嫌者の在り方
僕はある時を境に不真面目に生きることを決意した。
理由は至って単純明快で、つまらないからだ。
毎日同じことを繰り返すだけで楽しいことなんて何一つない日常には何の価値があるのだろうかと考えてしまうと、もう何もかもがどうでもよくなってくるのだ。
勉強なんてしなくても生きていけるし、スポーツが出来る必要もない。ただ普通に生活できればそれでいいと思っている。
もっとも、そんなことを口にしたところで理解してくれる人などほとんどいないのだが。
その上に伯爵家の次男という立場だ。
周りから見れば恵まれているように思えるかもしれないが、僕にとってはこれが当たり前なので逆に辛いくらいだ。
──何故なら、あまりにも暇すぎるから。
そんな刺激のない日常を送る中で、僕の心を躍らせてくれたのが、今目の前で起こっている出来事だった。
「貴様のような奴はオレの視界に入ることすら許されないんだよッ!」
そう言って激昂する兄、エルヒ・シュレ・カインズは、今にも殴りかかりそうな勢いで僕のことを見下ろしていた。僕と同じ黒い短髪に赤い瞳は、きっと父親譲りなのだろう。僕も負けじと睨み返す。ここで怖気づいてしまえば相手の思う壺だからだ。
「エルヒ兄さんの仰ることは分かりました。では、どうして僕がここにいてはいけないのですか?」
「決まっているだろ! ここはカインズ伯爵家の神聖な図書室だ! 貴様のような奴がいていい場所じゃないと言っているんだッ!!」
「なるほど、そういうことでしたか」
エルヒ兄さんの言いたいことはよく分かった。要するに、
「お前みたいな愚図がここにいること自体が間違っている」ということだろう。
実際、僕はあまり本を読まない人間だし、魔法の練習をするにしても室内よりも外でやる方が向いているので、図書室を訪れることは殆どなかったりする。それに兄は毎回のようにここへ通っているようなので、この場所に対する愛着も相当あるようだ。
そう考えると、僕がこの場所にいることに異議を唱えるのは当然なのかもしれない。けれど、僕にはどうしても譲れない理由があった。
「でしたら、別に居ても構わないですよね?」
「なんだとッ!?」
「ここはカインズ家の所有する施設で、僕はカインズ家の人間です。あれこれ言われる筋合いはありませんよね?」
そう尋ねると、エルヒ兄さんの顔が怒りで歪むのが分かった。まるで鬼のような形相になるのを見て、思わず微笑んでしまう。
罵倒の言葉もそうだが、浮き出る表情に、兄の内心を思いやると、それだけで胸が心地よくなるのを感じた。
同時に、僕の中で一つの感情が芽生え始めるのが分かる。
それは嗜虐心と呼ばれるものなのか、それとも満悦感が浸されているのか。どちらにせよ、決して不快なものではないということが分かる。
それどころか、もっと味わってみたいと思ってしまう自分がいるのだ。
(ああ、やはりエルヒ兄さんは最高だよ)
そう思いながら、僕は目の前の光景を堪能することに決めたのだった。
「もう一度言ってみろ……!」
怒りの形相を浮かべた兄が、僕を睨みつけながらそう言った。普段の彼であれば、こんな表情は絶対に見せないことだろう。
しかし、今は違う。
今の彼はまさに、親の仇を見すえるかのような目つきをしている。その表情を見ただけでも、僕の心が満たされていくのを感じることができた。
この瞬間だけは、この人は僕だけを見てくれているんだという事実に喜びを隠しきれない。
それほどまでに、彼の存在は僕に取って大きなものになっていたのだ。
それが例え、彼にとっての『憎悪』という形であったとしても、僕にとっては『愛』の裏返しなのだ。
「何度でも言いますよ。そもそも剣術も魔法も僕よりも劣る兄上が偉そうに吠えている時点でおかしいんです。はっきり言って不快ですね」
「この野郎……! 言わせておけば調子に乗りやがって……!」
「あれ? もしかして図星ですか?」
「黙れ! 貴様こそ落ちこぼれのくせに生意気なんだよ!! 先天スキルもよく分からないくせに偉そうな口を利くな!!」
唯一、兄が誇れる部分といえば、僕と違って天運の素質に恵まれていることくらいだろう。
何せ兄は『総指揮者』という称号の持ち主なのだから。これは、あらゆる物事に対して優れた指揮能力を発揮することができるというもので、これがあるからこそ、兄は父親や母親からの信頼を勝ち得ているのだ。二十歳と幼くして伯爵家の実権を握るくらいに賢く、だからこうして図書室でも僕にガミガミ言えるということだ。
対して僕はと言えば、これといった才能もなく、これといった特徴もない。
あるとすれば少し剣術と魔法ができるくらい。何しろ僕は、今まで何も努力をしてこなかったのだから。周囲の人間からすれば、僕みたいな人間は取るに足らない存在として映っているのだろう。
だけど考えてみてほしい。何の努力もしていない者が、剣と魔法をそれなりに扱うことができるのもおかしいのではないだろうか?
そういう疑問が湧いてくるはずなのだが、誰もそれを気にしない。
なぜなら、僕は周囲からの評判が悪いから。
そんな人間が多少頑張ったところで、その程度はたかが知れていると判断するのが普通だ。でも僕にとってはその指標は当てはまらない。
なぜならそれは僕の『スキル』に関連していることだからだ。
そもそもスキルとは生まれ持った『先天スキル』と、後から体得する『後天スキル』に加えて、人が認知できない『隠しスキル』がある。基本的に先天も後天も隠しスキルも一人一つまでしか持つことができない。それ以上持ってしまうと、人間の容量では耐えきれなくなってしまうからだそうだ。
僕の場合、十年前である五歳の時に受けた『先天の儀』によって判明された僕のスキルは、僕の人生の転機となったと言っても過言ではないだろう。このスキルによって、僕の人生は大きく変わることになったからだ。
貴族の子であれ、平民の子であれ、奴隷の子であれ、五歳になれば『先天の儀』を教会で受けることが義務づけられている。この儀式で得た情報は、基本的には公開されて誰でも見ることができるようになるのだ。当然、この儀式で得られるスキルの内容は個人によって異なる。
つまり、これは神より与えられし運命なのだ。それ故に、人は自分のスキルの内容を知ったとき、歓喜の声を上げるのである。誰もがここで初めて、己に潜む『先天スキル』を知り得ることができるのだから。
ここで幸福を得る者もいれば、不幸に見舞われる者もいるだろう。しかし、それでも尚、己の道を進む覚悟を持つ者だけが成功する権利を得られるのだ。それがこの世界における常識であり、誰しもが通る道でもある。
だからこそ、僕は驚いたのだ。皆が手に入れたスキルを羨む中で、僕だけが違ったのだから。周りの子供らは、自分がどんなスキルを得たか自慢し合っている中、僕はただただその事実に打ちひしがれていたのだ。そのスキルは周りから見ればこう表示されていたらしい。
──『Unknown』と。
しかし僕からはこう見えたのだ。
──『嫌者の瞳』と。
そう、これこそが僕のスキルだったのだ。
僕の目には他人から見た僕への好感度が表示されるようになっていたのである。ただ、それだけではない。
他人が僕を評価する時、僕もまた他人を評価するのだ。
つまりは一種の鑑定眼のようなものだ。ただ鑑定眼とは違い、嫌われなければ開示することが出来ないのと、嫌われれば嫌われるほどに、精細に、詳細に相手を知ることが出来るということだった。
だから僕は嫌われることで相手のことを知ろうとした。そうすることで、確実に相手の嫌がることを実行することが可能になるからだ。
そうすれば必然的に相手は僕に敵意を抱くことになる。
だから僕の周囲にいる者たちは皆、僕の敵になった。全ては僕の思い通りに事が運んだというわけだ。そしてこれが悲しくも僕の本性だった。
だから僕は思ったのだ。
どうせ嫌われるならとことん嫌われてやろうと。そしてその先に何が待っているのか知りたくなったのだと。
これが僕の選んだ生き方だった。