血濡れ王子と悪役令嬢
ピンク色の髪は空気に融けるように透き通り、金色の瞳は宝石よりも美しく輝いている。そんな彼女は魔法大国の中でも四本の指に入るほどの有力貴族──ラテミチェリー公爵家の娘である。
「そこ、どいてくれる?」
フィオリア・フォン・ラテミチェリーはまるで虫けらを見るかのような目でこちらを見ていた。フィオリアの視線の先は貴族専用の案内場所で、僕とアマルティアが間いる状況から察するに、恐らく彼女も手続きをするつもりなのだろう。
「女帝だ……。知ってるか? あの人に逆らうと奴隷よりも辛い仕打ちが待ってるらしいぞ」
「知ってるわよ。この前も理不尽な理由で侍女を殺したらしいわ」
「マナの扱いに関しては天才らしいが、性格に難があるせいで社交界には呼ばれないとか」
「噂じゃ、気に入った人間を片っ端から侍らせてるって聞いたことがあるわね」
「あのラテミチェリーの『長男』だって、女帝のせいで人生がめちゃくちゃになったって話だぜ?」
その瞬間、周囲からの視線が一斉にフィオリアに注がれたかと思うと、すぐさまその全てが誹謗へと変わっていた。そんな様子を意に介さず堂々と歩いている姿は流石といったところだが、周囲の声が嫌でも耳に入ってくる。この程度の言葉など彼女にとっては日常茶飯事ということなのだろうか。その罵倒が実に羨ましい。その立ち位置、交代できるものなら代わってほしいくらいだ。
「おいお前、この僕に向かって言ってるのか?」
「貴方しかいないわよ。あまり私の前で浮つかないでくださる? エトラ・シュレ・カインズ」
その瞬間、群衆にどよめきが起こった。それもそのはずだろう。なにせ彼女は、この僕の名前を口にしたのだから。この国において僕の名を知らぬ者はいないとさえ思っているほどだ。
「マジかよ……。あのカインズ家の有名な次男だったとは……」
「ヤバい奴だと思ったら、全て納得したわ」
「なんで英雄一家のカインズ家のくせして、一般から手続きしようとしてんだよ」
「『血濡れ王子』という噂は誇張でもなかったのか。てか噂よりも酷くない?」
「『血濡れ』と『悪女』。このコンビが揃っているなんて……」
ここは天国だろうか?
僕の悪口で盛り上がる彼らに思わず笑みがこぼれてしまう。やはり僕は、人の負の感情を引き出し、それを利用することで自分の力を増幅させるタイプなのだろう。
それこそが、この『嫌われ者』として生きてきた僕にとっての唯一の武器なのである。
「で? そこの平民もいつまで私の邪魔をするのかしら?」
彼女が視線を向ける先には、先ほど僕に立ち向かってきたアマルティアが立っていた。
「貴女がどのような人であろうと、僕には関係ありません。ですが、今ここでこの人を止めなければ、大変なことになるでしょう。だから、僕は止めます」
「くだらない。本当に目障りだわ」
次の瞬間、僕たち三人の周りが突如として凍り付き始めた。空気中の水分さえも凍結するほどの冷気。間違いない、これは彼女の仕業だろう。
「ほう、流石はこの僕と同類なだけはある。いいだろう。あの森の中でつけられなかった決着をつけようじゃないか」
「人違いもいい加減にしてほしいものね。貴方の猿顔なんて、私は初めて見るけれど?」
その言葉に、僕は思わず噴き出してしまった。これがフィオリアの真骨頂というものなのだろう。
こいつは確実に『悪』を演じている。僕のような普段から素行が悪い人間には分かるものだ。いや僕だからこそ分かるのかもしれないが。
「ふははははははは。お前の化けの皮を剥がしてやるよ」
「そう……残念だけれど、それもおしまいね」
その言葉と同時に、辺り一面に眩い光が広がった。目を潰されないように咄嗟に腕で覆い隠したが、それでもなお視界が真っ白になるほどに強烈な光だった。
「何だ今のは!?」
「眩しいよぉ。目が痛いぃぃ」
「誰か! 早く治癒魔法を!」
先ほどまでとは打って変わって、群衆の悲鳴にも似た声が辺りに響いていた。
「入学の手続きすらまともに行うことができないのかね? 何が今年は黄金の世代だ! 暗黒の世代と間違っているだろう」
僕たちの前に現れたのは一人の教授である。淡く金色に光る髪に眼鏡を掛け、髪と同色の瞳は憔悴しきっており、見るからに神経質そうな男だ。年齢は三十代くらいだろうか。清潔感のある白を基調とした正装と、彼の放つ雰囲気から察するにアベリアの教授であろう。
「騒がしいと思ってきてみれば、これは一体どういう騒ぎだ?」
眼鏡をクイッと持ち上げながらそう呟く彼は明らかに不機嫌そうだった。しかしそんな心配をよそに、フィオリアは臆することなく答えたのだった。
「貴方に説明する必要はありませんが」
彼女の返答を聞いた瞬間、その男の表情はさらに険しくなったように見えた。ふむ、なんだか面白そうなことになりそうだな。そう思いつつも、目の前で行われる出来事に興味津々の僕は、黙って傍観するつもりだったが──
「この人が暴れていたため、僕は止めようとしただけです」
──アマルティアが素晴らしいことを言い出した。まったく、これだから正義感の強い人間は好きなんだ。
「君。それは本当かね?」
教授は、僕に向けて質問を投げかけてきた。僕はそんな問いに答えることもなく、ただ黙って笑みを浮かべる。
すると、それを見た教授は、やれやれといった様子で再びため息をついた後、こちらに顔を向けた。そしてこう告げたのだ。
「正直に答えなさい。嘘を吐いたところですぐに──」
「それは嘘ですね」
僕は教授の言葉を遮るようにそう告げると、そのままニヤリと笑みを浮かべた。その様子に教授は唖然とし、周囲の人間に至っては絶句しているようであった。当然の反応である。よほど僕のことを信用していないのだろう。絶対的な偽りだと考えているはずだ。ならば、その『嘘』を裏切った時の表情が見られるかもしれないと思うとワクワクしてくるというものだ。
「どういう意味かね?」
「どうもこうもありませんよ。僕は正直者なので」
「ならば正確に伝えろ。これが嘘であった場合、お前の入学手続きは今後一切行わないことにする」
「いいでしょう」
僕の返答に一同全員が固唾を吞む中、ゆっくりと口を開き始める。そして一言一句はっきりと聞こえるように、ハッキリと発音した。
「僕は一般案内の受付に向かう途中、傲慢な貴族から頭ごなしに言われたことに腹を立てました。ですが聞いてください。僕が腹を立てたのはこの言葉を聞いたからです。ポチッとな!」
『平民のくせに────調子に乗るなよ』
『はははは、平民風情が調子にのれると思うなよ』
安心安全の『録音』のアーティファクトである。マナを通しておくだけで僕は四六時中、録音と共にすることができるのだ。
中身は少し『切り抜いて』いるが、言い回しに『気』を使うことは日常茶飯事である。
この国の政府も見い出しには特に『気』を使っているものだ。それが『悪意』のある見出だしか、それとも『善意』からくる見出だしかは、各個人の捉え方によるものだろう。
「『貴族』が『平民』を身分差で侮辱するのは、このアベリアアカデミーにおいて禁忌の一つであるはずです。だから僕は!! 忙しい教授たちの手を煩わせることなく、正義の鉄槌を下すべきだと判断致しました」