不気味な親切
世の中は、恵まれた者たちで溢れかえっている。
多くの人間が当たり前の生活を過ごし、そしてその贅沢に身を浸かりながらも、更なる贅沢を求めて不満を口にする。
自分の生活が良くならない。もしくは楽しくないと感じる責任を他者や政を担う人たちに転嫁し、揃いも揃って薄汚い薄情な意見を平気で口にする。
——そんな世界。許していいのだろうか。
「いや、許してはいけない。そのような傲慢な精神。理不尽な批判。そして批判に疲れ腐った政治家。許せるはずがない」
現実を見る度に。言葉にする度に、胸の奥で怒りが煮えたぎる。そして胸が苦しくもなる。
「可哀想な世界。この私が救わなければ......」
自らの理想を、現実に対する絶望を口にするある男がいた。
その男は誰もいない部屋の中、卓上に並べられた一つの石を手にする。
最近手に入れたばかりの、緑色で汚れ切った小さな石だ。まるで石が腐っているかのようだ。
「お前は......。その力を持って、どう動く?」
その腐ったかのような汚い石を卓上に戻し、男は部屋を出て行った。
「ういぃ......。た、たしかぁ.......」
ふらふらの足取りで、霧が濃くなり薄暗くなった夜道を歩く、青髪で全身地味な見た目の服装の女がいた。
彼女の名前はアンナ。街に出る時用のサブバッグを背負い、外出用に着替えた服で夜の飲み屋に出向き、ちょうど良い具合になったところで酒を切り上げて帰ってきたのである。
「あ、あしが......」
以前のような吐き気はない。しかし飲みすぎたことに変わりはなく、まだ宿に辿り着く前だというのに、道のど真ん中で立ち止まる。
このままだとバランスを崩して倒れてしまう。そのことを自覚したアンナは、道沿いに立ち並ぶ適当な家の壁にもたれかかった。
そして無意識に路地裏へと迷い込み、少し酔いが冷めてきたところで気づいた。
「ここ......どこだぁ?」
見知らぬ街の路地裏に迷い込み、出られなくなってしまったのだった。
〜〜そして数十分後。
まだ怪しい足取りのまま、路地裏を適当に歩き続けるアンナ。
途中で同胞と思われる、酔っ払って眠る人を数人見かけた。
路地裏で眠るなんて危ない真似するなと思いつつ、アンナも寝落ちしないよう注意しながら、路地裏を進む。
「......あれ?」
すると正面から走ってくる男がいた。
全身ボロボロの布で身を隠していて、前が見えていないのかアンナの方へ迷わずに突っ込んでくる。
いつもなら声を大にして「危ないぞ!」と叫んだり、避けたりと双方に被害が出ないように対処するのだが。
「イエーイ! おいでっ!」
正気を保てるギリギリまでお酒を飲んだせいか、前から突っ込んでくる男に対し、両手を広げて受け止めようとしたのだ。
そしてお互い避けようとしないまま、男が勢いよくアンナにぶつかり、アンナは衝撃で思いっきり地面に後頭部をぶつけてぶっ倒れた。
アンナにぶつかったせいで、彼女に覆い被さる形で倒れた男は、突然のことにわけがわからず。
「なっ!? 誰だお前!?」
と倒れているアンナに向かって叫ぶ。
「う、ウチは......がくっ」
「......死んだか?」
これがこの日の最後の記憶だった。
〜〜〜次の日。
アンナは見知らぬ家の中で目を覚ました。
「......やっちゃった」
秒で昨夜のことを思い出し、寝起きにもかかわらずその場で頭を抱える。
前回の失敗から何も学んでいない。正確には学ぼうとして、お酒の許容量を図ろうとした結果、その許容量を見誤ったのだ。
無様すぎる今の自分に対し、硬い床で寝ていたせいで強張っている顔を両手で摘んで伸ばし、自己嫌悪に陥る。
「もういやぁ......。つ、辛い......」
生前もお酒で失敗した経験はあるが、その時は家族の前だったので、しかも家族も酔っていたので心にダメージは残らなかった。そしてその経験からお酒の許容量をなんとなく察した。
しかし今は違う。一人で勝手に惨めな思いをし、誰も共感してくれない。そのせいですごく惨めな気持ちになるのだ。
「......」
頬を摘んで引っ張っては元に戻すを繰り返し、少しづつ冷静になる。
(......どこだ、ここ)
それにしても今いる場所はどこなのか。やっと今の状況に対し冷静になれた。
確か昨夜は路上を歩いていたはずだったのだ。なのになぜ家の、それも空き家と思われる場所にいるのか。
キョロキョロと目を動かして、あたりを見て状況を確認しようとすると。
「起きたか」
「うわっ!?」
そこで突如隣から聞こえた男の声にビビり、立ち上がって男と距離をとるアンナ。
(全然気づけなかった!! 隣にいたのか!?)
ほぼ密着していたというのに、息遣いどころか気配すら感じなかった。
一応生き物の気配を察知できるアンナに対し、ここまで存在感を消せるのは経験上あり得ない。初めてのことだ。
「......」
ジリジリと構えたまま後退して、見知らぬ男を睨む。
すると壁にもたれかかってあぐらをかいて座る、ボロ雑巾みたいな布を着ている男が、顔を隠していたフードを取ってこちらに顔を見せてくれた。
いくつもの傷が入った顔。少し脱色している白色混じりの緑色の髪。少々濁った白い目。失礼かもしれないが、抱いた印象は「全体的に不吉な感じ」だった。不気味な見た目だ。
「落ち着け。何もしてない」
「ん? ......あ、ああ、なるほど。そうか」
男に「何もしてない」と言われて一瞬頭が混乱したが、そういえば今の自分は「アンナ」という女の体で生まれ変わった存在なのだということを思い出した。
一応、自分の身なりを確認すると、確かに服を脱がされた形跡や荷物を盗むために漁られた形跡は無かった。
しかしこうなった経緯を客観的に見ても、色々と無防備だったなと自分で反省する。
(いや、今はそのことよりも!)
アンナは明らかに怪しい見た目の男を警戒し、ファイティングポーズをとった。
「アンタ。そんな格好して、絶対ロクなやつじゃないでしょ」
「まあな。間違ってない。でも敵意はない。そのつもりなら、既にお前は死んでいるからな」
「うっ......(死んでるって、確かにそうかもだけど......えらい直接的だなぁ)」
確かにその通りだ。流石に眠っているところを、体を切って血を抜かれでもしたら一晩のうちにお亡くなりになってしまう。
それに、そもそもアンナは再生能力がある。例えアンナを殺すのに失敗したとして、もし男がアンナを殺すつもりで切るなり焼くなりしていたら、血が飛び散っていたり、服が傷つくか焦げたりしているはずだ。
しかし服に切り傷や燃えた後はない。辺りにアンナの血が飛び散った形跡も無い。
「......ごめん」と言って頭を下げる。
「気にするな。慣れてる。それよりも——」
感情の読めない表情を見せる男が口を開きかけたとき。彼のお腹から、大きな腹の虫が鳴った。
これはアンナのものではない。目の前の男のものだ。
「うっ......」
「だ、大丈夫か? ちょっと待って、今何かあげるから」
幸いバックパックも無事だったようで、中に入っていた干し肉もそのままだ。
デリバーから小さな容器に保存され分けられた干し肉。いつ開けても食べられるらしいが、その高性能な容器は数が限られているらしく、大した量の干し肉は保存できなかった。
その保存した干し肉のうち一つを取り出し、容器の蓋を外して男に渡す。
「食べろ。非常食みたいなもんだ。死ぬよりマシだろ?」
「......」
しかし受け取ろうとしない。毒でも入っているのかと警戒しているのだろうか。
仕方ないので、容器の中身を取り出し、一口だけかじって見せる。
「ほら。何もないだろ?」
「......」
アンナが干し肉を飲み込んだのを見て、こちらをじっと見つめたままそれを無言で受け取る男。
しかしぶっきらぼうな態度とは裏腹に、ガツガツと肉を食べ、あっという間に完食した。
空になった容器を受け取り、蓋をしてサブバッグにしまう。
「まだあるよ。置いとくね」
「......」
どうせこの街に来た以上、正直必要のない干し肉たちだ。おやつにするぐらいなら、お腹が空いて困っている彼に渡した方が良い。
そう思って肉の入った容器をいくつか置いて、彼の目の前に置いておいた。容器はせっかくだしプレゼントしておこうと思う。
サブリュックを背負って立ち上がる。もうここに留まる必要はない。
「さてと。一晩ウチのことを見てくれてありがとう。でも行かなきゃ」
「フン。気まぐれで助けただけだ。珍しかったから......。いや、なんでもない」
何かいいかけた男。口を閉じ、フードを被り直す。
もう話すことはないようだ。
「ありがと。また縁があったら会おう」
「......」
そう言ってアンナは見知らぬ家の扉を開けて、外へと出て行った。




