アベリアアカデミー
「エトラ様! エトラさまぁ!」
微睡の中、耳障りな声が脳に響くのを感じた。重たい瞼を開けると、目の前にはルシウスの顔があった。彼の瞳は不安そうに揺れており、額からは汗が滲み出ているように見える。
「エトラ様!! やっと目を覚まされたのですね」
「うるさいぞ、まだ眠っていたいのだ」
「エトラ様! お気を確かに!」
僕はそう言って再び瞼を閉じた。すると今度は肩を強く揺さぶられる感覚が襲うこととなる。あまりの騒々しさにもう一度目を開けると、そこには安堵の表情を浮かべる彼がいた。
「もう既にアカデミーは始まっております!」
「……なんだと?」
「エトラ様が眠りについてから正確に八日と十六時間が経過しております! 入学式は二日前に終えており、昨日から授業が開始されています!!」
「ふむ、ご苦労だった」
ベッドから起き上がると、大きく伸びをして眠気を覚ます。その際に大きな欠伸が出たことからも分かるように、かなり熟睡できていたようだ。窓の外を見ると、光が空から降りる青の層を微かに照らし、白みをつけて地上へと落とし込んでいた。朝方の冷え込みを感じさせる光景だ。外の様子を見ているうちに、段々と意識が覚醒してきたようで、ともに視界が広がり始めるのが分かった。
「支度するか」
それから湯船に浸かったり朝食を摂ったりと準備を整えた後、アカデミーから指定された教室に向かった。勿論、ルシウスは同行していない。
廊下をしばらく歩いていると目的の部屋が見えてきたため歩みを止める。そしてドアを横にスライドさせると、中へと足を踏み入れた。室内は一般的な広さで机と椅子が置かれ、前方には黒板と教壇があり、後方の席ほど高くなる階段式の構造となっているようだった。
「あれは!」
「黒髪赤目……血濡れがきた……」
そんな僕を見た生徒たちの反応は以下の通りである。予想通りの反応であったため特に驚くこともなかったが、中には恐れを抱くものもいるようだ。そんなことなど気に留めることもなく、堂々とした態度で階段を上り、席に着くことにした。勿論、僕が進む道を塞ぐ者はいないため、妨害されることなく席に辿り着くことができた。ちなみに授業の内容は選択制であって特定のクラスなどはない。アカデミーは学ぶためにあるのだから、全ては学生の一存に任されるのだ。だから僕がこの授業を選んだのはそれなりの理由がある。それは──。
──ただ目についたからだ。
ざっと教室にいるのは五十人ほどであり、その制服も統一性がなく様々である。年齢もバラバラだが、見たところ学生らしき者たちは全員が十代半ばといったところだろう。大人びた顔つきの生徒もいるようだが、大半はあどけなさの残る顔付きをしていた。
そしてその中でも一際異彩を放っている生徒がいた。その人物こそ、僕が最初に目にとめた人物である。透き通るような桜色の髪と黄金の瞳を持つ少女、フィオリア・フォン・ラテミチェリーがそこにいた。その美貌も相まって注目度は高いように見受けられた。そんな視線を浴びながらも物怖じせず毅然とした態度をとっている様子から、彼女の本質を垣間見ることのできる一幕と言えよう。
彼女こそが『悪女』と呼ばれ人々に忌み嫌われ、畏怖されている存在なのだろうと察しがついた。そんな彼女を横目で見ながら、僕は空いている隣の席に着いたのだった。
「……あの悪女の隣に??」
「この授業受けるのやめようかな〜」
そんなひそひそとした会話が僕の耳に届く。僕は聴力が優れている方だ。おおよそ、これらも『嫌者』の能力値に関係していることだろう。この力に関しては未だに全容を把握しきれていない。このアカデミーでの授業を楽しみにしていたこともあり、僕は彼ら彼女らに聞こえるように言葉を発した。
「お前たちがどんな噂話をしようと勝手だとは思うが、僕の前でそういった話はしない方がいいぞ」
そう言うと彼らは一瞬沈黙したかと思うとそそくさと前を向いてしまったのだった。そんなことを考えているうちに、講師と思しき人物が入室し教壇に立った。
「えー、では授業を始めたいと思います……皆さん、まずは入学おめでとうございます。私は今回、貴方達に基礎魔法を教えることになりました、ジェイ・コカインと申します。よろしくお願いいたします」
白髪交じりの短髪男性だ。齢四十前後と言ったところだろうか。その顔には柔和な笑顔が浮かべられている。見るからに温厚そうな人物であり、いかにも教え方が上手そうだと思わせられる風貌であった。
「このアカデミーの授業全てが選択制となっており、皆様自身がその日に学びたい科目を選択して受講なさる中、私の授業を選んで頂き、とても光栄なことでございます。つきましてはこのジェイ、皆様方のご期待に添えるよう全力で取り組む所存であります」
そう挨拶を終えると、ジェイ教授は早速講義を始めるのだった。
「まずはマナについての基本的な知識からおさらいしましょう。私たちが扱う魔法というものは空気中に漂うマナを体内に取り込むやり方もあれば、元より自分自身が保有するマナの心臓、通称『マナホール』を汲み上げて使用する方法もあります。前者の場合は大気中のマナを使用しますが、後者の場合は体内のマナを使用するという違いがありますね」
そう言いながら、ジェイ教授は自身の胸に手を当て、説明を続けるのだった。
「この『マナホール』という器官ですが、これは私たち人族のみならず、全ての生物に備わっているものです。皆様がご存知であるマナを帯びた動物、魔物ですら有しているものです。つまり、種族を超えて皆が持つ共通のものであるということです。また、個人差によって大きさは異なり、それによって使える魔法の量も質も変わってきます。さてここからが本題です」
そう言って言葉を区切ると、ジェイ教授はさらに言葉を続けた。
「まず初めにお伝えしておかなければならないことは、この『マナホール』と呼ばれるものは人体における急所であることです」
その言葉を聞き逃す者はおらず、みな真剣に耳を傾けていた。僕もその中の一人であった。
「例えば、今、私がこの手を貫手の形にして、『マナホール』がある心臓の部位を貫いたとします。この場合、即効性の致死攻撃とはなりませんが、『マナホール』が壊れてしまった場合、二度とマナを扱うことは出来ませんし、マナによる治療魔法も使えなくなります。それについては今度、お教えしましょう。ここでは一旦、『マナホール』の修復は不可能だと覚えておいて下さい」
そう告げた後、ジェイ教授は「次に」と言って、話を続けた。
「魔法にとっては一番の基礎。魔法の発動領域である『マナテリトリー』とマナホールから汲み上げられるマナ密度の関係性についてです。マナテリトリーについては広いか狭いかと、感覚的にお分かりになるでしょう。しかしテリトリー内のマナ密度は違います。皆様、入学手続きの際に、とある質疑や才能を測る試験があった筈です。展開した『マナテリトリー』に対して、自分自身が最も得意である距離感についてです」
そこまで言い終えると、ジェイ教授は一度僕たちに確認を取るように視線を向けた。僕は強引に手続きを突破したため、問答があったことも、試験があったことも、当然知らないのだが他の生徒は心当たりがあるようだ。
「マナテリトリーを広げて、近いところから遠いところにあるマナで作られた数字を答えるやつね」
「あれ? 見え方違ったくない? 私は一番遠い数字が鮮明に見えたんだけれども?」
「俺は真ん中くらいの距離だったなー」
そう口々に感想を漏らす生徒達の様子を、ジェイ教授は満足そうに眺めながら続ける。
「マナテリトリーには様々な『型』が存在します。例えば『耐久型』を例に出します。耐久型では遠方になるにつれてマナ密度の出力が弱くなります。『耐久型』は近距離の魔法の代表例、防御魔法を得意とするように、それぞれの距離に基づいて『型』が決まります。つまり置き換えれば、近距離であればあるほどマナの密度は高くなる傾向にあります。逆に『遠距離型』の場合は遠く行けば行くほどマナの密度は高くなります。つまりはマナ密度が近くの距離に比べて、遠くの方が高いということです」
「なるほど」
「そういうことだったのか〜」
生徒の一人が納得したような声を上げると続けて別の者が声を上げた。それに呼応するようにまた別の者も声を上げ始めた。そんな光景に微笑みながら、ジェイ教授は続けていくのであった。