52.女王の戴冠式
三ヶ月後の、夏の日。
首が座り、元気に喃語を発するようになったマリウスを連れて。
「さあ、マリウス。今日は女王陛下の戴冠式なのよ」
小さなマリウスは大人のような格式ばった格好をさせられ、戴冠式に参列することとなった。
着飾ったテオとマリアは、マリウスと乳母と執事と共に馬車に乗り込み、首都の聖堂を目指す。
彼は赤子の中でも特に大人しいので、事前にブリュンヒルデに了承を得た上で、即位式に参加させることにしたのだ。
「マリアのレッスンが、ついに日の目を見るぞ」
マリアはくすくすと笑った。
「何でも、ブリュンヒルデ様は男性の王と同じように、軍服で戴冠式に臨まれるそうよ」
「女王だからドレスの方が華やかだが、決まりだからな。仕方ない」
「でもきっと軍服の方が、馬に乗る姿が様になるわね。ドレス姿はその内、婚姻の儀で見られるわ」
首都の聖堂に着くと、歓談しながら貴族たちが待っていた。
マリアは子を抱えながら用意された席へと急ぐ。
ローヴァイン夫妻の隣には、ザックス伯爵夫妻が既に座っていた。
「おお、これはこれはテオ様、お久しぶりですな」
当主のシモンが、顔をほころばせながら挨拶した。
「おお、シモン殿。競馬協会の会議以来だな」
「この赤子が、かの噂のマリウス君ですか」
「噂……?」
「そりゃそうです。テオ様が最後の最後に手に入れた至宝だと、専らの評判ですよ」
マリアが割って入る。
「あら……最後とは限らないのではないですか?」
「ははは、頼もしい奥様だ。確かにそうとも限らんですな」
「こらこら、マリア……」
その周辺に座る貴族たちが、次々吸い寄せられるようにマリウスに近寄って来る。
「テオ様、彼が噂のローヴァインの最終兵器ですね?」
「おお、これが伝説の老騎士のお宝ですか!」
「やはり人間、実直に生きるべきですな。最後の最後に最高のどんでん返しが待っていましたね!」
「だから最後とは限りませんってば……」
マリウスはよだれを垂らしながら、大人たちの謎の騒ぎにきょろきょろと顔を動かしている。
そうこうしている内に、遠くで親衛隊のラッパが鳴り響く。
居住まいを正し聖堂の扉を注視すると、ふわりと扉が開かれ、女王ブリュンヒルデが入って来た。
タイトなスカートの緑の軍服に身を包み、その頂に戴冠すべく、簡素にひっつめられた金糸の髪。
緋色に彩られた唇はきりりと結ばれ、コツコツとブーツの音が鳴り響く。
彼女は一直線に教皇の元へ歩くと、跪いて祝福を受ける。
既に王族席に配置されているパウルは、恋人の戴冠を静かに見届けていた。
痛々しくやせこけたトラヴィスは、娘の晴れ姿に目尻を拭っている。
聖職者が次々王者の装備品を運び、ブリュンヒルデにあしらって行く。
緋色のマントに王笏を持ち、最後に煌めく王冠を載せられ、彼女はごく自然に、十字架の前に用意された王座に就いた。
その後、ローヴァイン家一行は聖堂周辺の沿道へと移動した。
聖堂前の広場から、パレードが行われるからだ。
騎馬隊が整然と並ぶ先頭に、白馬シュネーバルツァに横乗りしたブリュンヒルデが颯爽と登場した。沿道から歓声が上がり、彼女は軍隊を率いて王宮へと闊歩する。
王冠やマントは既に聖堂内で脱いでおり、軍帽を被っての行進となる。マリアは乳母にマリウスを預けると、こらえ切れない涙をハンカチでごしごしと拭いた。
「勇ましいわ、ブリュンヒルデ様……とっても素敵」
テオがマリアの肩を抱く。
「女が騎手を反対されていたなど、遠い出来事のように思うな」
「ふふふ、本当ですね」
「女が馬どころか、国まで動かす時代が来たんだ」
「何事も、変わる時はあっという間ですね」
「これからも、君は女王の良い相談相手になってやれ。色々また不安や事件もあるだろう」
「……はい!」
と、背後から声が聞こえて来る。
「女王様、騎手のマリアさんにそっくりね」
「マリアさんはもう、レースに出場しないのかしら?出産したと聞くし」
「出産したらもう家庭に入るんじゃないかしら。男児だっていうし、教育にかなり力を入れるはずよ」
「勿体ないわね~」
マリアが背中でそれを聞いて呆然と佇んでいると、テオが笑った。
「いつレースに復帰してもいいぞ、マリア」
「……本当ですか!?」
「何を遠慮することがある?短い人生、やりたいことを全部やっておかねばな」
マリアは眼前で整列して過ぎ去って行く軍馬たちを見つめた。
「私のやりたいこと……」
そして、息子に目を向けた。
「小さなマリウスに、母の背中を見せてあげたいわ」
テオは呆れたように笑った。
「それ、普通は父親の台詞だぞ」
「何を白々しい。私の性格をよーくご存知のくせに。そうね……いつ復帰するのがいいかしら」




