51.新生児との生活
栗色のふわふわの髪の毛。小さな手に、常時気難しそうな顔。
頭には、マリアの作ったレース編みのボンネットが被せられている。
そんな赤子を飽かず眺めては、テオはそのふくふくとした頬をつんつんと突っつく。
「あんまり構うと、泣きますよ」
マリアが、赤子の眠る揺り籠から離れないテオに苦笑いで言う。
「赤子はこんなに寝続けるものなのか……?」
「そうですね。でも、段々起きている時間が長くなって行くそうですよ」
出産から一週間が経過した。マリアは赤子と一緒にただ寝起きする生活を送っている。
乳母は雇っていたが、出産が予定より早かったためあと二週間は来られないということで、マリアは彼女が来るまで自分のお乳で赤子を育てることにした。
細々したことは使用人が全てやってくれるので、寝て起きて乳をやるだけだ。
それでもすぐ疲れるし腹は減るしで、常時寝ていなければ体力がもたない。
テオは息子にぞっこんで、もはや乳母が必要ないのではないかと思うぐらい、赤子に構い倒している。
起こしたらすぐにマリアに寄越すので、正直苛つくこともある。
けれどここまではしゃいでいるテオを見るにつけ、苦言は喉の奥に引っ込んでしまう。
「名前は決まりましたか?」
この地域では子どもの名は先祖の名を繰り返し使い、当主が命名する。テオは答えた。
「マリウスなんてのはどうだ」
「あら、いいんじゃないかしら」
「マリアに語感が似ているし……」
「ふふふ、そうね。じゃあ、この子の名前はマリウスね」
名前を与えられた小さなマリウスは籠の中、難しい顔でむずむずと口を尖らせている。
「王女様にもお知らせしなくっちゃ」
ブリュンヒルデはマリアの出産後、産まれたての赤子を抱いてから、パウルと共に一泊して王宮へと帰って行った。名前が決まったらすぐに教えて欲しいと言われていたのだ。
「あまり無理をするな。レベッカが言うに、出産からひと月は字を書いては駄目なんだそうだ。目を悪くするらしい」
「そう?じゃあ、やめておこうかしら」
言いながら、マリアはうとうとと船を漕ぐ。
「眠いか?」
「はい、少し」
「しばらく寝なさい」
「そうするわ」
テオはふらりとマリアの寝室を出ると、玄関から庭を出て、その片隅へと歩いて行く。
再びの春。
テオは花を摘みながら、とぼとぼと歩く。
青々と生い茂る草間に、墓石が白く浮かび上がるのが見えた。
「フィーネ」
そう呟いて、摘んだ花をはらりと墓石に乗せる。
「君が死んで40年。私に子が出来た」
墓石は何も語らず佇んでいる。
「こんなことがあるんだな。人生とは分からんもんだ」
周囲に柔らかい風が吹いた。
「悪いが、まだ死ねない。そっちに行くのはだいぶ先になりそうだ」
気のせいか、新生児の香りが服にまとわりついている。その匂いを感じるたび、テオは思う。
生きててよかった。
悪いことが重なっても、絶望に打ちひしがれても、生きているだけでいつかいいことに辿り着く。そのことを知るのに、40年もかかってしまった。
「君もどこかで、私の息子を見ているだろうか」
無論、反応など返って来るわけはないが、どうしても問いかけずにはいられなかった。
「……見守っていてくれるか?」
風が吹き、墓石から手向けた花が転がり出てしまった。テオは自嘲気味にくっくと笑う。
「変なことを言ったな。見守るのは、私の役目だろうに」
テオはどこか覚悟めいた顔で、墓石に背を向けた。
「マリウスに花を見せてやろう。人生で初めて見る花は、何がいいかな……」
今日もテオはマリアの見ぬ間に愛しい我が子を胸に抱き、籠に戻して去って行く。
マリアが目を覚ますと、部屋のテーブルにはたんぽぽの花が一輪、瓶に活けて置いてあった。