恋は始まるのか、始まらないのか
世の中には自分に似た人が七人いると聞いたことがある。
そのような統計をとった人がいるとは思えないので、いかにもありそうだが証明できない話として知られているのだろう。
自分に似た人が実際のところ何人存在するか分からないが、七人ぐらいはたしかに存在していそうな気がする。
菅原美咲は自分に似た人が少なくとも三人いるのを知っている。
一人は中学生の時に「小学校の同級生に似てる」と複数の人にいわれた。その女の子は親の転勤で遠くへ引っ越したという。
もう一人は大学の時に同じ大学の違う学部にいる女の子と似ているといわれた。どうやらとても似ていたようだ。
美咲のそっくりさんと勘違いした男の子に、「手を振ってるのに無視するなよ」とこづかれた。勘違いに気付いた男の子に平謝りされ、本当によく似ているといわれた。
そしてもう一人は国外にいた。国外を旅行中に具合が悪くなり救急病院へいったところ、受付の人や看護師に日本人ではない名前で呼びかけられた。その病院で働いていた女性に似ていたらしい。
そしてどうやらもう一人、自分に似た女性がいたようだ。
「山本さん、久しぶり」
カフェでスマホをみていると自分と同じような年齢の男性がにこやかに話しかけてきた。
よばれた名前は自分の名ではないが、もしかしたら仕事関係の知り合いかもと男性をみたが会ったことがあると思えない。
整った顔で背も高く目立つ容姿だ。会っていれば記憶に残っているはずだ。
「お知り合いと勘違いされているようですね」
おどろいた顔をした男性がじっと美咲の顔を凝視したあと、「山本さんじゃないんだ」とつぶやいた。
「どうやらこの手の顔はよくあるようで、これまで似た人がいると何度かいわれてるんですよ」
そのようにいうと「似てるけど声が違う」といい、親戚にこのような名の人はいないかと聞かれた。
いないというと出身地や出身校などを聞かれ、これは新手のデート商法だろうかと美咲は警戒した。
整った顔立ちの男性。知り合いかもと親しげに話しかけ相手の個人情報を引きだそうとする。あやしい。
場をはなれるため、では失礼しますと美咲がいうと、「すみません。不躾に」とあやまられ美咲はほっとした。カモにならないと思ってくれたのだろう。
美咲は出入り口ちかくにあるゴミ箱の前で、紙コップに残っていたコーヒーを一気に飲み干すといきおいよくゴミ箱にすてた。
「またお会いしましたね」
休日に街で買い物している時に会社の後輩に偶然あった。後輩は従兄だといってカフェで声をかけてきた男性を紹介した。
「えっ!? 二人は知り合いだったんですか?」
後輩が視線を美咲とその男性の間に行き来させた。
「知り合いというか、彼の知り合いに私が似てるんだって」
どういうことかと後輩が男性に聞くと、男性が職場の同期と似ていると説明した。
「うわー世間って本当に狭かったんですね」
後輩がしみじみとした声をだした。
美咲と同期の女性を見比べているのか男性からの視線をかんじ居心地が悪い。
一緒にお茶でもとさそわれたが行く所があるからと早々に退散した。
前に会った時はあやしげなデート商法かと思ったが、美咲に似た同期の女性と血縁者ではないかと本当に知りたかっただけのようだ。
――顔のよい男を信用するな――
菅原家の家訓だ。
そのため見た目が整った後輩の従兄を過剰に警戒してしまったと反省する。
父方の女性陣がイケメン好きで、祖母が顔のよいアルコール依存症の祖父に惚れぬき苦労し、伯母が顔のよい男に結婚詐欺をされ、従妹は顔のよいクズ男に浮気されつづけている。
美咲は物心がついたときから、父から「男を顔でえらぶな」といわれつづけてきた。
さいわい美咲は母方の血をひいたようでイケメン好きにはならなかったが、弟が可愛い女の子好きで心配だ。
何はともあれ自分には関係のない人だ。もう会うことはないだろう。
二度あることは三度ある。
後輩の従兄に会社の最寄り駅近くで遭遇した時は、「これがドラマなら『運命よ!』となるんでしょうね」心の中でつぶやいた。
「よくお会いしますね」
「本当に。でもお互い勤め先が近いのできっとこれまでもどこかですれ違ってたんでしょうね。
お互い知らない者同士だったので風景の一部としてながしていたのが、一度知り合いとして認識するとこうして行き合うようになるんですよね」
男性が笑った。
「こういう場合、これは運命だといいたくなりませんか?」
「ドラマの見過ぎですよ」
「現実的なんですね」
男性が再び笑った。
「たしか私と似ている女性は同期だといってましたよね。彼女ともどこかですれ違っていたのかもしれないですね。
自分に似てる人の話は聞くんですが、実際にそっくりさんとご対面したことはないんですよ」
「いま彼女は海外赴任しているので菅原さんと会わせることができず残念です」
「海外赴任されてるんですか。きっと優秀な方なんでしょうね」
「はい、とても優秀で素晴らしい女性です」
美咲はそっくりさんが彼の元カノではと見当をつける。
彼から自分に向けられている視線が好意的だ。美咲にではなく、そっくりさんへの好意がそうさせているのだろう。
「菅原さんに声をかけたのは彼女に似てるのもそうですが、彼女がついに髪をのばしたのかとおどろいたことが大きかったんです。
彼女はずっと少年のように髪をみじかくしていて、髪をのばすなら結婚する時だといってたので」
別れたとはいえまだちょっぴり彼女への未練があるのかもしれない。美咲は彼の心境を勝手に分析する。
「彼女が海外赴任から戻ってきたら、どのような髪型になっているのか楽しみですね」
男性が苦笑した。いらぬことをいってしまったらしい。
「すっかり足止めして、すみません」
会釈をして去ろうとしたら呼びとめられた。
「これも何かの縁です。連絡先の交換をしませんか?」
元カノによほど未練があるのだろうか? 彼女に似た女に親しみをおぼえ、彼女の代わりにと考えていたりするのだろうか?
彼は美咲がこのようなことを想像しているなど思ってもいないだろう。
「遠慮しておきます。連絡先を交換する必要ができた時にそうしましょう」
再び会釈をして美咲は歩きだした。
もう彼と偶然会うこともない。
美咲は二日後に地元へもどる。家業の修行で実家からはなれた場所で働いていたが、ようやく実家にもどり後継ぎとして仕事を引き継ぐことになっている。
「私の人生にはイケメンと運命の出会いをし恋におちるというシナリオは存在しないのよね」
彼の同期である美咲のそっくりさんは、美咲にはないシナリオを生きている。海外赴任をするほど優秀で、イケメンとの恋も楽しんでと充実した人生をあゆんでいるようだ。
不思議な気がする。自分と似た人が自分とはまったく違う人生をあゆんでいることに。
「これで自分と似た人を七人中、四人と間違われたことになるのよね。あとの三人はどこにいるんだろう?」
美咲に似た人達は美咲と間違われたことはあるのだろうか? 美咲は自分に似た女性達に思いをはせた。
◆◆◆◆◆◆
五十嵐大地が同期の山本を初めてみた時、「男? 女?」性別について考えた。
彼女の髪が短いことから少年のような雰囲気があっただけで、男性と間違うほど背が高かったり、男らしいわけではなかった。
パンツスーツをきていたが女性物だと一目でわかるジャケットの形だった。
同期として入社した彼女とは新人研修で同じ班になったことから親しくなった。
彼女は仕事一筋だった。仕事に関する勉強や情報収集に貪欲で、同僚との付き合いだけでなく友人との付き合いも最小限だったようだ。
「彼氏いるの?」という周囲からの問いに、
「それ、セクハラですよ。でも今後しつこく聞かれるのも面倒なのでいっておきます。
いません。彼氏をつくる必要性を感じなければ、つくるつもりもありません。ついでに結婚する必要も感じないのでしない予定です」
きっぱり宣言した。
その言葉どおり彼女は寄ってくる男達になびくことはなかった。
男嫌いなのかと思ったがそういうわけでもなく、海外の男性アーティストが好きで彼に迫られたら結婚するといっていた。
その言葉が本気だとは思えないが、結婚という話題がでると現実離れした話で煙に巻き、結婚するつもりはないと意思表示していたのだろう。
彼女は業界で注目されている大地の部署の課長を尊敬しており、課長についての情報をえるため大地をときどき昼食にさそった。
「課長の話をきいてると、私なんてまだまだ勉強がたりないなあと反省するわ。もっとがんばらないとね」
「はたからみれば十分すぎるほど頑張ってるよ。同期の期待の星っていわれてるし。俺なんて周りに圧倒されて腐って脱線しかかってるから、そうやって努力しつづけられる山本さんのことすごいと思ってるよ」
彼女はほめられ慣れているようで、軽くほほえんでごく普通にありがとうといった。
努力することを普通のことと思い、人からの賞賛をてらいなく受けとめられる彼女は、これまで大地の周りにはいなかったタイプだ。
頑張り屋の女性はこれまでもいたが、肩に力がはいりすぎていたり、自己評価が低いのかほめているのに卑屈な反応をかえされたりした。
課長のおかげで大地は彼女と同期の中で一番仲が良い存在になっていたが、彼女の生活のなかに恋愛という文字だけでなく、人付き合いや趣味、休暇といった文字もほとんど存在せず、彼女とは仕事のみでつながっていた。
そのような彼女を意識するようになったが、仕事と課長について話す昼食以外で個人的な時間をもつことはできなかった。
大地は自分の気持ちを伝えたいと何度か思ったが、彼女が恋愛など時間の無駄と思っていることを知っているだけにためらった。
そしてためらっている間に彼女の海外赴任が決まった。
「これで周囲もあきらめてくれる!」
うれしそうに大地に報告してくれた彼女の表情は晴れ晴れしていた。
彼女の両親は彼女がキャリアを積むことを応援してくれてはいるが、女には妊娠できる年齢的な制限があるので結婚するタイミングを慎重に考えた方がよいといわれつづけていたらしい。
それだけでなく友人や親戚からも仕事ばかりでなく結婚について考えろとうるさくいわれていたという。
「そういえばなぜ結婚する気がないんだ?」
大地が彼女に理由を聞くとうんざりした表情をした。
「逆に聞くけど結婚する必要ってある? 私は子供を持ちたいと思ってないし、一人で生きた方が相手に振り回されることがなくて楽じゃない?
自分がやりたいことに百パーセント時間も能力もつかえる。私はわがままなのよ。自分のことだけを考えていたい。
もしかしたら将来考えが変わって結婚したいと思うかもしれないけど、これまで結婚したいと思ったことないし、恋愛でごたごた振り回されるのは面倒としか思わないんだよね」
彼女はすこし間をおいたあと再び言葉をついだ。
「世間的には結婚を考える年齢だから周りが何かとうるさいし、もう面倒だから安全に女性としての体の機能をとりのぞけるならとりのぞきたいぐらいよ。
恋愛や結婚は自分以外の人に時間と労力をさかないといけないでしょう。これまで他人に合わせて楽しいと思ったことがないんだよね。
自分がやりたいことをやるのに不必要なものは本当にいらない。こんな考え方してる人間が結婚にむくわけないでしょう?」
これまで彼女と話していて不幸な生い立ちでもなければ、恋愛で絶望するほど痛い目をみたという感じでもなさそうだと思っていた。
しかし過去に彼女が恋愛も結婚も面倒で無駄なことと思わせる経験があったのかもしれない。
大地は彼女にとって恋愛や結婚は「無駄なもの」で、「必要でないからしない」と考えていることを理解した。
大地は彼女への想いは胸にしまい、同期として応援する立場をたもった。
海外の水があったのか彼女は海外赴任の任期を終えると、そのまま他の国へ赴任することになった。
その話をきいたあと彼女と似た女性を街で偶然みかけた。
新しい国へ赴任するための査証の手続きか、日本での会議によばれて彼女が日本に帰ってきたのかと思い声をかけた。
なにより髪が長くなっていたことにおどろいた。
彼女の髪が短かったのも「長いと手入れするのが面倒で時間を無駄にする」効率第一主義のいたって彼女らしい理由からだった。
「もし髪を長くするとしたら結婚する時かなあ」といった彼女は、結婚する気も髪を長くする気もまったくなく、ありえないこととしていっていた。
それだけに髪を長くした彼女をみた時におどろき、そしてどのような男が彼女の気持ちを変えたのだという焦りやいらだちを感じた。
彼女の一番の理解者は自分で、彼女が恋をしたい、結婚をしたいと考えた時に思い浮かべるのは自分だと思っていた。
実際にはその女性は彼女ではなく、彼女に似た女性だった。いわれてみれば髪の長さだけでなく、声や背格好がちがっていた。
彼女の親戚かどうかとたずねたがちがっていた。
思わず血縁者かどうかを知るためいろいろ質問してしまい、そっくりさんに警戒され逃げられた。
その後、思いがけず同期と似た彼女と再び会い、従弟がつとめている会社の先輩であることが分かった。
そして偶然の出会いはそれでおわらず再び彼女と遭遇した。
運命ではといいたくなる状況だったが、同期と似た女性は冷静に顔見知りになったので目にとまりやすくなっただけだといった。
そのような冷静なところも彼女に似ていた。連絡先を交換したかったがあっさり断られた。
これまで連絡先の交換を断られたことがなかったのでおどろいた。
お互い連絡することはないだろうと思いながらも場の雰囲気や社交辞令として交換するものだ。
それだけにまさか断られるとは思ってもみなかった。
「そっくりさんも恋愛や結婚などするつもりはないと思ってるのかなあ」
似ているとはいえ同期よりも雰囲気がやわらかく落ち着いた感じの女性だった。
ふいに同期のそっくりさんからも好きになってもらえる気がしないと思った。
「俺はあの手の顔の女性の好みから思いっきりはずれてるのか?」
笑いがこみあげた。
好みのタイプから好かれない。
うれしくない呪いをかけられているのかもしれない。
それなりに女性うけする見た目で友人からうらやましがられることはあったが、それが自分の好みのタイプに何の意味もなさず興味さえもってもらえない。
それでも少しあがいてみたい気がする。見た目が好みでなくても好意をもつことはある。
従弟という共通の知人がいる。何かしら接触することは可能だろう。
本当にあの顔の女性から好かれないのか? 大地は従弟へ送るメッセージを考えはじめた。