初めから・今までずっと
一歩。そしてまた一歩。アンナは石の床を踏み、微妙に三段だけ段差になっている足場を踏み越えて、腰を後ろに引きつついつでも飛び下がれるように前へ進む。
目的は目の前に寝っ転がる男。一枚の薄い布を毛布のように上からかけた状態で、こんな奇妙な場所で眠っている男に近づき、その正体を明らかにするのだ。
「......」
なぜか心臓の鼓動が早くなる。手に汗が滲み出る。もしかするとこの事件の、腐食現象の首謀者かもしれない男が、目の前で無防備に寝ているのだ。
もし彼が元凶だったら。マイルスはどうするか。自分はどうすればいいか。それとも寝ているフリで、アンナを殺す隙を伺っているのか。
「っ......(お、落ち着け! 耳を澄ませ、しっかり見るんだ!)」
後ろでマイルスが黙って見ている。アンナは歩いているだけ。目的の男はいまだに眠っている。
耳を傾ければ、寝息のような、呼吸のような音が聞こえる。体が僅かに上下に動いている。つまり、相手は生きている。
残りちょっとだ。あと二歩歩けば彼に触れられる。
ここまでくれば、左腕を伸ばすだけでいい。いざと言うときに使えるのはこっちの手だ。
「っ、掴んだ!」
そしてガシッと、彼の上にかけられた布を掴み、ゆっくりと引き剥がした。
まず暴くべきは、武器を仕込んでいるかどうかの確認だ。
そのために布を掴んで引っ張ったのだ。
「......っ!」
布を引っ張ることに成功した。無事に相手の格好を見ることができた。
(これは......武器? それを沢山身につけているのか?)
布をとっても相手は起きることなく、大人しく横たわり続けている。
そして布の下には、まるで防弾ベストのような物が見えた。
なぜか前側を止めるためのチャックが空いていて、ベストの内側が覗き込めた。
その隙間を見ると、何やら道具が何個か確認できる。
それにしてもこの服装は、何かを連想させるものだった。
外の景色。深い暗闇に対応するかのごとく真っ黒なベスト。そしてベスト以外はタイツに似た物を着ていて、これなら物陰に隠れられると一眼では判別しにくい。
まるで暗殺者......というより、街中でたまにすれ違うハンターの装備に似ている。
「......どういうことだ?」
「アンナ? どうした?」
「いや......えっと......。今から顔を見るよ」
衣装が使い込まれていて、ハンターのような服を着ていることから、本当にこの人が敵だと思えなくなり、思わずオロオロと慌ててしまった。
その慌てぶりを不審に思われて、マイルスに余計な迷惑をかけてしまったようだ。
とりあえず、顔を確認しないことには始まらない。
こっそりと反対側に周り、隠れた顔を見るべく顔を近づけた。
「......へっ?」
そして思いも寄らない事実を知り、思考が完全に止まり、間抜けな声を漏らして腰を抜かし尻餅をついてしまった。
「なんだ?」
「な、な、なんで......えっ? う、うそ......だ.......」
この場所にいるということは、つまり敵の可能性があるということ。
あのローブ姿の輩は言った。この先の罠を越え、そこにある杖を使えば「彼」に会えると。
目的の人は間違いなく「男」だ。そしてこの場に不自然に寝っ転がっているのも男。
つまり、ほぼ間違いなく「敵」なのである。
だから、信じたくなかった。この顔の主が、アンナのとてもよく知っている人だったからだ。
尻餅をついてゆっくりと後退り、段差があることに気づかず体がバランスを崩し、腕を下敷きにして横から転がり落ちる。
小さな階段が三段分だ。怪我はなかったが、男の正体を知ってしまい、衝撃が体を襲っていて、腕や腰。足に力が入らない。
「......なんで?」
「おいアンナ!? どうした、落ち着け!」
明らかに様子がおかしくなるアンナを心配してか、マイルスがなりふり構わず飛び出し、男の体を飛び越えてアンナに寄り添ってきた。
両肩を掴み「大丈夫か!?」と声をかけ、地面に手をつけたまま一筋の汗を浮かべ、下を俯くアンナの顔を覗き込む。
「......誰だ」
「っ!? てめえこそ誰......だ......。......あ?」
寝っ転がっていた男が、まるで本当に寝起きだったといかのごとく、ハッキリしない弱々しい小さな声でつぶやいた。
そして聞き覚えのある声と、以前にも見たことのある顔。それを見て、マイルスも同じく言葉を失い、「なん、だと......?」と驚愕しつつ段差の上の男を見開いた目で見ていた。
「やはりお前たち......。というより、お前は来ると思っていたが。意外と早かったな」
やはりとの口ぶりから、デリバーの予測。「アンナか俺。もしくは似たやつを誘っている」という彼の言葉を思い出す。
この男はアンナを含め、ある条件を設けて誰かを待っていた。そのために、街を脅かすことをしたのだろうか。
だとしたらとても身勝手な行為だ。許されざる犯罪者だ。
また推測通りなら、自分のせいで街を巻き込んでしまったことになる。
こういった必要のない憶測を脳内で繰り返してしまい、勝手に内心で怒りが増していくのを抑え、右手で目の当たりを強く抑える。
指圧で目を閉じさせ、左手で怒りを沈めるように胸のあたりを少しさすりつつ、ゆっくりと息を吐く。
「お前ですら俺の正体を見破れなかった。......側から演技をしていて、中々面白かったぞ?」
まるで煽るような口調。自分の知っているあの男とは違い、明確な敵意を持った上での話し方。
「......ねぇ。これも......また何か、唐突な無茶振り? それとも......本気なのか?」
未だに信じたくないという葛藤と、目の前の男の正体を見破れなかった自分の愚かさ。色々と複雑な感情が混じり合い、心が荒ぶりそうになるのを堪えつつ、静かな声で語りかけた。
信じたくない事実を目の当たりにし、友人だと思っていた人に裏切られることの恐怖や怒りによって正気が狂いかけたが、なんとか冷静を保ち話しかけることができた。
しかし「実は敵だった」なんて、よくあるベタな展開だが、こうして対面すると様々な感情が心の中で渦巻き、それらを振り払うように抗おうとすると、意外と冷静な気持ちになれる。
事実として受け入れて割り切ってしまえば簡単な話だ。
目を開きスクっと立ち上がり、両手を強く握りしめて、段差の上にいる男の顔をじっと見つめる。
「その目つき......。切り替えが思いのほか早い。意外と情にあっさりしているな。お前も実はろくでなしか?」
「情......ね」
とても冷酷で、感情を切り捨てたかのような、悟りを開いた人間のように冷たい様子で、段差の上の男は見つめてくる。
相手は完全に敵だ。そして意図はわからないが、昨日の話。アンナを誘った理由が、憶測だが理解できた。
この男は「腕の力」をどこかで知ったと思われる。だから今まで接触していたのだろう。
アンナは段差の上に立つ、一晩で随分と見た目や様子が変わったかつての友の名前を、唸り声のように低く掠れた声で呼んだ。
「......ロット」
「ああ、俺だ。そして歓迎しよう。君たちは俺の試練を乗り越えた。最終試験の始まりだ」




