が手にすることが出来なかったものがある。
それは、自由な人生と、素敵な恋愛だった。
彼女の親は厳しく、また、婚約者がいる身でもあったために、自由奔放な行動など許されるはずもなく、親の敷いたレールの上を進むことしか出来なかった。そしてそれが今の私でもある。
「前世の私はアニメやマンガやゲームが大好きで、沢山の作品に触れてきたし、悪役令嬢モノも分かるんだけど……しかも、あっちの世界でずっと『転生』したいって何度も思っていたから最初は嬉死にしそうだったけど…………。これは酷い。あまりにも酷すぎるわ!!!」
こんなのあんまりじゃないかしら?
神様ちょっと意地悪すぎない?
せめてでいいからこの人だけには……この世界だけには来たくなかったのよ。
なんでかって?
そんなの決まっている!!
「あのエトラ・シュレ・カインズとかいう正真正銘の気狂いがいるからよ!!」
私は鏡の前で思いっきり叫ぶと、頭を抱えた。その衝動でコップが置いてある机に頭をぶつけてしまい、中に入っていたお茶が溢れてしまうが、そんなこと気にする余裕はなかった。
「失礼します」
トントントンと小気味のいいノックの後、入ってきた侍女らしき人物がこの光景を目に収めるなり、
「きゃあああ! すみません。私は何も見ていません!! どうかこの私を殺さないでくださいまし」
白銀にかすかな群青が溶けることによって調和なされた瞳は綺麗の一言。ダークブラウンの髪を編み込みにして下げており、侍女伏を身に包んでいるが、いかにもドジっ子そうな娘ね。彼女は死にそうな勢いで叫んだ後、軽やかなスライディング土下座を決め込んでいた。そのあまりにも見事な動きに感心していると、
「一体何事だ?」
開かれた扉からは一人の男性が入ってきた。綺麗なブロンドの髪に、金色の瞳を持つ男性はどこか威厳があり、ところどころ見張る筋肉からも日頃から鍛えられているのも一目瞭然である。
あまりにもイケオジなため思わず見惚れてしまった。
「お前という奴は……。またモノに当たる蛮行に及んだのか。いい加減にしなさい。淑女としての自覚はあるのかね。これだから皇子から見向きもされないのだ」
はぁ、と深くため息を付くこの男性こそが、私の父親──シュラウド・フォン・ラテミチェリーであり、アベリア魔法大国の公爵家ラテミチェリーの現当主である。
長い歴史を持つラテミチェリー家の中でも、それこそ魔王を倒したと言われる五代英雄の一人であるラテミチェリーの先祖よりも上回る天才魔法使いとまで言われているほどの実力者だ。
「お前はそれでもロイシュレイン殿下の婚約者なのだ。くれぐれも粗相の無いように、今のままでは我が一族の恥でしかないことを知りなさい。これでもお前の我儘に最大限に付き合ってきたつもりだ。これ以上は失望させないでくれ」
骨の髄すら凍えさせるような視線を私に送ると、踵を返し部屋を出て行ってしまった。こういう人だ。
父親は常に冷厳という名の服を重ねて着用しているくらいには恐ろしい。ただ心を許した相手には優しい一面もあるのだが、それも妻であるカルミア・フォン・ラテミチェリーが病に伏してから笑顔を見せなくなってしまった。
それを境に、私たち親子の間に出来た溝はさらに深まっていくばかりで、この私には優しくしてくれることは一度もなかった。
そうして残されたのは、呆然と立ち尽くす私と、床に平伏したまま動かない侍女の姿だけであった。
にしてもイケオジすぎない?
流石乙女ゲー……恐るべしね。
「すみません。すみません。すみません。何も見てません。何も見てません」
ブツブツ呟く侍女を見て少し同情したが、流石にこのまま放置して帰るわけにもいかず、とりあえず声をかけた。
「貴女、名前はなんていうのかしら?」
そう声をかけると恐る恐る顔を上げ、怯えながら答えた。
「はい、私はエマと申します……」
そう名乗りながらもガタガタと震えており、私が動くたびにビクッと肩を震わすため少々居心地が悪い。まぁ仕方ないのだけれど。何せこの子はこの出来事であのゲームからは退場していたのだから。
乙女ゲームのフィオリアは筆舌に尽くし難いほどの悪行を重ねる天災だったのだ。まあそういう設定で作られたゲームだろうから当然ではあるのだけれど。
でも私はそこまで暴君にはなりたくはないし、どうせだったら幸せな恋をして、最後は好きな人に看取られたいものね。このくらいの希望くらいは許してほしいものよ。
「ねぇエマ、もう行って頂戴」
そう告げると彼女は再度頭を床に擦り付けて、今度は涙を流しながら懇願し始めた。
「お許しください!! お慈悲を……お慈悲を……!! もうしませんので……お願いですから……」
何度も何度も懇願する姿は見るに耐えかねた。きっと『逝って』頂戴とでも聞き間違えているのね。
「もう夜も遅いから、貴方も疲れているでしょう? 早くお休みなさい」
そう伝えると彼女は慌てたように顔を上げて、目をぱちくりさせていた。そんな仕草が小動物のようで可愛らしいけれど、あまり見ていても可哀想なので、私は彼女に分かりやすく退出を促すことにした。
「ありがとうございます。この御恩、一生忘れません! ありがとうございます。ありがとうござ──」
エマは迅速で机に溢れたお茶を拭き取り、元にあった状態に片付けるとお礼を言いながら部屋を飛び出したが、足をもつれさせて盛大に転んでしまった。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「もういいから。早くいきなさい」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
彼女は涙ぐみながらも感謝を伝えつつ去っていった。その様子を最後まで見送ると大きく息を吐いた。
「この場面は確か皇子にお茶の誘いの手紙を書いたけれど、断られたことで癇癪を起こしたんだっけ? てことは十二歳か……」
確かにおーほっほっほとか、いかにも悪役令嬢らしい高飛車な性格だし、むしろよくぞ断った、と褒めてあげたいくらいよ。今の私じゃ絶対に行きたくない。これでも私、前世ではコミュ症だし、悪女の役なんて死ぬ。
「でもよくよく考えたら悪役令嬢になったからって、悪役をする必要はなくない? そうだよね。そうだわ。悪役令嬢に転生しましたので、いい子を目指して処刑エンドを回避します! みたいな小説のノリで生きればいいのよ」
ふっ、この私をこの世界に転生させたことを後悔させてあげるわ
「ただエトラ・シュレ・カインズだけはどう転ぶのか分からないのよね。殺人に快楽を感じるサイコキャラもいたり、国を爆発させるような悪役もいたり、人体実験をする連中とかも色んな作品で見たけれども、あそこまで群を抜いた気狂いはどの作品にもいなかったわ」
そもそもアレが人間なのかという議論も生まれそうなレベルではあったわね。
「まあ本編突入までは後三年あるし、とりあえず印象アップ作戦で様子見しよう! そうと決まれば早速明日から作戦を決行しよう! 案外楽かも?」
数日後……。
「そう思っていた時期も私にはありました」