勝者の不在
「突然の招集に応じてくれて申し訳ない......」
「どうしたんだ、アンセスさんや。『至急集まれ』って、何か祭りのことで問題か?」
ギルドの老職員、アンセスと、彼を囲む数人の人々がギルドの噴水前で集まっている。
今は祭り。ギルドも形式上は休みであり、一応施設は開放していて簡易的な事務や手続き作業は行なっている。
そんな中、数人の人々。つまり冒険者たちが、しかもアンセス直々に連絡を入れた、実力のある数人だけが集まっていた。
顔に冷や汗を流し、今までにないくらい珍しく焦りと動揺の表情を浮かべるアンセスを見て、周りの冒険者たちも固唾を飲み込んで顔の色を変える。
「......アールよ」
「なんですか」
突然集められた実力者たち。ちなみに急いで駆けつけたため、彼らは全員私服姿である。
集められた人のうち一人、私服姿のアールは険しい顔つきで、不安を押し殺しアンセスの言葉を耳に入れるべくシワの入った爺の顔をジッと見つめる。
そんな彼に向かって、重々しく口を開くアンセス。一度視線を逸らし、顔中のシワを一気に寄せて目尻を抑えるが、すぐさま冷静な顔に戻って再びアールの目を見て。
「遺跡のスライムが......脱走した」
「なっ......。そ、それは......まさか......。あ、あり得ない!」
下唇を噛んだまま、今回招集した理由を。遺跡のスライムに、この場で唯一立ち向かった彼に打ち明けた。
そして普段は冷静なアールが取り乱す様子に、他の人々は「スライム」がなんなのか分からずとも、噂や人伝いに聞いた情報と彼の表情から、事態の危険さを素早く察知した。
「ありない事が昨日の日中に起こってしまったのじゃ! あの魔物の攻略が分かるまで、遺跡への侵入は許しておらぬというのに......」
「日中......」
「どうして俺たちに早く教えなかったんだ、アンセスの旦那?」
「通信係や警備を含め、遺跡に赴いた調査員の全てが同時にやられた」
あまりに圧倒的な被害状況。ドラゴンでも襲ってこない限り、一瞬で数十人の人々が。それも遺跡の第一層から三層までバラバラに散らばっていた人たちが、連絡すらできず一瞬でやられるのはあり得ない。
だがアンセスが語ったのは嘘じゃない。いつも冗談だったり、辛口を飛ばしたり、余裕のある彼の態度が一貫して緊迫している。
そのことを察している冒険者たちは、騒ぎ立てることはなく黙って耳を傾けていた。
「......第四層は地下かなり深い。そこから一瞬で、なんの前触れもなく例のスライムが遺跡から飛び出し、現時点だと街と遺跡の道中。その中間地点の方にいるという」
つまり言い換えると、距離的に大体三キロ先の地点。しかし巨大生物の歩みは、人間や馬車とは比べ物にならない。
「各自、急いで戦闘準備を整えて欲しい。正直アレは得体の知れない存在じゃ。なぜ遺跡にあんなものがいるのか......。そして、そんなヤツがなぜか街の方に向かって移動している。目的は分からないが、もしかするとこの街を......」
「ならなんで避難警報を出さない?」
「出さないのではない。出せないのじゃよ! 年に一回の祭り、経済効果や人々の混乱など諸々を考えると、今警報を出すにはあまりに損失が大きい。それが領主たちの判断となっておる......」
つまるところ、それは「人命よりも経済の方が心配」と遠回しに言っているようなもの。
確かに経済も大事で、祭りの日に起こったことがキッカケで人々が混乱。街が不況に陥ると、正直どうなるか心配なのも理解できる話だ。
色々と難しい事情が重なり合って、避難警報を出し渋っている。そう簡潔に伝えられると、冒険者の皆はなんとも言えない表情で、ある者は口を開きかけて、ある者は拳を握りしめていた。
「理解があって助かる。ともかく急いでくれ、頼む!」
アンセスが腰を折り曲げ、全身全霊で頼み込む。
領主の決断は間違いじゃないが、疑問を持っている者も少しいた。だがアンセスの姿を見た冒険者たちは、この危機的状況と自分達が隠密にことを終わらせるしかないと。そして信頼されている・任されていると分かると。
「ああ、任せておけよ!」「なんとかやってみせる」
「......僕たちがダメだと思ったら。すぐに警報を出してほしい」
色々と危機的状況だが、強がったりすんなりと応じたり。最後は現実を見るかのごとく、各々が思ったことを口にし、アンセスの返事を待つことなく出ていった。
「皆の者......すまない」
顔を上げた頃には、自分が集めた冒険者たちは既に姿を消していた。
アンセスも何もしないわけじゃない。
街は危機的状況に陥る。というより、既に片足を突っ込んでいる。
事態の判明があまりに遅すぎた。対策は完全に後手だ。
このギルドの職員総出でもどうしようもなく、またスライムがまだ街に被害を与えたわけじゃないので、他の街に対して救難信号を出すこともできない。
例のスライムが脱走した経緯も不明。そもそも、遺跡の第四層まではかなり深い位置にある。遺跡の魔物が、住処を離れることも、世界中のどこを探しても前例がないといえる。
だがこの際、原因解明は急ぐことじゃない。
できることは、冒険者たちの奮闘を祈ること。加えてもしもの事態に備えて、その時の準備を備えることだった。
「グライト!」
「はいっ!」
「デリバー殿をすぐに探しに行ってくれ! 報酬はなんでも出すと言ってな!」
「りょーかい!」
近くにいたグライトを呼び止め、偶然この街に来ていた力ある冒険者。デリバーと、もう一人の顔を脳裏に思い浮かべ、急いで事情を伝えて協力をさせるように指示する。
あとはどうにかなって欲しいものだ。アンセスは、他のギルド職人のもとへ向かって話を聞いたり、自身のデスクに向かって色々と進めたり。自分にできることを開始した。
街は危機的状況にある。
そんなこと知る由もなく、街の人々は年に一回の大型祭りを楽しみ、また偶然その時期にやってき旅人の二人。
アンナとデリバーも、思う存分にイベントを堪能していた。
「もう始まるのに、グレイさん出てこないね」
二人は闘技大会の観戦のため、その会場の観客席に座っている。
この街の歴史上初の闘技大会で、その決勝となると注目度も凄い。グループ戦の時とは比べ物にならないくらい、観客席に人が集まっている。
そしてあと数分で試合が始まる。既に選手はステージに上がり、お互いに顔を合わせる頃合いだった。
だが肝心の選手が一人、グレイさんが姿を現さない。
「なんで出てこないんだろ」
「うむぅ......なあアンナ」
「ん?」
どうして出てこないのか。緊張のあまり、お腹でも壊したのかと思って、腕を組んでステージの上を眺めていると、隣に座る相棒が顎の辺りを触って神妙な面持ちをしていた。
「どしたの? 足組んで顎触って、変な顔して」
「いや......うん。そうだな。お前は知っているが、俺は魔術を探知できる」
「はぁ? 知ってるけど」
すると脈絡もなく、いきなり自分のことを話し始める。
あまりに奇妙だ。そんな周知の事実、ロットと戦ったあの時に既に知っている。今更だ。
何を言っているのか分からず、相棒の思惑を探るように目を細め、彼の表情をジッと伺う。
「微かだが......魔術の反応を感じるんだ。かなり遠い場所にな」
「ほぉ?」
「ちょっとついて来い。人のいない場所に行くぞ」
いきなりどうしたのか。この場で感じるはずのない魔術を感じると言って、いきなり席を立ち上がる相棒。
「試合はどうすんの!?」と叫び申すも、それを無視して勝手にどこかへ行こうとする。訳もわからず、急ぐように会場の外に出て行ってしまう。
「この辺でいいか」
そして辿り着いたのは、会場のすぐ近くにある、無数に植林された木陰の下。
木の陰に隠れるようにして、さらに木陰の闇に体を染めるように、あえて目立たないようにそこで立ち止まる。
「んで? 何すんのさ」
「ああ、そういやお前には見せたことなかったな。......本当は明かしたくなかったんだが、俺と行動する以上はいずれ知ることになる。遅かれ早かれってやつだ」
「んん?」
木陰に立ったまま、意味深なことを呟く相棒。
相変わらず隠し事が多いなと思いつつ、腕を組んで木に背中を預け、これから何をするのか。彼の立ち姿を意味もなく眺め始める。
「んじゃ。やるぜ」
「おぅよ」
拳を握って胸を張って、首まわりをほぐし始める。
まだ魔術を隠していたのかと、少しばかりの興味を胸に抱きつつ、相棒が何をするのかその目で観察していると。
「......これって」
相棒の。デリバー・イービルの体から、どこかで感じたような気配が漏れ始めた。
似ているなと思えば、これはアレだ。自分が悪夢の時に時々感じたり、ロットとの戦いであの男から感じた嫌な気配と似ている。
と、心当たりのある出来事を振り返っていると。
「えっ。は?」
「よし、始めるぞ!」
ほんの一瞬だった。さも当たり前のように、相棒が姿を変えたのである。
服とか肌の色とか、そういったものは一歳変わっていない。
ただ明らかに、そこに生えているはずのないもの。即ち、額に小さくツノが生えていたのだ。
ツノ周りの肌の色は、少し黒く染まっている。
明らかに異常な出来事。何より初めて見た相棒の姿に、困惑と驚きを隠しきれず、口を大きく開けて言葉を失ってしまう。
「やっぱり。アンナ。予想通りだ」
「......えっと、状況が飲み込めないんですけど!?」
「まあ、この姿のことはいつか詳しく話す。今言えるのは、俺もお前と同じ、上位種の力を持っているってわけだ。今まで黙ってて悪かった」
信じられなかった。ただの人間だと思っていた相棒が、まさか自分と似たような存在だったとは。
しかも淡々とそのことを告げられるのだから、情報の濃さに反比例するように、口を手で覆って言葉を失う。
代わりに脳内でさまざまな憶測が流れる。どこでそんな力を手にしたのか。そもそも上位種ってなんなんだとか。兄妹のネイさんも同じなのか。
もしかして相棒も、その力に翻弄され、似たような生きづらさを味わったのかと。
(......いや。似てるかもだけど、決定的に違うか)
しかし似ているなと思ったことを、一瞬で心の内で反省し頭を横に振る。
彼のような優れた人間を、自分のような人殺しと同列に思うのは侮蔑に繋がる。
きっと、自分には想像もできないことを乗り越えてきたのは確かだ。
「街の外......。何か微弱な魔術を張り続け、こちらにやってくる奴がいる」
「それだけ? よく探知できたね」
「この姿になると、魔術の探知の精度がより良くなる。まあ、人前で使えないって欠点があるがな。とにかくだ。異常なのに間違いないし、魔術を発動させながら向かって来てるってだけで不穏だな」
ではどうするのか。そう尋ねると「事情を知りたい。急いでギルドに向かうぞ」と言って、当たり前のようにツノを引っ込めて元の姿に戻る相棒。
能力のオンオフにもかなりなれているように見える。どうやってやるのかなと、純粋な疑問を感じていると、そのまま人目があろうがお構いなしに、戦闘時のような超スピードでギルドの方へと駆け出した。
「ちょっ、こちとら浴衣なんですけどっ!?」
慌てて駆け出す相棒に向けて叫び手を伸ばす。しかしその声も手も届くことなく、一人だけポツンとその場に取り残されてしまった。
相棒に置いていかれる前に、あの速度になんとか食らいつかなければ。
「せっかちさんめ......」
自らも身体強化の魔術を使う。着替えは相棒が持っている。少なくとも、今この限りではこの服で移動しなければならない。
走りやすいようサンダルを脱ぎ、帯から下の浴衣を左右に引っ張って緩める。素足が周りに露見するようで、もう少しで下着が見えそうなくらいだらしない感じになったがそこは気にせず。
サンダルを右手に携え、素足で地面を蹴り上げて、相棒の後を追うことにした。




