悩みの種の正しい育み方
「おい、目ぇ覚ませ」
「......うっ」
「臭っ......。お前。酒癖最悪だぞ」
「んあぁ?」
パチっと目が開き、一気に視界が鮮明になる。
「......デリバー?」
「はいストップ。その口閉じろ。とっとと朝風呂行ってこい」
目が覚めて開口一番、目に写ったデリバーの姿を見て名前を呼ぶと、お口を片手で封じられた。
「何し——うっ!」
何してんだ。そう言おうと思った矢先、手で口を封じられ、わずかに生まれた隙間から自分の息の臭いが鼻を刺激する。
これは酒の臭いだ。そしてその臭いが原因で、自分がやったことをすぐさま理解し、顔と体が段々と暑くなってきた。
「恥ずかしいのはわかる。俺も友人にこんな姿見られたら辛い」
「......い、いうあ(い、言うな......)」
今の自分がどんな顔をしているのか容易に想像できた。
とにかく、彼に言われた通り、まずは綺麗になることが先決だ。
口を覆う彼の手を優しく解いて、いつもの倍はやく朝の準備を済ませに行く気持ちで、身だしなみセットを携えて宿の入浴施設を借りに扉を開けて行った。
朝の身だしなみも終わり、その間に朝食を先に済ませていたデリバーと部屋で合流。
本日から二人。もしくは後何人か追加し、そのメンバーで、ギルドに指定された場所へ調査に行かなくてはならない。
と、いうことなのだが——。
「それで。久しぶりにお説教だ。この酒瓶と今朝の醜態について教えてもらおうか」
「は、はい」
椅子に座ったままのデリバーに気圧され、自然とベッドの上で正座を組むことになったアンナ。
今朝の状況について、当然説教する流れになった。
流石に酒瓶二本はマズかった。
久しぶりに急激なストレスで精神的に落ち込み、話し相手もいない夜になってしまった以上、夜明けまでの時間は苦痛だった。
「じ、自分が嫌になって、それで......」
「......だから飲んだと?」
「はいっ......」
なので、生前やったことがある至高かつ最悪の景気直し。その手段を実行したのだ。
(秘技・何もかも忘れてしまえ酔い......。懐かしいなぁ)
長年生きていると、人間はどうしても心に闇を溜め込んでしまう。その解放時期に近づくと、普段からは想像もつかないような行動を取ろうとしてしまう。
アンナは生まれ変わり、夢のような冒険生活で間違いなく楽しんでいた。
しかし旅先でまさかの仲間の死。
身近な人間の死と、それによる嫌な記憶のフラッシュバック。
そして痛感する自分という存在の気持ち悪さ。
色々と思い当たる部分はあるが、そういった嫌なことが畳み掛けに重なった結果、昨夜の奇行に走ってしまったのだ。
「あのなぁ......。お前が思い悩むのはわかってるが......。朝まで待てなかったかぁ」
「......謝る。片付けもやった。だから一旦忘れて、今日はやるべきことを......」
「待て。しっかり話せ」
「話さないとダメか?」
「当たり前だ!!」
一応ストレス発散は少しだけできた。こうして今は落ち着きを取り戻しているのだから、もう自分に構わず仕事に行こう。
そのつもりでデリバーを言葉で促そうとしたのだが、彼の確固たる意思と瞳の威圧により、アンナはベッドの上から動けなかった。
それどころか言い訳をしてしまい、彼がより一層激しい口調で問い詰めてきて、久しぶりに他人に強く言い寄られたことでビクッと体が震えた。
「これから一緒にギルドの指示で調査に行くって時に、旅の相棒であるお前の精神状態が不安定なら治すのが先決だろうが!」
確かにいう通りだ。
アンナだって、仕事も大事だがそれ以上に仕事仲間との付き合いや関係を気にする。
そして何より、旅人とその仲間は運命共同体。飯を食うときも寝る時も、戦う時も常に一緒だ。
そんな相棒の調子が良くないのに、それを放って置いて戦闘の可能性がある依頼を受ける方がどうかしている。
いつになく厳しい態度を取る理由も、アンナという相棒を思っての結果だった。
彼の思いやりの強さに思わず心が温かくなる。それと同時に自分の気持ちや悩みを、別世界からやってきたという情報をどれだけ隠しながら伝えられるかが難しく感じた。
「......誠に恥ずかしいのだけど、自分の存在意義とか、あとなんでこんな上手く行かないんだろって思ってさ」
一応うまいこと隠したつもりだが、当然ぼやかされた言い方にデリバーが眉を寄せて「んん?」と唸る。
「ごめん。これだけしか言えない。これは、ウチの問題だ。だから......」
「......事情は知らんが、そうか。存在意義か。そんなの、俺もわからねえよ」
「わかんないだって? でも、デリバーは自由に旅をして、それで......」
思わぬ答えを聞いてしまい、アンナは動揺する。対するデリバーは「ふっ......」と小さく笑って、先ほどとは違う優しい目で見つめてくる。
森の中でいずれ野垂れ死ぬ運命だったアンナを拾い上げ、面倒ごとまで見てくれる彼が、まさか自分自身に悩んでいる人間だとは思わなかったからだ。
確かに彼といつも一緒にいるが、その全ては知らない。
過去に何があったかも断片的に聞かされた程度だ。
「......どうして?」
「どうして......か。まあそうだなぁ」
結局考えてもわからない。なら手っ取り早く、今何を思っているか聞いた方が早い。
そう思って素直に尋ねると、いつものように過去を振り返るときは、どこか遠い目で虚空を見つめ始める。今回も例に習って、同じような雰囲気になりつつあった。
そうして振り返って間もなく、どこかを見つめた。そして、語り部が聞き手の感情を言葉によって優しく刺激するかの如く、諭すように優しい口調で話し始めた。
「俺だって紆余曲折あって生きてきた。今は旅をしているが、それもいつか終わりが来る。それまでに自分が何を思って、どう生きているかなんてわかるか?」
「いや......」
まるで父親や友人と酒の席で、人生について語った時のような雰囲気を感じつつ、彼の言う事を八割くらい聞いて覚えて答える。
「人間の生き様なんて結局はいきあたりばったりだ。今の悩みも時間がくれば消え去り、そして新しい悩みの種を抱える。そうして思い悩んで人間は生きている」
「ふむ......」
確かに間違ってはいない。彼の言うことはどことなく共感できる。
アンナも悩みの種を育み、そして解決し、新たな悩みの種を持ち込んで生きていた。
人間は考えて悩む生き物。深く思考する能力を持つ以上、この連鎖からは逃れられないだろう。
「......考えれば考えるほど頭が痛くなるよ」
こんな人間観について悩んでも仕方がない。そう思い額に手を置いて、「ふぅ」とため息を吐いて一旦考えを放棄した。
その様子を見ていたデリバーは、「ははっ! だよな!」と共感するように再び笑って、何度も聞かされたあの言葉をもう一度口に出した。
「だから言ったろ。『考えすぎるな。やりたいことをやれ』って。ネイにも言われなかったか?」
「......なるほどねぇ」
考えすぎるな。やりたいことをやれ。
この言葉の意味がやっとわかったような気がする。
デリバーも悩んで生きている。普段清々しい雰囲気を持って、しっかりとした目標を持って街から街を転々と移動していると思っていたが、彼も同じく悩んでいたのだ。
そしてアンナも悩んでいる。しかしデリバーとは違い、いちいち悩みに押しつぶされそうになる時がある。
自分と彼の違い。それは「考えすぎず、やりたいことをやる」ために生きているかどうか、ということだ。
「......難しいね。でもさ、見習うとするよ」
「おう。わかったならよし。さあ説教も終わり! とっとと行くぞ」
彼やネイさんの抱く教訓。そいつを完璧に真似せずとも、これからの生き方の参考として生きていく。見習っていこうと、再び胸の内で誓った。




